Music: 夜明けのスキャツト(由紀さおり)

3姉妹遺跡展
2001.5.13 第51回歴史倶楽部例会



		1999年 1月21日 姉妹遺跡締結 FNNニュース

		長崎・福岡・佐賀の北部九州3県の知事による意見交換会がきょう行われそれぞれの県の3つの遺跡の姉妹縁組に調印し学術交流を進め
		ていくことなどを確認しました。今年度の北部九州3県懇話会はきょう福岡県飯塚市でおこなわれました。この中で福岡県の平塚川添遺
		跡佐賀県の吉野ヶ里遺跡長崎県壱岐の原の辻遺跡の3つの遺跡を姉妹遺跡とし学術研究や観光などの面で3県が積極的に交流を進めてい
		くことを確認しました。3つの遺跡はいずれも3世紀・弥生時代後期の大規模な環濠集落の跡で国の史跡の指定を受け現在、歴史公園と
		して整備が進められています。会合の後、早速姉妹遺跡締結の調印式が行われ「新たな地域連携の促進をはかり、地域活性化の起爆剤に
		したい」と今回の合意の意義を改めて確認していました。今回の姉妹締結を受け今後3県による古代史研究に関する情報の交換や共同シ
		ンポジウムの開催、共通パンフレットの作成などが行われる予定です。 

 

 

 




		[1999年8月5日(木)]長崎新聞 壱岐で3遺跡交流こどもフォーラム

		九州北部3県姉妹遺跡締結記念「3遺跡交流こどもフォーラム」(同3県など主催)が4日、壱岐で始まり、3県の小学6年生約100人と保護
		者約20人が参加した。5日まで。同姉妹遺跡は、わが国の代表的な弥生遺跡である福岡県の平塚川添、佐賀県の吉野ケ里、壱岐の原の辻
		遺跡の提携によって、学術や県民交流を図ろうと3県知事サミットの提唱で今年1月に締結された。
		1日目の4日は芦辺町クオリティライフセンター「つばさ」で開会式。木村道夫・長崎県教育長が「3県こどもフォーラムが有意義に行われ、
		3県姉妹遺跡が地域活性化につながるように」とあいさつした。子どもたちはこの後、土器の復元や原の辻展示館の見学、遺跡の発掘調査
		などに挑戦。弥生時代にタイムスリップして交流を深めた。  




弥生時代の北九州3大環濠集落跡遺跡展
《原の辻・吉野ヶ里・平塚川添遺跡出土品》



「平塚川添遺跡」関係は、別コーナーとして独立させています。そちらを御覧ください。

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		【環濠集落】
		弥生時代の大規模な集落には、その集落を取り囲むように壕がめぐらされている。これを環濠集落と言うが、これは縄文時代には見受け
		られず、また古墳時代には弥生の名残として残るだけで、弥生時代の大きな特徴となっている。
		環濠集落は弥生時代の中期(紀元前2世紀頃)に増加し、これらのうち特に大きなものを巨大環濠集落と言い、複数の集落を統括するセ
		ンターのようなものと考えられる。小規模な環濠集落は九州から関東地方に渡って見受けられるが、巨大環濠集落は西日本、中でも北九
		州に集中している。この時代は水稲農業が本格的に開始された時期で、耕作地や水をめぐる紛争、また石器や鉄器などの資源をめぐる戦
		い、貯蔵された穀物を狙っての窃盗行為など、縄文時代には無かった「争い」が開始された時代でもある。
		一般的には、環濠は集落の平和を脅かす外敵への防御施設と見られている。環濠で囲まれた空間に首長と民が共に住み、集団全体の守り
		を固めていたと思われる。巨大環濠集落は弥生時代中期中頃に登場し、多くの場合、紀元200年頃の末期には衰退へ向かう。弥生時代終末
		期から古墳時代初期には、首長の居住区だけを壕や柵列で囲み、防御施設を備えた居館が出現する。首長居館が独立すると、一般農民は
		別の場所に分散して小さな村々を作るようになる。同時期の首長の墓は、共同墓地とは隔絶した丘陵の高みに独立して築かれるようにな
		り、弥生時代を通じて獲得した大きな権力が巨大な古墳を造営させるようなる。争いは沈静化するが、権力が集中するのである。
		時代は弥生から古墳へ移行する。






























邪馬台国大研究・ホームページ/ 甘木歴史資料館 /chikuzen@inoues.net