からりと晴れた体育の日(来年からはもうこの日ではないらしい)、歴史倶楽部の東江さんと西宮の「辰馬考古館」に 秋季展を見に行った帰り、近くの西宮郷土館を訪ねた。勿論西宮にも太古から人々の歴史がある。石器・縄文・弥生・ 古墳時代を通じて、全国どこに行っても同じような遺物ばかり(石鏃、石斧、木鍬、青銅器、鉄器、装飾品等々)なの は、考えてみれば不思議な気もする。 どこかの地方にひょいと全然廻りと違う文化が発生してもよさそうな気もするが、画一化という日本人の気質は、もし かすると相当昔に形成されたものなのかもしれない。
古墳から出土する土器が全国一様に須恵器だらけなのには全く以て驚いてしまう。 2,300年ぐらいの間に関西から全 国津々浦々に広まっている。弥生時代の稲作もそうである。渡来人のもたらした縄文末期の稲作技術が、わずかの間 に北海道・北東北を除く全国に伝播してしまう。このスピードは尋常ではない。いかに多くの渡来人が縄文人と融和 したと言っても、稲作を教えてその技術を習得させるまでにはそうとうの期間が必要だろう。「攘夷の韓国、開国の 日本」を書いた呉善花(お・そんふぁ)氏は、稲作に宗教的な信仰に似た思いがあったのだろうと言うが、まさしく そうとでも考えなければ理解できないような伝播速度、画一化である。日本人の「均一化・画一化指向」には何かそ うとう根深いものがあるのではないか。渡来人の拡散だけでは無い、何か縄文・新石器と遡る遠い時代にその根があ るのではなかろうか?