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世田谷区立郷土資料館 2004.1.10(土) 



	土曜日朝早く、東京の遺跡を案内してやるという「国分寺友の会」の久保田さんが、前夜から泊まっている新宿のホテルに
	迎えに来てくれた。夕方その会の新年会に参加するので、それまでの間暇だろうと言うのでアチコチと案内役を引き受けて
	くれたのだ。ホテルを出て一番につれてきてくれたのがこの資料館だった。東京にも「郷土」資料館がある!これは驚きだ
	ったし、そこで見た古墳の出土物にも驚いた。東京に古墳!埼玉の古墳は有名で私も一度見に行ったが、東京にも古墳があ
	るとは思わなかった。代官屋敷の敷地内に、縄文時代から弥生時代・古墳時代・中世近世にわたる、世田谷の考古・歴史資
	料を集めてある。展示のほかに、区内の遺跡・文化戝を訪ねる野外歴史教室や歴史講座も開かれているようだ。



 

 




	東京都指定史跡・国重要文化財「世田谷代官屋敷」は、江戸時代に彦根井伊家領世田谷(2300石余)の代官職を務め、明治
	維新に至るまで世襲した大場家が代官役所としても使用していたもの。大場家は大庭景親(おおばかげちか)の子孫と伝え
	られ、室町時代に世田谷吉良氏に仕えた。吉良氏は足利義氏の流れをくみ、西条吉良(のちの吉良上野介義央の系統)と東
	条吉良(大場家の主家)とに分かれている。大場家は、天正18年(1590)の主家滅亡後は帰農して郷士となったと伝えら
	れるが、寛永10年(1633)に、この地が彦根藩領となったとき代官に任じられ、以後明治維新まで代々代官職を継ぎ、領
	内20カ村を支配した。

	代官屋敷跡に資料館があるのだ。下は白州と白州への入り口の木戸。大名家の代官屋敷としては、都内に唯一現存するもの
	らしい。

 

 


	西日本ではこの講はあまりないが、その代わりに「伊勢講」があった。落語の世界などではなく、私の父たちの世代までは
	この集まりがあって、私が子供の頃、父はよく夜からその集まりに出かけていた。母は母で「観音講」に、これまた夜にな
	ってから出かけて、もう我々が寝静まった真夜中に帰ってきていた。勿論もうそのころは実際に伊勢へ行くのは名目で、た
	だ集まっては、飲み食いやおしゃべりに興じていたのだろうが、子供心に、大人は夜あつまるんや、と思ったものである。
	「いせこ」「おかんのんこ」と呼んでいたこの集まりは持ち回りで、我が家で開催される時は、子供達は早めに寝かされた。

	伊勢参りが一般的に行われるようになったのは室町時代以降だと言われている。江戸時代の暦は伊勢神宮が発行し、「御師
	(おんし)」と呼ばれる伊勢神宮の下級神官が全国に手代を出張させて、その暦とお札を配りながら伊勢神宮のPRとツア
	ーの勧誘を行った。そして人々は「講」を組んで陽気に出掛けていったわけだ。つまり「講」の発展は伊勢神宮の営業マン
	達の拡販活動の賜物なのである。伊勢参りは江戸中期から一般に流行した。おおっぴらに旅行が許されてなかった時代には、
	「お参りする。」という宗教的な理由付けを隠れ蓑に、途中で大いに羽を伸ばして観光を楽しんだわけである。特に江戸か
	ら「お伊勢参り」に来た人々は伊勢だけで帰る人は少なく、「ついでに」という口実付きで京都・大阪にも足を伸ばした。
	「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛&喜多八に代表される、江戸からの参詣人たちのお伊勢参り体験は、やがて口コミで庶民
	の間に広まり、一大観光ブームを引き起こした。	

 


	庚申尊天の石柱(上、右端)とその解説(下左)。私の田舎(福岡県)にも大阪にもあるし、江戸にも庚申信仰がある!
	一体この信仰はどんなスピードで日本中に広まったのだろう。実家の近くには2m近い庚申尊天と彫られた大石があって、
	こどもの頃にはよくその上に登ったり、オシッコを引っかけたりしていた。よくバチが当たらなかったものだ。いや、もし
	かしたら今当たっているのかも。「庚申尊天」から「お庚申さま」となって、子供の頃の我々は「おこじんさま」と呼んで
	いた。




屋敷内に併設されている「区立郷土資料館」の入口(上右)。樹齢七十余年の大木・くすのきが聳える。

 

展示室は二階になっており、その階段の前に縄文土器が2つ並んでいる。

 



 




	多摩川沿いの段丘に、まるで蟻の巣のように遺跡が密集している。石器時代から奈良時代まで、川を見下ろして暮らす生活
	はよほど居心地がよかったのだろう。しかし府中に国府が置かれてからは、人々はここから去っていったようである。





 

 



弥生式土器を見つめる久保田さん。

 

このデジカメは軽くて小さいので利便性には富むのだが、ご覧頂くようにマクロ(近接)撮影は全くオソマツ。ろくろく字も映っていない。

 



野毛大塚古墳

さぁ、いよいよ古墳だ。めちゃくちゃ少ない弥生時代の遺跡に比べて、古墳時代はこの地域は活況を呈す。

 

 

 



 



 

最近のレプリカは全く精巧に出来ている。CTスキャンと同じ装置で計測して、わずかなヒビや汚れまで再現する。

 





 









 



 

 



 

 

 

関西ではあまり知らないが、世田谷のボロ市というのは東京では有名らしい。




	東京都世田谷区立郷土資料館

	旧彦根藩世田谷領代官大場家の住居であった大場代官屋敷の敷地内にあり、郷土に関する歴史資料を収集保存し展示してい
	る。所蔵資料は区内を中心とした歴史資料で、石器・土器などの考古資料をはじめ、古文書、民族資料、絵図、写真資料、
	図書等がある。館内にはビデオブース、閲覧室があり、世田谷の歴史を学ぶことができる。なお、大場代官屋敷は都の史跡
	に、主屋と表門は国の重要文化財に指定されている。

	郵便番号 : 154-0017 
	住所   : 世田谷区世田谷1丁目29番18号
	電話   : 3429-4237 
	交通   : バス世田谷線上町駅より徒歩5分。
	開館時間 : 9時から17時 入館は16時330分まで 
	休館日  : 月曜日・祝日・年末年始(月曜日が祝日の場合は、その翌日も休館) 


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