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兵庫県立歴史博物館

兵庫県姫路市 99.10.2






	大阪から姫路は近い。JRの新快速に乗れば1時間ちょっとで着いてしまう。ほぼ、神戸まで20分、明石まで40分、姫路が
	60分という勘定だ。兵庫県の県都は神戸だが、姫路も立派な街である。何と言っても、国宝で世界遺産にも登録されている
	姫路城がある。この城は何時見ても美しい。ほれぼれする。「兵庫県立歴史博物館」はこの姫路城の隣に建っている。博物
	館の1階から2階へ向かうスロープは全面大ガラス窓だが、ここから姫路城が大きくきれいに見える。(写真は逆光で少し
	くらいが実見では素晴らしかった。)

 


	時節柄「元禄繚乱展」をやっていて、通常400円の観覧料が1,000円も取られた。常設展だけでいいと言ったのだが、それは
	出来ませんと言われてしまった。大抵の博物館では2つは分けてあるのに、ここは一緒だ。要りもしないSOFTがゴタゴタと
	プレ・インストールされていて高くなってるパソコンみたいで、なんかスッキリしない。物理的には1階と2階で別れてい
	るのだから、やろうと思えばできるはずだ。ひとえに運営側の姿勢にかかっている。

 

 


	旧石器時代の石器の多くは打製石器と呼ばれ、石を打ち欠いて作ってある。石器は細かく見れば用途毎に使い分けられてい
	て、刃の付け方や握りなどを、考えて打ち欠いている。博物館に行くと一般にはわかりにくい用語で分類してあるが、その
	意味は以下のようなものである。

	ナイフ形石器・・・・・皮や肉を切るための石器。
	削器(さっき)・・・・・・木や骨を削るために用いた。
	掻器(そうき)・・・・・皮をなめす石器。
	尖頭器(せんとうき)・・・・・槍の先に付ける鏃。
	彫器(ちょうき)・・・・・錐(きり)として用いた石器。

	兵庫県だから当然、西八木海岸で発見されたいわゆる「明石原人」の腰骨のレプリカも展示されている。私の見解では「原
	人」ではなく「旧人」だろうと思うが、「現代人」の骨だとする学者も未だ存在する。

 


	板井寺ケ谷(いたいてらがだに:下右が推定復元画)遺跡は、篠山盆地の北部の宮田川西岸に位置している。旧石器時代の
	遺構・遺物は火山灰層(AT)を挟んだ上下2層で見つかっており、上層は約2万年前、下層は約2万5千年前と考えられ
	ている。

	下左は、豊岡市の中谷貝塚(縄文中期中頃から晩期。4500〜2500年前)。ヤマトシジミが殆どだが、ハマグリ、マガキなど
	15種類ほどの貝類が混ざって出土。ニホンジカの獣骨、石器、土器も混じっていた。兵庫県下では数少ない貝塚の一つ。

 

下右が中谷貝塚から出土した遺物群。左は、兵庫県下の縄文遺跡から出土する石器群。




	縄文時代になると様々な調理法を編み出して食事をとるようになるが、その為に多くの土器が製作された。土器の発明は人
	類に取ってそれまでの文化をガラリと変えた「世紀の大発見」なのである。これにより、あぶる、蒸す、焼く、煮るといっ
	た方法で調理が可能になった。土器の基本的な形は、主に煮沸を目的とした深鉢が多く、地域や時期によって様式も異なる。
	住居と同じく、地方によっては土器の形式にも流行がある。一般に縄文時代は「縄の痕を付けた土器」の時代、というので
	有名だが、出土する土器の大半は縄目のない土器である。
	下左写真の土器は、左から、外野柳遺跡(縄文中期)、今宿丁田遺跡(後期)、香山遺跡(縄文晩期)出土の深鉢土器。	
	下右は、間宮町の別宮家野遺跡から出た押型文土器(縄文早期)。

 

 





下の壺型土器など一連の出土物は玉津田中遺跡からのもの。





下左右とも玉津田中遺跡の遺物。左には木製と石製の稲穂摘具とその復元品が展示されている。

 



下も玉津田中遺跡出土。

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 





この博物館では、AV装置による歴史解説や遺跡紹介が充実している。指でタッチするMENU方式で多彩な解説を見る事が出来る。


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