弥生時代になると、稲、ムギ、ヒエ、アワ、キビなどの穀物の栽培が始まった。三島での弥生人の集落は、 およそ2,000年前の中期後半と見られている。箱根の台地にあった縄文時代の集落は消え、平地の境川 や御殿川流域が新しい集落の拠点となる。安久や青木、二日町、夏梅木、中島、御園、中、松本、川原ケ谷 などである。稲の推定収穫高は、現在の1/5〜1/6程度と見られ、畑作も大いに行われていた。
三島で出土した弥生土器は壷と瓶が中心で、他に鉢や高杯なども作られた。壷は主に貯蔵用の容器で、種々 の文様が付く。瓶は煮炊きや湯を沸かしたので、多くはススが付着している。
三島市内で最古の古墳は、向山小学校建設に伴って発掘された「向山古墳」である。直径22mの円墳で、 眺望のいい場所の尾根を削って、それに土を盛って作られていた。3mx6m程の棺の跡が見つかり、木棺 は腐っていたが、棺内には鉄剣4本と鉄鉾1本、直刀2本、鉄鏃(てつぞく)が34本束になって発見され た。5世紀終わり頃の築造と見られ、出土遺物は三島市文化財となっている。