2015年夏フランス・ドイツ紀行 第二日目 カルナック考古博物館 2015.6.8




	
	2015.6.8.(月曜日) カルナック考古博物館
	
	博物館も凄い。この3地区から発掘された出土物や、その他の先史時代の遺物が並んでいる。本当に不思議である。
	紀元前、遙かな昔にここに住んでいた人類は、何かを恐れ、何かを敬い、或いは何かに向かって力を鼓舞するため
	に、この巨石群を作り続けたのである。巨石は、表面に文様が刻まれたものや、何もないもの。周辺を削ってある
	形に形成した物などさまざまなものが、2,3m間隔で所狭しと並べられている。発掘された人骨も展示されてい
	る。日本の縄文時代地層から出土するような石棒や石器類、土器類等々が、日本の縄文人達と同じような仕事をし
	て、研磨したり打ち搔いたりして作られているのである。遠くノルマンディー地方と東アジアの小国に住む先史時
	代人たちが、同じようなことをしている。









	また至る所にこの地方へ渡ってきたブリテン人、ノルマン人に関する記述がある。フランス語は読めないので、描
	いてある絵と、短い英語表記から判断すると、どうも列石群を作ったのもブリテンから来た人々だと書いてあるよ
	うだ。ケルト人やバイキング船がここを訪れる前に、ケルト人では無い民族がブリテン島から渡ってきたもののよ
	うである。











	ブルターニュ地方における人類の痕跡は、北部のイギリス海峡に面したサンマロ(Saint-Malo、ブルトン語:Sant-
	Malou 現在は城壁に囲まれた港町)近くで発見された礫器(石のつぶて)だという。70万年前のホモ・エレクト
	ス時代である。ホモ・エレクトスとは原人の事で、ホモ属に含められる前はピテカントロプス・エレクトス
	(Pithecanthropus erectus)と呼ばれていた。
	我々の年代(団塊)はこの名前で覚えている人の方が多いだろう。この学名はジャワ原人発見の際に作られたが、
	現在はピテカントロプス属は廃止されており、ジャワ原人の現在の学名はホモ・エレクトス・エレクトス(Homo 
	erectus erectus)であり、ホモ・エレクトスの亜種である。
	同じくブルターニュ、フィニステール県のコミューンであるオディエルヌ(Audierne)付近(プルイネック)では、
	45万年前に火を使用した痕跡が見られ、これは今の処ヨーロッパ最古の火の使用痕である。世界で最も古いかま
	どが見つかっている。



	ホモ・サピエンス(旧人・新人。ネアンデルタール人もホモ・サピエンスである。)の、氷河期時代の遺跡も10
	か所程度発見されており、キプロン半島には、紀元前7千年前の遺跡が幾つか存在し、これは中石器時代ではフラ
	ンス最大の遺跡である。これはこの地方が氷河期以降温暖な気候に恵まれ、豊かな森と自然に囲まれた安定した狩
	猟生活をおくれていたことを示している。
	現在の学説では、ブルターニュに、最初に定住したのはネアンデルタール人だったとされている。このあとドイツ
	でネアンデルタールにも寄るのだが、ヨーロッパにおける旧人の分布図が以下である。



	氷河期の影響が強かったせいか、ブルターニュにおけるこの集団は非常に個体数が少ない。しかし西ヨーロッパ全
	体で発見されている他のネアンデルタール人たちと同じ特徴を持ち、その独特な文化は酷似している。
	新人(クロマニヨン人)がブルターニュに定住したのは、紀元前約3万5千年代である。彼らは征服したか交配し
	たかは不明だが、ネアンデルタール人達と入れ替わり、マグダレニアン文化と呼ばれる文化をブルターニュ地方で
	生み出した。



	氷河期も終わり頃になると、温暖になった気候によりキプロン半島一帯に樹木が生い茂り、比較的大きな人口集団
	が暮らせるようになった。彼らは狩猟採集の遊牧生活から、土地に定住した農民への生活様式に変わろうとしてい
	た。フランス南部のラスコー洞窟にクロマニョン人達が壁画を描いたのが、ちょうどこの頃、紀元前1万5千年か
	ら1万年頃である。



	紀元前5千年代、南や東からの移住者たちが農業技術を伝播したが、ブルターニュでは新石器時代の画期的な農業
	革命は起きなかった。人口増が微量だったせいと、移住者の数もそう多く無かった事がその原因とみられている。
	巨石文化を築いたのがまさにこの時代の人々だったのである。

	新石器時代のブルターニュが、フランスにおける巨石文明の核となる地方とされている事は先述した。最古の記念
	物であるケアンは部族首長の墓であり、かつ列石である。半島南岸のモルビアン県ではこれら巨石構造物の建造が
	まるでブームでもあるかのように盛んになってゆく。カルナック列石も新石器時代の人々が建てていったのだ。

	原史時代になると、ブルターニュにはブリテンや北欧からケルト人達が移り住んでくる。そしてその独特な文化で
	たちまちこの地方を席巻し、大きな5つの部族に分かれて独自の文化を育んでゆくことになる。前5百年頃、ケル
	ト人の活動範囲は最大域に達し、ヨーロッパ全土で栄華を誇った。文化面でも絶頂期を迎え、ラ・テーヌ文化期と
	呼ばれる高度な文化期を迎えたが、やがて1世紀に、ヨーロッパを支配下に入れたローマ帝国の傘下に組み込まれ、
	ブルターニュ地方もその支配下に置かれることになるのである。



	古代遺跡を訪ねると、どうしてか人類の未来も気に掛かる。私は昔からSFも好きで、アシモフやハインライン等
	を読んできた。人間を月へ送り込む技術や、宇宙船を小惑星に着陸させて再び地球へ戻すテクノロジーなどの技術
	大河も、どこかにその一滴の源があるのだとしたら、ここもその源流の一滴なのかもしれない。ピラミッドもそう
	だ。ストーンヘンジもそうだろう。人類は大昔から石を道具として用い、加工し、並べ、積み上げて建造物を作っ
	て来た。そして石の中から金属を取り出す事も発見し、金属は今や人類テクノロジーの基層である。人類の英知は
	途絶えることなく発達を遂げ、留まる事を知らない。
	かってSFの世界の絵空事でしか無かった世界が、いまや悉く現実化している。その源はここにいた人々の脳細胞
	の中にあったのかもしれないと思うと、実に感慨深い。



	立石数に関しては研究者によって記述が異なっており、年代を経る間に破壊されたり、取り去られたりしたものと
	考えられている。メンヒルの大きさは現存するもので最小50cm、最大6mであるが、かつては20mを超える
	ものも存在したとされる。その多くは倒壊して持ち去られたという(Calnac考古博物館の掲示)。



	既述したが石は昔から「聖なるもの」の象徴であり、世界中の古代人達は石を使った建造物を各地に残している。
	英国のストーンヘンジや各国に残るドルメン(支石墓)やストーンサークルなどである。そしてその建造された目
	的も不明であり、単に「祭祀目的」と片づけられる事が多い。ここカルナックの巨石群も例によって、太陽信仰の
	宗教儀式のためにとか、宇宙人が目印に建てたとか、精霊や巨人が建てたとする伝説の他、戦士の墓、種族の記念
	碑、天文学上の目的等、諸説流布されているが、真相は誰も知らない。巨石群は数千年の時を経て、ただ佇んでい
	るだけである。
 
	カルナックの巨石遺跡は、第二次大戦後に大規模に発掘調査・整備された。そして数多く残されたメンヒル(立石)、
	ドルメン(支石墓)、チュミュリュス(墳丘墓)は、現在ではこの地方の観光の目玉で、訪れた人に驚きと古代人
	への畏敬の念を与えている。




	カルナックの巨石遺跡の特徴は、石がずらりと並ぶその形状にある。サークルや積み上げた建造物等にはなってい
	ない。二つの主要サイト(メネック、ケルマリオ)だけで3000個近くの石が並べられており、全長は4km近
	くに及ぶ。
	カルナックで見られる巨石群は新石器時代(紀元前5000~3000年)だが、その全貌はいまだ謎に包まれているので
	ある。伝説ではメンヒルは「石の軍団」とされているそうだが、実際に見た目では「信仰の場だった」と考える他
	に思いつかない。



	ドルメン(支石墓)とチュミュリュス(古墳)は、個人の、あるいは集団の墓である。町の先史博物館ではドルメ
	ンやメンヒル(立石)を作った新石器人をテーマに、先史時代のコレクションを展示している。

	カルナック列石に関連のあるとされる古墳も近辺に多く見られ、聖ミシェル古墳などが知られている。サン=ミシ
	ェル古墳は、紀元前5000年から3400年の間につくられたとされており、長さが124m、幅60m、高さ
	12mである。これは特権階級の墓を示していたのではないかと考えられている。
	現在最大のメンヒルは左のもので、3つの列石群からは独立している。6mの高さを持つ。




	このブルターニュ地方に、フランス屈指の巨石文化が残存している。表1をご覧頂きたい。これはフランスにおけ
	る巨石文化の主なものを列記してあるが、圧倒的にブルターニュ地方に集中している。中でもカルナックの巨石群
	はその規模で群を抜いている。



	フランス政府は1996年に、カルナックを中心としたこの地方の巨石文化を、世界遺産の文化遺産として登録す
	べく、その前提となる暫定リストに掲載した。

	・仏語:「Sites megalithiques de Carnac」
	・日本語(仮名):「カルナック列石群」

	表2はイギリスにおける巨石文化の代表的なものの一覧である。
	これを見ると、ブルターニュ地方の巨石群を作ったのはブリテンから来た人々だなと容易に推測出来る。しかしイ
	ギリスの巨石群も、ケルト人以前の民族が作ったと考えられているので、カルナックの遺跡群もケルト人が作った
	ものではない。









カルナック巨石群の発掘・保存に尽力した学者夫妻。名前は・・忘れた。上を見て。







上の写真だけ見ると、縄文人弥生人の石器だと思ってしまう。























発掘調査の結果、人骨も数多く出土した。石器は縄文時代の物とそっくり。




















































































































	フランス北西部にはブルターニュ、ノルマンディー、北部地方という三つの地域がある。このうち一番下側、英仏
	海峡と大西洋に面しているのがブルターニュ地方である。ここには古代巨石文明の遺跡や、英国から渡来したケル
	ト人の文化が色濃く残っている。








	海峡と大西洋に面しているのがブルターニュ地方である。ここには古代巨石文明の遺跡や、英国から渡来したケル
	ト人の文化が色濃く残っている。
	5~16世紀のこの地方にはブルターニュ公国という、フランス王国から独立したケルト人の国家があった。現在
	でも地元ではケルト語系ブルトン語が使用され(2007年度の調査で、初等学校に通う子供の10.3%がブル
	トン語との2言語学校に通っている)、フランスでは他に例を見ない独自の文化が保たれている。






	ブルターニュの直ぐ上、英仏海峡の西側に位置するのがノルマンディー地方である。この名称は、8世紀末にスカ
	ンジナビアからバイキング(ノルマン人)が侵入し、ノルマンディー公国を建設したことに由来する。同国は13
	世紀にフランス王国に併合され、後に百年戦争や、第二次大戦時の連合軍上陸作戦の舞台となった。




	ここを訪れるまで全く知らなかったが、ブルターニュとはブリテン人のと言う意味で、ノルマンディーとはノルマ
	ン人のと言う意味なのだ。ガイドブックによれば、今でも季節にはそれ(祖先や祖国)にちなんだ祭りが各地で行
	われるとある。驚いた。日本における在日韓国人社会のようなものだろうか。大阪の生野区に行くと、まるで韓国
	を歩いているような気になるが、似たようなものかもしれない。あらためて地図を見ると、イギリス海峡を挟んで
	イギリスとフランスは目と鼻の先である。朝鮮半島と北九州の位置関係に似ている。太古からおたがいの民族が行
	き来していたのは容易に想像できるし、あるいは、同じ民族が両方の地に住んでいたのかもしれない。























































































	「古代の巨石文化」と言った場合、エジプトのピラミッドやイースター島のモアイ等を筆頭に、世界中にその痕跡
	は現存している。南極大陸をのぞく地球の諸大陸の沿岸部に、広く分布しているのである。しかしそれらの、石材
	を用いて加工した建造物については、特に「巨石遺跡」とは呼ばないようである。それはそれでまた違った古代史
	上の大きな興味の対象ではあるのだが、自然石をそのまま使って何らかのモニュメント(記念物)を建造したもの
	を、特に取り上げて「古代の巨石文化・巨石遺跡」と呼んでいる。ストーンヘンジのような形態のものである。我
	が国の、ストーンサークルと呼ばれる環状列石なども含まれる。時代的には新石器時代から鉄器時代に及ぶものも
	あり、紀元前数千年から紀元前後であり、世界中で、メンヒル・ドルメン・ストーンサークルなどの遺跡がみられ
	る。これらの巨石の、大まかな用語説明は次のようになる。

	・メンヒル    :立石。独立した石を立てたもの。 
	・アリニュマン  :列石。メンヒルを直線上に並べたもの。 
	・ストーンサークル:環状列石。ヘンジ。円形に並べた立石。昔日本では、環状石籬(せきり)と呼ばれた。
	・ドルメン    :支石墓。平らな天井石を複数の支石で支えた巨石墓。 
	・ケルン     :積石塚。礫石などをピラミッド型に積み上げたもの。

	我が国の古墳なども広い意味では「巨石文化」になるのだろうが、あれほど夥しく作り続けて一時代を画している
	ので、特に「古墳文化・古墳時代」と別格扱いしている。
	このHPの「ストーンヘンジ紀行」の時にも書いたが、これら「巨石文化」に対する最大の論点は「誰が、何の為
	に?」である。そしてこれも常道であるが「わからない」というのが結論だ。どの遺跡についても、宗教上の祭祀
	遺構である、民族の力を鼓舞する記念物である、太陽や天体の観測に用いた施設である等々の論が出現するが、果
	たして2、3千年前の古代人達の思考を説明し得ているかは、はなはだ心もと無い。我々はただ、残った建造物や
	記念物を見て、遥かなる先人達の偉業を偲ぶしかない。そして人類の通ってきた道、作り上げた文化に大いなる敬
	意を払うのみである。

以下5枚の資料は、クリックすれば拡大しますが、説明は全て
フランス語です。読める方は面白いと思います(英語も少しあります)。
















カルナックの市街。小さなフランスの田舎町である。70年前にここをナチスが歩いていたとは信じがたいような光景。





ここでの文章は、「季刊 邪馬台国」第128号に連載した
「フランスの巨石文化 カルナック」からも転載しています。あしからず。