関西大学博物館 〒564-8680 大阪府吹田市山手町3丁目3番35号 TEL:06-6368-1171
【博物館概要】 関西大学博物館は、昭和29年故末永雅雄名誉教授が設立された考古学資料室を前身として、平成6年4月博物館法に基づ く博物館相当施設として開館いたしました。 収蔵している資料は、元大阪毎日新聞社社長本山彦一(松陰)氏が収集した資料(本山コレクション)を本学が譲り受けた ものが中心となっています。その中には元東京人類学會の初代会長であった神田孝平氏の学資史的に著名な考古資料(神田 コレクション)も含まれており、学会の注目を集めています。その他、本学の発掘調査や購入、篤志家の寄贈によって加え た資料をあわせて約15,000点(重要文化財16点、重要美術品12点)の考古・歴史・民族・美術工芸・自然科学等の資料 を所蔵しています。 また、当博物館は、大学の教育研究施設として、考古学・歴史学関係科目や博物館実習などの授業を行っている他、生涯教 育の場として公開講演会や公開講座等を開催しています。(博物館配布パンフレットより)
この博物館には、日本の先史時代から歴史時代に至る発掘資料が展示されている。展示室は第一と第二展示室に分かれてお り、第一展示室が上記の資料群、第二展示室が、海外の考古資料と高松塚古墳発掘の資料で埋められている。第一の方の考 古資料は全国から収集されたものが並んでいるが、中でも大阪府藤井寺市の「国府(こう)遺跡」から出土した遺物が多い。 この遺跡は、約20,000年前の旧石器時代から、縄文墓群、弥生集落、古代寺院、国府跡等々が残り、その後も連綿と人々の 生活痕が確認できる複合遺跡である。この遺跡からは、大正年間の発掘で縄文土器、弥生土器とともに、縄文から弥生にか けての人骨が80体以上出土しており、人類学の見地からも有益な資料となっている。昭和33年旧石器が発掘され、この 地は2万年前より人類が活動していた事が判明し、大阪府下の代表的複合遺跡となった。また神社祭祀跡、寺院、国府跡等 が発見されたが、国府という名前は、いにしへの河内国府を連想させるも、志紀郡内には他にも国府跡を思わせる地名が幾 つかあり、確定していない。 この博物館には国府遺跡出土の「けつ状耳飾り」や丸玉、縄文式土器、弥生式土器などが展示されている。また、奈良県天 理市渋谷出土の「石枕」など、16点の重要文化財指定品がある。故末永雅雄関西大学名誉教授の復原による古墳時代甲冑 資料もある。
★国府遺跡★ 上記写真は、「郷土の文化財を見学する会」で藤井寺の史跡めぐりをした時のもの(「遺跡・旧跡めぐり」の「古市古墳群」 に収録)。現在は石碑と数個の礎石等を残すのみ。
【石器(青龍刀形石器)】 中国の青龍刀に似ていることからこう呼ばれるが、この命名は江戸時代である。現在もこの名前で呼ばれるが、この石器も 用途不明である。この博物館には3点の青龍刀形石器がある。いずれも縄文前期末から中期前半と考えられている。
【石器(石棒)】 縄文時代の磨製石器の一種で棒状をなしている。各地で出土する石棒は様々な形態をもっており、彫刻が施されたものもあ る。その用途については諸説有り、呪術的なもの、殴打具、権威の象徴、などと解されるが、一般的には信仰の対象という 説が有力なようだ。この博物館のものは、いずれも出土地未詳である。
【土偶】 土偶はほぼ縄文時代全般を通じて各地で製作されている。この博物館には青森県亀ケ岡遺跡からのものもある。土偶もその 制作目的ははっきりしない。玩具説、病気の片代(かたしろ:身代わり)説、呪術の祭具等々の説がある。
【骨角器】 縄文晩期の遺跡として知られる岩手県大船戸市末崎町細浦及び気仙郡三陸町綾里より出土したもの(下中)。 骨角器は、鳥獣・魚類の骨を加工して製作するもので、釣り針、銛のヤス等が多いが、場所によっては針ではないかと思わ れるものもある。釣り針は「返り」を持ち、現在の釣り針と変わらない。この形態の針は、仙台湾から三陸海岸にかけての、 縄文後期から晩期の貝塚からの出土例が多いとされている。