同志社大学田辺キャンパスは京都府南部、かっての京都府綴喜郡田辺町(現在は京田辺市)にある。一寸行けばもう 奈良県で、どちらかと言えば田舎の山の中である。地価と物価の高騰に耐えかねて同志社は京都市内からここへ移っ て来た。国や近畿各県は、田辺周辺を「学研都市」として学校法人、公私企業の研究機関等を誘致し、ここに一大テ クノランドを建設しようとしたが、今のところ関東の筑波に比べて成功しているとはいいがたい。企業がなかなか参 加しなかった所にもってきてバブルの崩壊である。今後の展開は一層厳しいものがある。しかし同志社にとっては良 かったかもしれない。筑波のような無機質で金属音のするような街になるより、純朴な田舎の風の中で学問を行うほ うがより人間の為になる学問が出来るような気がする。キャンパスは広大でほぼ山一つを切り崩しているが、このキ ャンパス内にも多くの遺跡があった。田辺天神山遺跡、下司古墳群、大御堂裏山古墳、中世の居館跡郡等である。 継体天皇が楠葉の次に都を置いたという筒城宮(つづきのみや)跡の伝承地もCampus内にある。
歴史館はキャンパスの北西の端にあり、同志社大学文学部考古学研究室と同志社大学校地学術調査委員会の、長年に 渡る調査研究の成果を展示している。それらの考古資料に加えて、研究者や校友から寄贈を受けた考古・民俗資料の うち主要なものも展示されている。又、同志社と言えばこの人というほど、すっかり同志社の顔となった考古学者、 森浩一氏も勿論このキャンパスに研究室がある。最近同氏は同志社大学の名誉教授になったようだ。
第一展示室には、鳥浜貝塚(縄文)、観音寺山遺跡・田辺天神山遺跡(弥生)、園部垣内古墳、井辺八幡山古墳・下 司古墳群(古墳)などの旧石器から古墳時代の資料とともに、明治・大正期に、古代の日本を研究し、海外に紹介し たN.G.マンロウ関係の資料も展示されている。
下右の土器は、勿論実用品として大いに煮炊きや盛りつけに用いられたのだろうが、見ていて何とも言えない味わい を感じさせる素晴らしい器である。
下右のガラス製品(複製)は、森浩一氏が昔発掘した奈良県千塚古墳から出土した皿と深鉢。本物は上野(東京国立 博物館)に持っていかれた。
下の装飾器台は、渡来人の古墳や渡来系住民の住居跡などには必ずといっていいほどある。この装飾ばかりを集めて その意味を研究している人もいる。
下の埴輪は従軍する兵士の出で立ちだが、見ていて何かほのぼのとしたものを感じる。埴輪というのはどうしてこう 牧歌的なのだろう。なかには超リアルな写実的に造作したりしたものがあっても良さそうなものだが、日本全国どこ へ行っても同じような造りである。不思議だ。
ボコッとくぼんだ眼の奥に宇宙が見える。1000年、2000年の人々の喜びや悲しみや苦しみがこの穴の中に詰まってい る。
第二展示室には、考古学研究室が重点を置いて取り組んできた製産遺跡(漁労、製塩、製鉄、窯業など)関係資料、 校地学術調査委員会により調査・研究が行なわれてきた、今出川・新町キャンパスを中心とした中・近世の京都関 係資料、堺市大野寺土塔出土の文字瓦を中心とした文字資料などが展示されている。