2015年夏 フランス・ドイツ紀行 第七日目 2015.6.13



	
	2015年6月13日(土曜日) ベルギーからドイツ・ケルンへ

	ベルギーは SanyyaeksのB&Bで6時頃目覚める。8時朝食。オランダから来た中年夫婦と一緒だった。
	旦那は我々より年上のような感じだが、若しかしたら同年代かもしれない。二人でバイクでオランダ・
	ベルギーを廻っているという。バイクと言うからハーレーかなんかかなと思っていたが、朝食を終えて
	玄関で見送ったらなんとバイシクルつまり自転車なのだった。
	フランスもそうだが、ベルギー、オランダ、ドイツもほんとに自転車旅行が多い。老いも若きも、自転
	車に大きな荷物を積んで自転車専用道を走っている。勿論補助エンジン付きのサイクリング用自転車だ
	が、旦那はエンジンを指さして、「これが無いと坂なんか走れないよ」と言う。しかし、ようやるなぁ
	という気がした。



	16日以降は宿の予約を日本からしていったのだが、今日から三日間は予約がない。wifeによれば、こ
	の辺りの訪問地がどういう事になるか分からなかったから予約していないと言う。なので昨日B&Bに
	着いてすぐ、今日の宿探しを始めた。
	i―Padでネットに繋ぎ、ホテル仲介webでドイツのケルン市内のホテルを探して予約した。
	ASTORLAND・APARTHOTEL・superia。やれやれ一安心。しかし今から二日間、
	毎日宿をとらんといかん。これはこれで難儀だ。
















お世話になったベルギーの、B&Bオーナーのおばさん。「日本人も良くくる」と言っていた。NETは偉大だ。



	9時45分B&Bを出発。田舎道、県道(のような道)を通って30分程で高速に乗る。途中高速で迷
	いに迷って1時間ほどロス。13:30分頃ドイツ国内へ入る。昼食の為SAに入る。ハンバーグとサ
	ラダを食べる。豆腐と豆の混ぜ物があったので。「こりゃ、こりゃ。ドイツで豆腐が食えるとは」と喜
	んだが、チーズの厚切りだった。そうだろうなぁ、ドイツの高速道路のサービスエリアで、豆腐がある
	わけないか。
	SAで飯を食うアジア人などそうはいないのだろう、皆ちらちらと我々を見ては側を通り過ぎる。しば
	し休んでまた高速へ入る。しかしこれからが大変だった。今日は今回の旅で一番ハードな一日となった

	ケルンを目指して途中までは、130km〜150kmでアウトバーンをすっ飛ばして順調な走りだっ
	たのだが、途中高速が工事中で一般道へ降ろされ、その後どこからその高速へ入り直すかがとんと分か
	らなくなったのである。ライン川に沿ってベルギーからオランダへ入り、もうすぐドイツの
	Duisbergという辺りでの出来事。

	ドイツへの高速の入り口を探して、あっちうろうろこっちうろうろと、約2時間ほどさ迷う。ナビはフ
	ランスを抜けたら全く言う事を聞かない。おそらく我々の入力の仕方が悪いのだと思うが、ベルギーも
	ドイツも指定できないのである。フランスの地名しか受け付けない。ナビを借りた時、「英語もOKか?」
	と聞いたのだがその時は「OK、OK」と答えていたのだが、その時ナビの操作方法を聞いておくべき
	だった。仕方が無いので、i・padをネットへ繋ぎ、この付近の地図をGoegleで探し、其れを
	見ながら何とかネアンデルタールまでたどりついた。メットマン(en:Mettmann, Germany)というドイ
	ツの西部に位置する都市である。




	ガイドブックに「鉄道のネアンデルタール駅」から遺跡は数分とあったので、道ゆく人に尋ねて駅まで
	行ってみた。小さなトロッコ電車のような汽車は止まっていたが、駅員も居ないし乗客もいない。駅前
	を歩いている兄ちゃんに遺跡を聞いたが、我々の英語がマズイのか、兄ちゃんが英語を理解しないのか、
	とんと要領を得なかった。




	私はここが今回の旅で一番の目玉だったにもかかわらず、到着まで手間取ったため遺跡と博物館見学が
	ギリギリのタイミングになった。大きく「ネアンデルタール・・・」という施設の看板らしきものがあ
	ったので、その道順の通りに行ってみると養老院に着いた。「ええぃまぎらわしい」などと悪たれをつ
	きながら周辺を廻って、やっと博物館らしき建物を見つけた。「ここだ、ここだ!」





	しかし駐車場が見つからない。時間ももう午后5時になっていて、日本なら遺跡も博物館も閉館してい
	る時間である。博物館がここなら遺跡もすぐ近くにあるはずだ。駐車場探しはwifeにまかせて、私
	は車を降りて徒歩で遺跡を探した。ドイツ語でそれらしき案内があり大きく矢印があったのでその方角
	へ歩くと。5分ほど歩いたところにどうやら遺跡への入り口らしきものが見えた。






	そばまで行くと、管理人らしきオバサンがまさに入り口の鍵を掛けようとしている所だった。私はたど
	たどしい英語で、「日本からこの遺跡を見に来た。10分でいいから中を見せてくれないか。すぐ戻っ
	てくるから」と訴えたが、オバサンは同情しながらも「ダメ」とつれない。



遺跡(公園?)への入り口。オバさんは無情にも扉を閉め、カギも掛けた。

<下は地面のプレートに刻まれていた遺跡(or ネアンデルタールの説明)>


	そして「博物館もまだ見ていないなら早く行かないと6時閉館だから後45分しかないよ」と言う。
	そして「行くなら案内するからついておいで」と先に立って歩きだした。
   

すたこらオバさんは歩いてゆく。側を小川(ネアンデル川)が流れていた。





	途中オバサンと話しながら小川沿いの道を5分ほど博物館へ歩く。私はせっかく来たので明日もう一度
	出直すかと思って聞くと、「日曜は遺跡は閉館している。博物館は開いてるけどね。」とグサリ。
	「おぉーっ、マイゴー」







上下の右端に見えているのが博物館。オバさんが「早く、早く」とせき立てる。












	オバサンはどうやら博物館の職員らしく、博物館の入り口で係員に私のことを説明して、早く回れるよ
	うにと頼んでくれているようだった。窓口のオバサンも「おぉー、ジャポネ」とかいいながら「こう、
	こうやってまわれば早く回れる」てな事を言いながら館内地図に赤線を引いてくれる。大急ぎで中へ入
	ったが、後でオバサンが追いかけてきて、「これこれ、これがさっきの遺跡公園の写真」と言って2,
	3枚写真をくれた。下がその写真。行きたかった。全くもって残念無念。
	「おぉっ、マイゴー」

	このオバサンは博物館内を途中まで案内してくれて、ネアンデルタール人とのツーショットの写真も撮
	ってくれた。ドイツ人も親切だ。

	写真1
	
 
	林の中にネアンデルタール人や住居などの生活環境が復元してあるが、本当に彼らがこんな住居を持っ
	ていたかどうかは分からない。しかし火を使っていた痕跡は残っているので、おそらく住居もその周り
	にあったのだろうと推定できる。左の大きな人型の人形は何かわからなかった。

	写真2
	
 
	ネアンデルタール人が、人類の祖先たちと同じような生活だったのは証明されている。石器を使って動
	物たちを狩り、おそらくはマンモスなども、集団で追い詰めて仕留めていたのは間違いない。その牙や
	骨を使った用具も発見されているし、埋葬施設も在り、そこに花を手向けていた痕跡もあるのだ(これ
	には異論もある)。ネアンデルタール人は、最終的にどうして人間(ホモ・サピエンス)になれなかっ
	たのか? これはこれで非常に面白いテーマではある。

	写真3
	

	旧人や新人の祖先たちが、マンモスの骨や牙で作った住居跡も世界各地で発見されていて、日本の博物
	館にも「世界の石器人たちの家」として紹介している所がある。しかし、見たかったなぁ。









	博物館を出ると、道路を挟んでネアンデルタール人のモニュメン像が建っている。像の脇に小道があり、
	ここにも案内があって、どうやらここを←(矢印)の方へ行けばネアンデルタール人骨の発見場所へ行
	けるようだ。駐車場に車を止めてきたwifeは車で待つと言うので、一人でここにも行って見る事に
	した。途中「石器工房」の施設もあったが、ここも既に閉館していた。説明板は全てドイツ語で。絵を
	見て想像するしかない。















途中、看板や案内が立っていて、「石器工場」(何という英語だったか忘れた)と書かれた建物もあった。





上左の建物が、確か「石器工房」だったが、もう鍵が閉まっていた。



 	10分程歩くと、見物客が何人かたむろしている場所に来た。フェルトホッファー洞窟だ。ここで石灰
	岩の採掘作業中に作業員が骨を発見した。作業員たちは最初クマの骨かと考えたが念のため、地元で教
	員をしていたフールロットの元に届けた。



	ここがネアンデルタール人の骨の発見場所。矢印で示してある。右側は彼らの生活した洞窟入り口だが、
	今は閉じてある。少女の右側にある大岩は、「脳」をかたどったモニュメントである。なかなか面白い
	造形だ。矢印は大きなプラスチックで作ってあった。





	<ネアンデルタール人の骨 発見現場>

	フールロットは母校のボン大学で解剖学を教えていたシャーフハウゼンに連絡を取り、共同でこの骨を
	研究した。1857年に両者はこの骨を、ケルト人以前のヨーロッパ原住人のものとする研究結果を発
	表したが、この発表は多くの批判を浴びることになった。コサック兵の骨ではないかと言う見解や、病
	気にかかって変形した現代人の骨と主張した学者もいた。
	しかしダーウィンが進化論を発表すると、この古人骨も進化論の視点から再検討され、類人猿とホモ・
	サピエンスの中間に位置づける議論や、ホモ・サピエンスの祖先とする論文等が発表された。
	その後20世紀に入ると、ネアンデルタール人の完形な骨格化石がフランスのラ・フェラシー他ヨーロ
	ッパ各地から続々と発見され彼らの形質が明らかになった。同時に、ホモ・サピエンスとの関係が議論
	されるようにもなった。
	フランスのマルセラン・ブールは1913年の論文で、ネアンデルタール人は現生人類と類人猿との中
	間の特徴を持った原始的な人類(原始人)で、ホモ・サピエンスの祖先ではないとする立場にたった。
	やがて50年を経て、DNAやY染色体、ミトコンドリアの研究が発展すると、人類は世界各地で同時
	期に進化を遂げたとする多地域進化説が廃れ、約20万年前にアフリカで発生したという単一起源説が
	主流となって、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの祖先ではないという見方が定着した。


	ネアンデルタール人が絶滅した理由は実はよく分かっていない。しかも最近の研究では、ホモ・サピエ
	ンスと混血し、ホモ・サピエンスに吸収されてしまったとする説も出現した。今後の研究次第では、ま
	だまだ新しい知見が出現する可能性も残されているわけだ。果たしてネアンデルタール人は完全に消滅
	してしまったのか、或いは我々の一部にその血脈が受け継がれているのか、真にもって「おもしろいっ
	たらありゃしない」と言うところだろうか。





	博物館を出て今日の宿をめざす。今日は、wifeがそれまでどちらかと言えば大きな都市の郊外に宿を
	取ってきたのだが、たまには都市の中も良いかというので、ケルン市街のど真ん中で探して予約したのだ
	ったが、これがエライ事になった。
	ケルンは思ったよりも大都会で、一方通行、Uターン禁止という所がやたらと多く、ケルン市内へ入って
	からホテルへ行き着くまで、またまた2時間ほどかかってしまった。



	やたら調子のいいホテルのオバサンと携帯電話でやりとりしながら、結局ホテルへ着いたのは午后9時頃
	だった。石畳のメインストリートに面した綺麗なホテルだ。電話で応対してくれたオバサンが待っていて
	くれて、このオバサンが凄かった。
	機関銃のように英語でまくしたてる。「長時間運転して疲れたでしょう。初めてのケルン市内へ来る人は、
	まずケルン市内を10周はするのよ。日本人は久し振りで嬉しいわ。・・・・・」てな調子で、同情して
	いるのか嬉しがっているのか分からないほどのテンションで歓迎してくれるのだ。





ASTORLAND・APARTHOTEL・superiaの部屋。
綺麗な部屋で、窓からテラスへ出ると、階下の部屋の屋上のようだった。






















	部屋に荷物を置き一休みして、10時頃、オバチャンに教えて貰った典型的なドイツ料理を出すという
	「PieeGen」という店に入る。
	この店を探すのにも手間取った。同じようなパブ風料理店が廻りにひしめいているのである。しかも午
	后10時過ぎでも土曜日だからか、どの店もホモ・サピエンスで溢れていて通りにも沢山たむろしてい
	る。
	ホテルから歩いて5分ほどのこの繁華街へ来てから10分は経った頃、ヒトをかき分けかき分けてやっ
	と目指す「PieeGen」を探しあてた。ビアホールかパブなのか分からない様な大部屋に客がひしめき騒
	いでいる。
	スーツ姿のサラリーマンの一団、誕生日を祝って貰っている家族連れなのか職場のグループなのかよく
	分からない集団、呑むのかキスするのかどっちかにせぇというような若いカップル等々。






	「ケルンの典型的なドイツ料理は何?」とテーブルへ来たウェイターに訪ねると、彼は隣のテーブルを
	指さして、今まさに運ばれてきた料理を示し「あれだ」と言う。そしてメニューBOOKの502番を
	指さして「これだよ」と教えてくれる。「Boilled Pork & xxxxx potates」となっていたのでそれをオ
	ーダーする。
	「only  one?」と聞くので「ダー」と返事する。今までの例で十分分かっている。二人分頼ん
	だりするとエライ事になる。彼も、我々が日本人だと分かっているから聞いたのだ。
	果たせるかな、運ばれてきた料理は一皿でとてつもなく大きかった。二人でも食べきれるだろうかとい
	うような、骨の付いた豚肉の塊。それにガーリックと炒めた巨大なジャーマンポテトの山。驚きながら
	もやっとの事で平らげ、私はビールを6杯、wifeは2杯を呑んだ。

















面白いことに、呑んだビールの数は、コースターの裏に線を引いていくのだった。






	歩く事5、6分、大満足でホテルへご帰還。wifeはワイファイでi・padをネットへ繋ぎ、明日
	の宿を予約しようとしているが苦戦しているようだ。私はもう酔いが廻って呂律も回らなくなったので
	寝ることにする。今日は都合5時間ほどを無駄にした勘定だが、なんとかネアンデルタール人の故郷を
	訪問できたので嬉しかった。今夜は夢に彼らが出てきそうな気がする。