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 邪馬台国研究史異聞




 研究者達 

毎日新聞平成10年5月23日付け朝刊記事。

	「幻の報告書」34年ぶり発刊 樋口・京大名誉教授執筆  京都・椿井大塚山古墳
	
	「卑弥呼の鏡」とも呼ばれる三角縁神獣鏡が1953年に30数枚も出土し、国内で最も重要な古墳の一つである「椿
	井(つばい)大塚山古墳」(前方後円墳、京都府山城町)の発掘調査報告書が22日、同町から発刊された。この報告書
	は64年に一度、京都府が発刊したが、研究者間のトラブルから倉庫に眠ったままの「幻の報告書」になっていた。奈良
	・黒塚古墳で三角縁神獣鏡が大量出土し、椿井大塚山古墳が注目を集めているだけに、執筆した樋口隆康・京都大名誉教
	授(78)は、「長年の心残りが晴れた」と、ほっとした表情を見せている。
	53年、国鉄(当時)奈良線の改良工事で鏡が出土、京都大学考古学研究室講師だった樋口さんらが発掘調査した。報告
	書は樋口さんが執筆、梅原末治教授(83年死去)が手を入れ、梅原末治著「椿井大塚山古墳 附元稲荷古墳」(京都府
	文化財調査報告第24冊)として発刊。しかし、梅原教授と確執があった当時の小林行雄講師(のち教授、89年死去)
	が「私の管理する文部省研究費が調査に使われたのに、それで得られた測量図が無断で使用された」と府教委に抗議。
	以来、一級資料にもかかわらず、引用はタブーとなっていた。B5判、92ページ。6300円で販売。問い合わせは真
	陽社	(075・351・6034)。	【山成 孝治】



(株)三一書房 1961年5月31日発行、原田大六著「邪馬台国論争」
	P.47 
	榎一雄の著書を当たってみると、自論で四十カ所、引用で九カ所の誤りと虚偽が発見できた。最も多いのは誤字である。
	これは『魏志倭人伝』の用字を誤ったもので、「賜之物」をすべて「賜之物」としている。一、二ケ所なら誤植と
	いえようが、五十六〜五十七頁に各五字、五十八頁に二字、五十四・五十五・五十九頁に各一字の合計十五字の全部を
	間違えている。この十五という数字を引いても、なお三十五カ所の虚偽が目に付く。これでは邪馬台国が九州であると
	かないとか論じるそもそもの資格も権威もない。ではなぜ彼はこのような自滅の道を進んだのであろうか。それはいう
	までもなく論理を持たなかったのである。理窟(この字は理屈と書くべきではないか?)さえつけていれば論文と思い、いい
	加減にこじつけているうちに、大変な虚偽の深淵におちこみ、身動きができなくなったままである。探求力も論証力も
	持たぬ者、それは学者ではない筈だ。

	P.108 
	以上の三作業が、すなわち科学的方法である。第一の作業には手もつけず、第二の作業は放棄し、第三の作業の仮説だ
	けをからくりでみたしているとなると、斉藤忠という人物は科学が何であるかも知らず、勝手放題に邪馬台国は九州
	なりと放語していたソフィストに過ぎなかったといえよう。彼の科学に対する不見識は、彼の考古学資料に対する事実
	誤認ともなって、その著作の中に数多くあらわれているのである。

	P.156 
	井上光貞の邪馬台国に関する論文を読んで、いったい彼は自分自身の何を持っているのかと疑いたくなる。彼がやたら
	に並び立てている人物である、青柳種麻呂・新井白石・上田正昭・植村清二・梅原末治・榎木一雄・大野晋・笠井新也
	・小林行雄・近藤芳樹・斉藤忠・白鳥庫吉・端渓周鳳・末松保和・菅政友・津田左右吉・鶴峯戊申・藤間生大・内藤湖
	南・(いい加減疲れてきた!)珂通世・中山平次郎・橋本増吉・原田大六・肥後和男・牧健二・松下見林・三宅米吉・本居宣長・
	山田孝雄・和歌森太郎・和辻哲郎などの見解がほとんどで、井上学説というにたるものは、ひとつもない。

	P.227 
	小林行雄の「伝世鏡論」は、もはや架空の論議以上のものではない。彼は今になって、自分自身「しまった」と思って
	いても、次つぎに書きなぐり、出版社も波に乗って書かせてきた。小説の世界ならいざしらず、こと歴史学の世界では
	虚構はいっさい許されない。邪馬台国畿内大和論者の中で風を切って歩いてきた小林行雄ではあったが、邪馬台国論争
	の最も重要な入口で、大きな失策を演じたことになる。自分の過失は自分で償わなければならぬ。だが、風にそよぐ葦
	は、それがわかっていても引くに引かれぬことになってしまうことがある。有名出版社と手を組んで、あまりにも多く
	の書物にでたらめを書き過ぎた。活字となって出てきた書物にふり廻されてきた読者に、この際はっきり詫びるのが、
	彼に残されている唯一の勇気であろう。彼の虚構はまだまだ山積みで残っているのである。


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