Sound: A Taste of Honey

葛城市立歴史博物館 奈良県葛城市 2005.2.26(土)




	
	「極楽寺ヒビキ遺跡・二光寺廃寺」の発掘調査・現地説明会にきたおり、二光寺廃寺から出た「せん仏」がここに展示して
	あるので、説明会を聞いた後に寄ってみた。せん仏は例によって撮影禁止で、3っあったガラスケースのいずれにも係員が
	ビタリと張り付いて、盗み撮りするやつは許さんぞとばかりに目を光らせていた。

	もう撮影禁止については言い飽きたきらいもあるが、文化行政・分野に携わる季刊がこれでは、日本の文化度の向上は、ま
	だまだ先が思いやられる。





駅から博物館へ向かう河内さん(の背中)。中年の悲哀が背中に漂う。







	
	「葛城市なんかあったっけ?」と思ったのもどうり、この市は平成16年10月1日に出来たばかりの市だった、奈良県で
	は11番目の市となる。平成の大合併によって、奈良県下で誕生した一番最初の行政区だ。もとは北葛城郡新庄町と當麻町
	だった。この博物館も「新庄町歴史民俗資料館」だったところである。

	新庄町周辺は、古代葛城の県の中心地であったと推測され、忍海の地名とともに記紀にしるされている。市内各所に古墳が
	残る。

	屋敷山古墳   三ッ塚古墳   芝塚古墳    首子古墳群  太田古墳群   只塚廃寺   竹内遺跡   竹内古墳群
	鳥谷口古墳   塚畑古墳    的場池古墳   鍋塚古墳   二塚古墳    兵家古墳群  平林古墳   北花内大塚古墳  



	
	「新庄」の名が古文書に出てくるのは、関ヶ原合戦のあと、慶長5年、桑山修理亮一晴が、紀州和歌山城より国替えになり
	屋敷山に城を構え、新庄の町割りをしたということが「桑山氏系譜」にしるされている。桑山氏入居以前は、布施郷と称し、
	布施氏が葛城山中腹に城塞を築いていた。その氏寺は、寺口の置恩寺であると伝えられている。この布施氏は、大阪夏の陣
	で筒井氏の傘下として大阪城入りして豊臣氏と運命をともにした。桑山氏失脚後、この地は郡山藩、櫛羅藩あるいは天領と
	なり、明治を迎えた。明治4年の廃藩置県の後、大阪府、堺県、奈良県と管轄が変遷しました。その後、大正12年8月3
	1日、新庄村は新庄町となり、15大字で構成される北葛城郡南端の大きな町となった。当時の規模は、人口5,649人、
	総戸数978戸だった。さらに新庄町は、昭和31年5月3日に、南葛城郡忍海村と郡を異にして合併した。同年7月10
	日に大字東辻、北十三を御所町に境界変更、そして昭和32年10月2日、大字柳原、出屋敷、今城を御所町に境界変更した。

 

	
	一方の當麻町は、昭和31年(1956)磐城村と當麻村が合併して當麻村となり、昭和41年(1966)當麻町となった。新庄
	町の南にあり、金剛生駒連峰の連なる二上山のふもとにある。奈良時代から白鳳文化発祥の地として開け、その当時の文化
	遺産である當麻寺、日本最古の石仏が発見された牡丹で有名な石光寺、そして日本の国技、相撲の開祖「當麻のけはや」塚、
	相撲館などが文化財として残る。










 













 





 

 







 

 



































 







 

 



		
		<葛城市立歴史博物館>

		施設概要	所在地 葛城市忍海250番地の1 
		敷地面積	6,375.43m2 
		建築面積	1,383.12m2 
		延床面積	2,161.96m2 
		構 造  	鉄筋コンクリート造地上2階 
		開 館  	平成12年11月17日 
		設計管理	(株)桝谷設計 
		施 工 		村本建設(株)(株)鍛治田工務店
		特定建設	工事共同企業体 
		展示設計
		施工 (株)	乃村工藝社 
		総事業費	19億3000万円 





	
	ここを出た後、橋本さん、河内さんと3人で忍海駅前の中華料理屋で反省会をした。バイトのウェイトレスのお姉ちゃんが
	めちゃくちゃ美人で驚いた。どうしてこんなところに! と思ったが、橋本さんは「人妻ね?」とか聞いていた。まだ雪は
	降り止まず店を出たら、金剛山、葛城山は真っ白に雪化粧していた。明日は歴史倶楽部の第94回例会で淡路島だ。




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