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三島市郷土館

旧石器・縄文時代







	   箱根山西麓は旧石器遺跡や縄文遺跡の宝庫である。山中のいたるところで古代人たちの生活を偲ばせる居住跡
	   や石器や土器が発掘されている。初音ケ原や北原管、徳倉片平山、観音洞等の遺跡が発掘調査され、旧石器時
	   代(先土器時代)の三島の様子がだんだんと明らかになるなど、大きな成果をあげているし、平成元年に発掘
	   された、標高556mにある山中城三の丸跡の旧石器時代遺跡(14,000年前)は、石器の製作地であっ
	   た事が明らかになっている。

 


	   豊かな自然環境を整えていた箱根山麓で、古代の人々は狩猟・採集を生活の基盤として山を拠点としながらも、
	   時には海や川に出て漁をする移動生活を行っていたものと思われる。富士山からの豊富な湧水を稲作に利用で
	   きるようになって、人々は生活の拠点を山から里へと移す。人々が大量に三島の里に移り住んできたのは、水
	   稲生活の始まった弥生時代になってからである。このころになると、人は水害との戦いに勝利し、豊富で清潔
	   な水辺で、農耕生活を繰り広げたものと思われる。



 


	   箱根旧街道松並木の両側に拡がる初音ケ原遺跡からは、27,000年前の土坑が14基発見された、総延長
	   75mに渡って弧状に連続しているのは全国的に見ても例が無く、その用途ははっきりしていないが、動物捕
	   獲の落とし穴と見られている。



 

 







 

 

 






	   現在「箱根の里」が建っている「北原管遺跡」は、先土器時代の石器(槍先形尖頭器、ナイフ形石器等)がた
	   くさん出土したが、この遺跡は続く縄文時代にも狩り場として使われたようで、落とし穴7基が発見されてい
	   る。

 



 




	   写真は、観音洞遺跡の住居跡から完全な形で出土したもので、高さ19cm。鉢の縁のところに橋状の釣手が
	   取り付けられた特殊な形をしている。釣手土器は縄文時代中期に作られたもので、主に東海地方東部や中部・
	   関東地方に分布しており、これまで200個ほどが発見されているが、静岡県内では5個しか見つかっていな
	   い。長野県井戸尻遺跡は、91軒の住居跡が発見され、400個の土器が出土したことで有名だが、ここでも
	   釣手土器は僅か4個しか見つかっていない。おそらくは、1つのムラに1個というように、ムラの祭りに関わ
	   る祭祀具だったのではないかと考えられる。
	   長野県の考古学者で釣手土器を研究した藤森栄一は、この土器を「神の火を灯すランプである」と評した。
	   事実、土器の内部には煤がこびりついており、脂肪酸分析の結果、モズ、キジ、ニホンジカ、イノシシの脂を
	   燃やしたことが明らかになっているので、縄文時代のランプであったことは間違いない。

 










	   千枚原遺跡は、箱根山麓で最も大きな縄文時代の集落で、昭和38年に発掘調査が行われ、17軒の住居跡が
	   発見された。今から4千5百年前頃、箱根山の豊かな動植物資源を背景に狩猟と植物の採集、沢地川での内水
	   面漁労によって生活していたムラと考えられている。





 

 

 






	   この住居跡は、長さ6mほどの大きさで、川原石で作られた囲炉裏と6本の柱穴があった。入り口方向の柱穴の
	   側には深さ70cmの大きな穴があり、その中に、底に穴のあいた大甕が逆さまに埋められていた。

 

 



 




	   上の絵は、千枚原遺跡から発見された住居跡を元にして、当時の暮らしを復元して描いたもの。当時の住居は、
	   地面を50cmほど掘り込んで作られた竪穴式と呼ばれる住居で、18畳ほどのワンルームである。床には干
	   し草や毛皮が敷かれ、屋根は草葺きだったと思われる。囲炉裏の火棚では冬に備えて沢地川で捕獲された魚が
	   燻製にされ、ドングリやクリ、トチノミなどが集められている。



 



 

 


	   縄文土器は、およそ600〜800度の温度で焼かれた素焼きの土器で、中期になると装飾も立体的、躍動的
	   となる。内面も水が漏れないように丁寧な仕上がりとなっている。

 

 

 




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