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98年7月 三内丸山遺跡資料館








青森三内丸山遺跡の資料館は、遺跡の敷地内にある。まだ発掘済み遺跡は50%程度だと言うし、資料館内部は夥しい遺物で埋まっているし、資料館そのものも仮住まいの様相を呈しているので、しばらくするとDELUXな建物に建て変わるのかもしれない。
とにかく、これまでの発掘で出土した遺物がところ狭しと展示してある。あまりの量にメモを取る気力もなくなる程だ。しかしここの遺物には驚かされる。なんでこんなものが7000年も前に、と思ってしまう。
三内丸山遺跡は、紀元前5000年程前から1500年間にわたって人々が暮らしていた、完全な縄文遺跡である。にもかかわらず、石器もあるし弥生土器の様な形をした器もあるし、高床式の住居もある。大型建造物もあり、子供用と大人用に区別された墓群も発見されている。石器時代から弥生時代前期までをゴッタ混ぜにしたような遺跡なのだ。ここを見学していると、考古学ファンならずとも、太古の人々の暮らしぶりに思いを馳せ、その悠然とした生き方に共鳴している自分自身を発見するに違いない。

左写真の、巨石後ろに並んでいるのが資料館。この石碑は遺跡の北の入口近くに建っている。





三内丸山遺跡の発掘現場全体(上)と、それの復元想像図ジオラマ(下)。



	下は、発見された建物跡穴から想像される建物の復元模型。6個の巨穴が整然と並んでいた事から、物見台のような建物で
	あったろうとされる。遺跡現場に復元されている巨木は、ロシアから輸入したもの。

























土器も夥しい数で出土している。現在も復元作業中のものもたくさんある。全国的にも珍しい漆塗りの土器も出土した。









板状の埴輪。これも、山ほど出土している。縄文人の平素の関心事は何だったのか?












	漆の技術が縄文時代に広く発達していた事もこの遺跡で初めて確認された。篭(かご)の編み方は現代と同じ網代編と呼ば
	れる手法であった。









ゴミ捨て場からはあらゆる種類の食物の骨が出土する。海の幸は実に豊富な魚介類を食べていたらしい。クジラの骨も出土している。





下左は丸木船の遺跡写真。こんなものでクジラを追っかけていたのだろうか。下右は三内丸山遺跡地層の断面。

 





 


	資料館の入口(出口?)に作業部屋があり、中の作業がガラス越しに見えるようになっている。トレースや張り合わせや、
	各種整理作業に従事しているのは、白衣を着た若い女性ばかりである。彼女らの手になる復元物が、やがて又たくさんの見
	学者達の目に触れる事になるのだろう。ヒョイと大阪から飛んできて、青森の色々な場所を見て回り、5000年前の遺跡や遺
	物を「ホォー、ヘー」などと言いながら見て歩く事が出来るのも、みんな彼女らのような地道な作業をする人達のおかげな
	のだ。感謝、感謝。

 



 



 




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