2010年夏 フランス紀行 2010.7.2〜7.13



	
	2010.7.8(木)晴れ

	今朝も早々と六時に起床。今朝はホテルでの朝食は予約していないので、バタバタと慌てる必要はない。荷物を、持ち歩く物
	とそうでない物に分け、駐車場に預けてある車に、持ち歩かない荷物を入れる。公営駐車場がソーヌ川の傍にあり、我々の泊
	まったホテルはここからすぐの所にある。ホテルには駐車場はないので、昨日到着した時に、フロントの子に教えてもらった。
	道路から少し川へ下がって行き、屋根の付いた広い駐車場で、コンクリートの床に白い線が引いてあるだけの駐車場だった。
	ちょうど、駐車場の屋根が道路と同じ高さくらいになる。駐車場入口の側に、ソーヌ川に掛かる橋があり、昨夜はライトアッ
	プされていて綺麗だった。





フルヴィエールの丘

	
	今日はリヨンの街を見学する。ローマ帝国時代の円形劇場があり、その博物館もある。リヨン美術館もあり、マネ、モネ、ロ
	ダン等々、名画、名品がずらりと展示されているのだ。



	
	リヨンの街は、ローマ帝国のガリア属州の植民市ルグドゥヌムとして古代から栄えた物資の集散地であり、中世には市の立つ
	町としてヨーロッパでも有数の交易地として栄えた。また絹織物の産地としても知られる。旧市街はユネスコの世界遺産(文
	化遺産)に登録されている。
	北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。ソーヌ川の西側は石畳の街並みの残る旧
	市街で、リヨンの象徴サン・ジャン大教会の建つフルヴィエールの丘がある。ローヌ川の東側はクレディリヨネタワーを筆頭
	に近代的な建物が並ぶ地域である。そのさらに東には、新興の住宅地域が広がっている。

	紀元前43年に、ローマの植民市ルグドゥヌムとして建設され、2世紀にはガリアの中心都市としてさかえた。カロリング朝
	のもとに司教座がおかれ、後の何世紀もの間、大司教に支配され続けた。1245年に第1リヨン公会議、1274年には第2リヨン公
	会議がひらかれた。14世紀初めフランス王国に併合され、このころから絹織物の交易の一大中心地として発展した。フラン
	ス革命が始まると、反革命派が反乱を起こし、それを鎮圧した共和国軍がリヨンの大虐殺を引き起こした。工業化がはじまっ
	た19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となった。第二次世界大戦中は、ドイツ軍に対するレジスタンス運
	動の拠点のひとつだった。戦後は北アフリカの旧フランス植民地から多くの移民をむかえた。





	
	ローヌ川河畔では、毎朝朝市が開かれている。生産者が直接やって来て出店したり、市内の食料品店が出品・販売したりする。
	リヨンの朝市は世界に名を知られる美味な農作物でも知られている。秋の狩猟期にはジビエ(野生の鳥や獣)も豊富で、朝市
	で家庭の主婦があれこれ品定めする。
	今日はまだ朝早く、さほど人出は多くなかった。店開きをしている屋台の間を歩き回り、Wifeはぶどうと幾つかの果物を買っ
	て、昼食に食べようという。





荷物を整理するとホテルへ戻ってチェックアウト。それから、だだっ広いベルクール広場にある Infomation Centerへいく。



	
	ここは9時オープンというのでベンチに掛けて、朝市でWifeが買ったさくらんぼを食べながらセンターが開くのを待つ。
	他にも二三人、待機している人がいる。オープンしたので、ここで一日リヨン券というのを買う。19ユーロ。約二千円で、市
	内の交通機関、バス、地下鉄、ケーブルカー、それに何と、ローヌ川を運航している市内観光船もただになる。さらには、市
	内に20館以上ある美術館、博物館にもこれで入れるし、市内見学ツアーやオペラも二三割安くなる。面白いアイデアである。
	これを買わない手はない。賢いツアー客は、朝一からオープンを待っても買うはずである。



これがその「一日リヨン券」。ビニールケースに色んな券がセットになっている。名前と日付を自分で書いて、その日だけ通用する。



このキップには小冊子がついていて、この券で廻れる施設の一覧が載っている。




	
	<ベルクール広場> 新市街の中心にあるある大きな広場。巨大な騎馬像は『太陽王』ルイ14世。

	ベルクール広場 (La place Bellecour) はローヌ川とソーヌ川にはさまれた市の中心部にある。ヨーロッパでもっとも大きな
	広場のひとつで、東西 300m、南北 200m の長方形。1715 年以来、周囲をマロニエ並木と道路で縁取られている。さまざまな
	イベントの会場にもなる。地下は駐車場になっている。新市街の中心にあるある大きな広場。巨大な騎馬像は『太陽王』ルイ
	14世。南東隅にはリヨン市の旅行者向けインフォメーションセンターが、それと対象位置の南西隅には同型の建物(平屋作
	り)があり、絵やポスターの展覧会等の催し物が不定期に開催される。また、日曜日には広場の南西隅に小さな切手市が立ち、
	ペット市や子犬の里親捜しが共催されることもある。

	広場の南西隅、道路を挟んで西側には星の王子さまと作者のサン=テグジュペリの像が立っており、そこから遠くないところ
	に、サン=テグジュペリが生まれたアパルトマンがある。
	広場東辺は地下鉄A線(入り口は広場北東隅)が、南辺はD線(入り口は広場南東隅から道路を渡って東側)が走っており、両
	線の乗換駅である。D線入り口の南側には、中央郵便局があり、その向かい側がアントワーヌ・ポンセ広場である。



上左隅の白い建物が Infomation Center だ。その裏手にサン=テグジュペリの像が立っている。







	
	<フルヴィエールの丘>
	市中のほとんどの場所から見ることが出来るフルヴィエールの丘。頂上にはノートルダム大聖堂(各地にあるノートルダム聖
	堂・寺院と区別するため、「ノートルダム・ド・フルヴィエール」と呼ばれる)が聳え立ち、近くにはフランス国内最大級の
	古代ローマ劇場遺跡がある。



	
	ソーヌ川に架かる橋を渡り、旧市街に入ると目の前には美しいフルヴィエールの丘が望める。美しい川と赤茶色の屋根で統一
	された家々と石畳、その奥に続く丘の斜面は素晴らしい景色である。光の都とも言われるこの町の、夜のライトアップは息を
	呑む美しさである。





ソーヌ川下流。



ソーヌ川上流。




	<サン・ジャン大聖堂>
	サン・ジャン大聖堂 (Primatiale Saint-Jean) はフルヴィエールの丘のふもとにある司教座聖堂。1180年から1480年にかけ
	て建設された。1600年、フランス王アンリ4世がマリー・ド・メディシスと結婚式を挙げたとされている。


	
	ルイ14世の大きな銅像の前を横切って、広場からフルヴィエール丘へ向かうケーブルカーに乗る。ケーブルカーなど、昨日
	ここに着いた時にはどこにあるのかわからなかったが、丘までトンネルを通って行くのである。山の中を斜めにトンネルが掘
	ってある。これなら景観はこわれない。



	
	フルヴィエールの丘へ登るケーブルカーに乗る。乗り方がわからず、切符を持ったままうろうろしていると、小太りの兄ちゃ
	んが寄ってきて、こうするんだと教えてくれる。このケーブルカーは、フルヴィエール・ノートルダム聖堂への路線と、ロー
	マ劇場への2路線に分かれているが、どちらもそう離れていない。健脚組みなら歩いてもいけそうだ。



	
	市内の交通機関としては、バス、地下鉄、ケーブルカー、路面電車がある。ローヌ・リヨン都市圏輸送混合組合)が経営し、
	Keolis LyonがTCL(Transports en CommunLyonnais、リヨン公共交通)の名称で運行管理を行っている。ヴィルユルバンヌやサ
	ン・プリエスト、ヴェニシューといった近隣自治体まで延びている路線もある。乗車券は定額で、一定時間内であればすべて
	の交通機関(地下鉄、バス、トラム、ケーブルカー)で乗り換えは自由。乗客は地下鉄入り口あるいは車内にある刻印機で乗
	車券に時刻を刻印する。乗車券を持っていても刻印がないと検札時に高額の罰金を請求される。



	
	麓のケーブルカーを登ると、そこにはリヨンの町全体を眺めることのできる美しい展望台が待っている。
	丘で出迎えてくれるのはリヨンのシンボルでもあるシーザーの像にそびえ立つノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖
	堂(Basilique Notre-Dame de Fourviere)。中は美しいステンドグラスと厳かな灯りに包まれた空間。



遠方にクレディ・リヨン銀行が見える。



	
	たった一駅なので、昇ってきたという感じはしないが、それでも高度差があるので、いきなり市内全体が見下ろせる丘の上に
	立つ。うまく考えている。素晴らしい光景にしばし息を飲む。クレディセゾン銀行の本社タワーが一際目立つ。ここは昔日本
	支店がお客様だった。あの国際ネットワークはここと通信していたのか。1200ボーというめちゃくちゃ遅い端末機で繋いでい
	たが、今は家庭のPCからでもその十万倍の速度でつながる。技術革新のスピードは高速を越えているかもしれない。



	
	人口(約50万)はパリ、マルセーユに次いでフランスで3番目の都市。ソーヌ川(手前)とローヌ川(後方)の合流地点に
	位置し、その起源はローマの植民都市に始まる。ローマ時代はガリアの中心都市であり、第4代ローマ皇帝クラウディウス
	(在位41-54)はここリヨンの出身である。
	中近世においても交通の要衝にあり商業や絹織物の産地として栄えた。町は3つの地区に分けられる。この写真手前の丘陵地
	帯(フールヴィエールの丘)に広がる旧市街。ここにはローマ時代の遺跡や、中世のままの市街が残っており世界遺産に指定
	されている。2つの川に挟まれた地区(新市街)は近世、ローヌ川の向こうは現代になって広がった地区。屹立する高層ビル
	はクレディ・リヨン銀行の本社ビル。



クレディ・リヨネタワー



 
	

	大聖堂から少し歩いた所に、ローマ時代の大劇場があり、今日は何かイベントがあるらしく、スピーカーや足場が組まれている。
	ニームでもそうだったが、古代遺跡が今でも使われているというのが凄い。遺蹟の側に博物館があり、ローマ時代、それ以前から
	のリヨンの歴史を一覧できる。特にローマ時代は凄かったが、ローマ時代のフランスの首都はここリヨンだったので、当然と言え
	ば当然である。フランスに来て、初めて博物館らしい博物館を見た。ローマ時代の遺物は、やはり石造物が多い。

 
 
	
	またケーブルに乗ってリヨンの旧市街へ降りてくる。


旧市街。中世さながらの建物が残っている。

	
	市街には美食の町と言われるべく、名物でもある赤いプラリネアーモンドがぎっしりつまったブリオッシュがショーケースに
	並べられたパン屋さんやリヨン料理を楽しめるレストランが沢山ある。リヨン地方独特の呼び方「ブションBuchon」と呼ばれ
	る庶民的なビストロが軒を連ねる。



	
	リヨンは紀元前までさかのぼるほどの歴史をもち、旧市街は世界遺産に登録されている。かつて絹の町として栄えた中世の面
	影を色濃く残す街中には路面電車が走り情緒たっぷりだ。「美食の街」としても知られ、おいしい匂いが街中に漂っている。
	どの店に入ってもハズレがないといわれる食文化のレベルの高さは、世界中の食通を魅了している。









	
	旧市街地の中をしばらくブラブラし、橋めぐりをしたりして、リヨン美術館へ向かう。美術館前の広場には人が大勢いて、さ
	まざまにリヨンの街を楽しんでいる。噴水側のレストランで昼食にする。
	Wifeがムール貝を頼んだら、髭面のウェイターが「ほんとにこれ?」と聞きなおしたので、一瞬おかしいなと思ったがその予
	感は的中した。どでかい、高さが20センチくらいはありそうな黒い土鍋に、ムール貝がぎっしり、百個は入っていたと思う。
	二人でヒーヒーいいながら食べたが、それでも四分の一くらいは残してしまった。よそのテーブルでは、若い女の子が一人で
	同じ物を平気でパクついている。偉大なり、フランス人の胃袋よ。
	
	上の写真で右側の建物がリヨン市役所。







 
	

	しかし正直この美術館には驚いた。教科書に載っている絵が、これでもかと飾ってある。あまりの多さにしまいには辟易して、
	そうそうに退出。芥川龍之介の「芋粥」の心境。ムール貝の再現だ。駐車場へ戻り今夜の宿を目指す。






リヨンの北方にある Chevannes という小さな町。絵に書いたような、典型的なフランスの片田舎。牧草地帯のなだらかな道をゆく。





	
	夕方、農家を改良したペンションにつく。人の善さそうなオヤジが部屋に案内してくれる。いい部屋だ。家屋の端に高い石塔
	が付属していた。サイロかなと思って尋ねると鳩小屋だと言う。昔食用に鳩を飼っていた名残だった。農場全体を改築してB
	&Bにしている。自分達の家は、少し離れた所に同じような家屋が建っている。ここにはレストランはないので、教えて貰っ
	た、今年ミシュランが取材に来たというレストランに、街の散歩を兼ねて歩いていく。オヤジはすぐだと言ったが結構歩いた。
	帰りには、ワインの酔いざましに程よい距離だった。







左下に、この光景を写している私の影が映っている。



上はレストランへの途上にあったこの村の教会。どんな村でも教会は大きい。



	
	レストランの造りはシャレていた。建物の裏に芝生のような雑草がはえた広い庭があり、庭の端にはポプラのような高い木が
	何本も生えていた。そしてテーブルは建物の外に置いてあるのだが、その傍を小川が流れており、そこにアヒルだか、「がち
	ょう」だかが親子連れで歩き回っているのだ。彼等がテーブルの傍までやってくる。この光景は、まったく涙が出るくらい、
	フランス絵画に出てくる構図はそのままだ。





	
	「まさか、あれを食うのじゃなかろうな。」と小声でWifeに囁くと、Wifeは周りに日本語がわかるわけはないのに、シーッと
	口止めをする。すると隣のテーブルのフランス人のカップルが、おそらくニュアンスで意味が分かったのだろう、クスッと笑
	っていた。ワインも料理も旨く、なだらかな草原から吹いてくる風が、ワインで火照った頬に心地よかった







上右の明かりの点いているところ、あの一角がレストランである。