JR静岡駅から「登呂遺跡」行きのバスで15分くらい。終点で降りるとバス停のすぐ後ろに遺跡の碑や高床式建物が 見える。北から南へ歩いていくと、遺跡を一通り見て復元された水田の横に出る。その脇に高床式建物を模した博物館 が建っている。
静岡県静岡市登呂遺跡は、第二次世界大戦中の昭和18年(1943)プロペラ工場を建設中に発見された。古代の田圃の畦 の跡や丸木舟の破片などが出土し研究者のあいだには大きな期待が走ったが、時あたかも敗色の影が濃くなった戦時中 であり、本格的な調査については戦後を待たねばならなかった。 昭和22年(1947)、考古学者のみならず、人類学者、地理学、動植物学、建築学などさまざまな分野からの研究者達で 組織された調査団は、同年から5回にわたる「登呂遺跡調査」を実施し、調査の結果、ここが、12軒の住居跡、2軒 の倉庫跡、約8haの水田からなる弥生後期の村落跡である事が判明した。この辺りは地下水位が高く、そのため多くの 農器具や木製の食器、土器などが良好な保存状態で出土した。 それまで日本では弥生時代の水田跡は未発見であったため、この遺跡の発見は社会的にも大反響を呼んだ。(当時、日 本を含む東アジアにおける水田跡で、この遺跡ほど古い水田跡はまだみつかっていなかった。今から約1800年前)。 また多くの出土物は、当時の農村のムラと暮らしを推測できる物証となった。国会でも調査・保存の予算が超党派で可 決され、敗戦に打ちひしがれた国民に希望の光を投げかけたのである。遺跡は昭和27年(1952)国の史跡に指定され、 昭和30年(1955)静岡考古館が開設され出土品が集められたが、昭和47年に「静岡市立登呂博物館」として生まれ変 わった。
この博物館の1階は、「体験コーナー」として来館者が弥生当時の生活を体験できるようになっている。斧(鉄器)で 巨木を刻んだり、田下駄をはいて水田(疑似水田)を歩いたり、石器を磨いたり等々である。子供達にとっては楽しい コーナーに違いない。学芸員も付いていて、質問にも即答えられるような体制のようだ。多くの遺跡展示館が、時間と ともに色あせていっているのをよく見るが、ここは違うようである。登呂遺跡からの出土物は2階資料室に展示されて いる。
登呂遺跡の住居跡は12軒分見つかっているが、このほかにも住まなくなって捨てられた住居跡が数軒分発見されている。 登呂ムラは洪水で一度に壊滅した様子があるが、住居跡に器財があまり残っていないことから、洪水の後住人が再び訪 れ、器財も持ち去ったとも考えられている。
住居群の中央部分に4本柱と5本柱の建物の跡が見つかった。これらには炉や床や周囲の土手の跡が見つからないので 住居とは違うものと考えられ、最終的に高床式の倉庫の跡と判明した。柱は地下に約1m埋まっており、地表から20〜30 cmのところで全て南東に傾いて折れていた。このことから、北西側から洪水の圧力が掛かって建物が倒れてしまったも のと考えられる。
【交通案内】・JR静岡駅北口バスターミナル4番より 「登呂遺跡」行き終点約20分 または 「大谷」/「久能山下」行き「登呂入り口」下車5分 ・JR静岡駅南口よりタクシー約10分 【開館時間】・AM9:00〜PM4:30 【休館日】 ・月曜日/祝日の翌日/毎月末日/年末年始 【入館料】 ・大人200円、小中学生50円 【所在地】 ・〒422-8033 静岡市登呂5丁目10番5号 登呂遺跡内 TEL:054-285-0476