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関ヶ原町歴史民俗資料館
2004.2.22(日曜)



  









 


	JR関ヶ原駅から北西へ約500m。家康最後の陣跡や田中吉政陣跡のある陣場野史跡と通りを隔てて隣接してい
	る。1F展示室右手には関ヶ原合戦の大パノラマがあり、迫力ある音響とナレーションで合戦の逐一を学べる。有
	名な「関ヶ原合戦図屏風」をはじめ、関ヶ原合戦で使用された武具・兜・火縄銃(復元慶長大鉄砲)などが陳列さ
	れている。関ヶ原の1000年前、関ヶ原で行われたもう一つの天下分け目の決戦である壬申の乱についての展示もあ
	る。しかしなんと言っても充実しているのは、関ヶ原の合戦に関連する展示である。本家本元なのだから言うまで
	もないが、合戦の経過が良く分かるようになっていて、関ヶ原の合戦に関しては、ここにまさる資料館はあるまい。

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	入 場 料: 大人¥310 子供¥150
	開館時間: 4〜10月は 9:00〜16:30、11〜3月は 9:00〜16:00。
	休 館 日: 毎週月曜日、祝日の翌日
	問合わせ: 0584-43-2665 関ヶ原町歴史民俗資料館 
	所在地 : 岐阜県不破郡関ヶ原町 JR関ヶ原駅西北400m 
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	関ヶ原合戦図屏風	関ヶ原町歴史民俗資料館所蔵
	6曲1隻 サイズ156.7cm×361.2cm

	嘉永7年(1854)に彦根城(井伊家旧蔵、現・彦根城博物館所蔵)本を直接写した写本。
	もとは大垣城下に伝わっていたという。







 

 

 

 

 

 



 





 


	およそ歴史マニアで、関が原の合戦を知らない人はいないだろう。古代史にしかあまり興味がない私でも、ここ
	には一回来てみたかった。そしてここは壬申の乱の闘いが行われたところでもある。二度にわたって天下分け目
	の合戦が行われた場所なのだ。しかし一般には、戦国の世に終りを告げた、徳川家康と石田三成が激突した合戦
	の地として有名である。

	慶長5年(1600年)9月15日早朝、東西両軍は、前夜からの濃霧のため見通しが利かないここ関ヶ原に陣を構え
	ていた。午前8時頃、ようやく霧が晴れたのを見て井伊直政、松平忠吉がまず出陣して宇喜田秀家の隊に向かっ
	た。これを見た福島正則の隊は先鋒として遅れてはならじと宇喜田の隊に一斉射撃を開始する。これが戦闘の火
	蓋である。先鋒ではないと本田忠勝に咎められた井伊直政、松平忠吉の隊は矛先を島津へ向けた。東軍右翼の黒
	田長政、竹中重門、細川忠興らの隊は一斉に石田三成、小西行長の隊を攻撃。左翼の藤堂影虎、京極高知の隊も
	大谷吉継の隊と交戦。たちまち関ヶ原全体が戦いの中に包まれ、戦いは一進一退西軍がやや有利であった。家康
	は、最初桃配山にあったが、午前10時頃陣場野へ陣を進め全軍を指揮した。
	松尾山の小早川秀秋は、焦った家康に鉄砲を自陣へ撃ち込まれ、あわてて正午頃西軍に反旗を翻して大谷吉継の
	隊を攻撃した。これを見た脇坂安治、朽木元綱、小川裕忠らも小早川に同調し、三方から攻められた平塚為廣、
	戸田重政は相次いで討ち死にし、大谷吉継も自害して果てた。小早川の裏切りで大谷の隊が壊滅すると形勢は逆
	転し、ついで小西行長、宇喜田秀家の隊も敗走し、石田三成の隊も奮闘したがついに敗走した。最後に残った島
	津義弘(維新)の軍は、僅か200に足らぬ兵で義弘を護り、敵中を強行突破して薩摩へ逃げ帰った。戦闘が完
	全に終結したのは午後3時頃だったという。





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