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日本人の源流を探る旅 第一弾!  −伽耶・新羅の旅− 2001.10.11−14









	「魏志倭人伝」に、「初めて一海をわたる千余里、対馬国に至る」と書かれている出発の地が、狗邪(くや)韓国と呼ばれたこ
	の金海・釜山市周辺だ。中国大陸から朝鮮半島を南下し、日本列島へ船出するまさに玄関口だったのである。邪馬台国の時代、
	或いはそのずっと前の時代から、この地は日韓両国の橋渡しをしてきた。更に言えば、北部九州とこの地の民族は全く同じもの
	だった可能性もある。この地は「狗邪韓国」以外にも、加羅(から)、伽耶(かや)、賀洛(から)、任那(みまな:日本側で
	の呼び名)などとも呼ばれ、長期に渡って日韓両国の関係に大きな影響を及ぼしてきたのである。




	古代の日本と韓国南部の関係を考える時、避けて通れない問題がある。「任那(みまな)」問題である。「日本書紀」では韓国
	南部の伽耶(かや)の地域を「任那」と呼び、戦前は倭(日本)が支配していたとの説がいわば定説であった。だが、最近、書
	紀が必ずしも史実を反映しているわけではないのではないかという考え方が現れた。韓国側の資料に見えないこともあって、戦
	後、日韓双方から実態を疑問視する声が挙がり、最近では書紀の記述通り受け取る見方は少なくなったように見える。しかし、
	従来通りの説を唱える人も多く、まだ最終的な定説を見るには至っていない。「教科書問題」の勃発により、「任那」問題もま
	た、日韓双方の歴史観の対立を誘う要因として依然として両国民の間に横たわっている。




	一方、日本人が「単一民族」ではないというのは、最新の研究結果ではもはや常識である。ヒトのDNA遺伝子研究、ミトコンドリ
	アDNAの解析では有名な、総合研究大学院大学・先導科学研究科の宝来聰(Horai Satoshi)教授(分子人類学)によれば、


	「本土日本人,アイヌ,琉球人,韓国人,中国人を含む東アジアの5人類集団について,ミトコンドリアDNAのDループ領域の塩基
	配列を分析した。293人の東アジア人について,482 bpの塩基配列を比較したところ,207の異なる配列のタイプが見られた。
	これらのうち189タイプは,それぞれの集団に特有のものであり,残りの18タイプは集団間に共通して見られた。共通のタイプ
	のうち8タイプは本土日本人と韓国人とに共通して見られ,比較した中での最大数であった。

	系統樹分析によって,東アジア人は少なくとも18個の単系統クラスターに分類されるが,5集団からの系統は各クラスター中
	に完全に混じりあっていた。各クラスターの中で最大数の個体が由来した集団を基にして,18のうち14のクラスターに関し
	てはその特異性を割りあてることが可能であった。

	注目すべきは,琉球人やアイヌでは大陸由来の特異性をもつ割合は 20% 以下であるのに対し,本土日本人の 50% が,中
	国人や韓国人が多数を占める大陸由来の特異性をもっていることである。アフリカ人,ヨーロッパ人およびアメリカ先住民を含
	む現代人全体の系統分析からも,本土日本人と韓国人は遺伝的に最も近い関係にあることが明らかになった。

	これらの結果は,現代日本人の起源についての縄文・弥生混血説と合い入れるものである。さらに本土日本人の遺伝子プールの
	約 65% は,弥生時代以後に大陸からもたらされた遺伝子に由来していることが示唆された。」
	(宝来教授ホームページより。)



	この結果をふまえれば、我々現代日本人のルーツは韓国なのである。もちろん中国・モンゴル・東南アジアの血も混じっている。
	しかし、圧倒的にその形質を受け継いでいるのは韓国からと言う事になる。「任那」も日本人が支配していたのではなく、日本
	人と同じ民族がいたのである。あるいは北九州・西日本に伽耶人がいたと言い換えてもいい。だからこそ、弥生時代を過ぎて古
	墳時代に入ってからも、伽耶・新羅からの渡来は引きも切らず行われ続けたのだろう。
	我々「歴史倶楽部」のメンバーは、これを検証すべく「日本人の源流を求めての旅、第一弾」として「伽耶・新羅」を選んだ。
	呼応して、NHK Special 番組が取り上げている今のテーマも「日本人はどこから来たか?」であり、これは結成以来5年目
	を迎える我が歴史倶楽部のテーマでもあるのだ。
	我々は政治結社ではない。また特定の分野における経済効果を期待する集団でもない。稚拙ながら、純粋に歴史愛好の会員が集
	まって真理に迫ろうとの志で活動している、いわば単なる「好き者」の集まりである。しかし日韓両国が、より友好的な関係へ
	進む事を祈念している集まりである事は確かだし、偏見や矮小な意識は捨てて、日韓両国を対等な関係にある国として、その関
	係史を学びたいと切に願っている。

	このHPは、そんな我々が日本人の源流を求めて旅立った、最初の、そして真の意味での「修学旅行」である。我々が目的を達
	せられたかどうかは、HPをじっくりとご覧いただいて、貴方自身にご判断いただきたい。



到着した、そして離陸した金海国際空港。日本語ではキメと書くが発音は表記にあるように、「ギンメ」に近い。





	以下の行程表の中にある、ツアー(XXX、XXX、・・・)の部分をクリックしてください。訪問先のレポートです。各頁の再下段
	にある「戻る」「進む」をクリックする事で、「金海貝塚」から順番に遺跡・旧跡巡りをする事もできます。真ん中の「邪馬台
	国大研究」のバナーをクリックしていただければこの頁へ戻ってきます。それではごゆっくりどうぞ。
	なお、全部のページをご覧いただくには、ISDN 64Kbpsで約40分〜60分ほどかかります。

   
2001年10月11日(木曜) 9:45発韓国金海(Kime)空港行きJAL
  11:00 同空港着、ガイド張(チョン)さん出迎え
  12:00 空港側の食堂にて石焼きビビンバ昼食
  13:00 ツアー(金海貝塚金海博物館首露王陵礼安里遺跡
  18:00 洛東江を渡り、トンネルを抜けsoraboneホテル着(釜山)
  19:00 焼き肉にて夕食(釜山)
  20:00 釜山タワーに登って釜山の夜景見物。ホテル周辺観光
   10月12日(金曜) 8:30出発 慶州に向け、高速を走る。 ツアー(福泉洞遺跡・同博物館
  12:00 三鶏旦にて昼食
  ツアー(武烈王墓鮑石亭三位石仏瞻星台仏国寺
  18:00 慶州コーロンホテル着、温泉を楽しむ
  19:00 同レストランにて慶州寄せ鍋夕食(歌舞・演舞付き)
  20:00 同バーにてフィリピン歌手のショー見学
   10月13日(土曜) 8:30 ツアー(文武大王水中陵感恩寺跡三層石塔石窟庵
  12;00 韓国家庭料理定食にて昼食
  ツアー(王陵公園・天馬塚慶州博物館芬皇寺・皇竜寺跡
  16:00 釜山へ帰還の途につく
  18:00 soraboneホテル着(釜山)
  19:00 チョンさんを断り、自分らで日本料理屋を見つけ夕食
  20;30 釜山市内見学、JAZZレストランにてafter supper drink。
   10月14日(日曜) 9:30 ホテル出発
  10:00 空港横のみやげもの屋に入る。
  10:30 空港着
  12:00 関西国際空港行きJALにて金海空港出発
10月11日−14日 全旅行中のスナップを見る。


<参考資料>


邪馬台国大研究・ホームページ/ 歴史倶楽部 /−韓国旅行−