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指宿市歴史資料館 時遊館 COCCOはしむれ 2000.9.17(日)







 





【南九州 縄文・弥生・古墳の遺跡を訪ねて −橋牟礼川遺跡−】


	橋牟礼川遺跡は日本のポンペイである。
	火山の噴火によってその日の生活が突然絶たれ、村や人や道具や道が、そっくりそのまま火山灰の中に閉じこめられてしま
	った。時を隔てて何度にもわたる噴火のため、幾時代にも渡ってその生活の痕跡が地中に残っている。旧石器時代から、縄
	文時代、弥生時代、古墳時代と、何年にも渡って「開聞岳」は活動を繰り返し、そして「死火山」となった。そんな時代を
	異にする遺跡の中には、文献上に記された記録からぴったりこの日だと特定できる層もある。こんな遺跡は日本中でもここ
	だけである。文献学と考古学がぴったり一致した特筆すべき遺跡なのだ。 またこの遺跡は、日本で初めて「縄文時代」と
	「弥生時代」の時代区分を立証した記念碑的な遺跡でもある。それは火山灰により、時代がくっきりと別れていたため可能
	となった。その時死んでいった人々や動植物には申し訳ないが、おかげで我々は古代の生活の有り様をそのまま実見できる。

	指宿市立歴史資料館「時遊館 COCCOはしむれ」は、そんな橋牟礼川遺跡から出土した遺物群を展示してある。遺跡の
	すぐ近くに建てられており、中には軽食堂や関連 GOODSのSHOPもあり、時間を決めて遺跡についての映画も上映してい
	る。また。動くジオラマで、噴火前後の生活の様子を生き生きと体感することもできる。




  











 


	土を焼いて堅くなった物は容易に壊れない。熱にも強い。いったい人類はいつ頃そのことを知ったのだろう。現代でもスペ
	ースシャトルの耐火防壁はセラミックスである。古代と現代を結ぶ技術の核は同じなのだ。今のところ最古の土器の製造は
	日本で行われており、約10,000年ほど前と言われている。土器の発明により、食べ物のバリエーションは飛躍的に拡大し食
	生活は向上した。我が家にもあるセラミックス鍋も縄文土器の延長上にあるのだ。

 

 

 

   

 








	日本食と言うが、その材料の殆どは長い期間をかけて海外から日本に入ってきたのである。在来の日本種の植物などは数え
	る程しかない。イネを筆頭に、ムギ、ダイズ、ソバ、ウリ、ナス、キュウリ、カボチャ、あらゆるものが海外から栽培技術
	とともに渡来してきた。魏志倭人伝には「ミョウガ」「ミカン(橘で、食べられるミカンではないという説も。)」等は自
	生していると書かれている。

 

 

 



 







 

 

 

 

 

 






	鉄の発見、鉄器の使用もまた人類に大きな可能性を与えた。太古にあっては「火」、上古にあっては「鉄」、そして現代で
	は「Computer」が人々の生活を一変させた。



 

 

 

  









 

 










 

 

 


	上は古代馬の前でポーズを取る(?)河原さん。下は館内食堂で昼食に食べた古代黒米のカレー。古代人のおじさんが椅子
	に腰掛けて迎えてくれる。
	下右の黒い粒が黒米。白米が黒米の色で黒っぽくなっている。全部黒米では食べられない。黒米は歯触りは白米と同じだが
	味がないような感じだった。

 





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