Music: A Taste of Honey



大阪府立弥生文化博物館

平成9年10月 & Other days

右側の写真は、平成9年10月、妻と大阪府和泉市池上町にある大阪府立弥生文化博物館に行った時のものである。この博物館は、池上曽根遺跡が発掘された時、この遺跡の保持・研究のためすぐそばに建てられた。交差点の角にこの博物館は建てられているが、池上曽根遺跡の発掘現場はその交差点の反対側である。 現在も発掘作業は続けられている。この博物館は、展示物の内容もさる事ながら、その展示姿勢というか博物館ポリシーとでもいうのか、基本的な考え方の部分で非常に好感が持てる。まず、写真撮影が許されている。但し、常設の展示物に限られる。特別展では、写真撮影を許可すると言うと、まず十中八九貸し出して貰えないそうである。 ヨーロッパやアメリカの博物館などは、殆どが写真撮影OKであるが、日本の多くの博物館では、光線により影響を受けない展示物でも頑迷に撮影禁止となっている。これは、単純に館長や学芸員達の頭が古く固いだけの話である。柔軟な発想や、自由な考え方が最も必要な学問の基礎部分に置いてもこうなのだから、日本にビルゲイツが なかなか出現しないのも納得できる。次に、展示物に手で触れるコーナーがある。手触りや重さなどを体感して古代の息吹を感じる事もあるかもしれないと思うと、これは子供達の歴史への興味を高めるいい方法ではないだろうか。貫頭着のレプリカを着て写真を撮ったり、卑弥呼の人形と並んで写真撮影できたりする。 この写真も、銅鐸が鐘だとするとこうやって鳴らしていたのかな、という事を体験できる。お昼休みにはミニコンサートを開催したり、ホールの脇には図書室があって歴史の本やビデオを見れるようになっている。実に意欲的な博物館だと思う。もっとこういう博物館が増えて貰いたいものである。
このホームページの中の、卑弥呼の生活と宮殿、というページの卑弥呼の写真は、実はこの博物館に展示してある卑弥呼の人形の写真である。私の友人など、一体どこの女にあんな格好をさせたのだと言っていたが、実は人形である。誤解に弁明すると同時に、弥生文化博物館には感謝の意を表明したい。左側の銅鐸のレプリカもここに置いてある。



	腕に包帯を巻いているが、来館の一月ほど前に暴走族のバイク(400cc)のひき逃げに会い、肘に水がたまっていた為。ひき
	逃げのアンチャンは2日後に逮捕された。現在は肘も元に戻ったが、メガネを買い換えスーツも捨てた。大阪でのひき逃
	げの検挙率は20%だそうである。

上野にある東京国立博物館は明治4年の開館であるが、この弥生博物館はすこぶる付きで新しい。1991年の開館だから まだ7年足らずである。展示物の内容が上野に比べ見劣りするのは仕方がないが、昨今の博物館事情は複雑であり、博物館 全般が新しい方向を求められている、と言ってもいいだろう。 それはこういう事である。つまり、従来発掘された遺物等は有力な博物館がその経済力で収集してきたが、最近地方都市に も博物館が出現し埋蔵文化財は地方にという方針が強くなった。従って、どこかの博物館に全国のあちこちから遺物が集中 する事はないのである。これは地方の復権と言う視点に立てば、むしろ喜ばしい事なのだろう。 地方の遺跡・遺物はやはりその地方にあったほうがいいに決まっている。大英博物館はエジプトにミイラを返すべきである。 従って、上野のような全国規模での遺跡出土品収集を行ってきた博物館ほど、今後のあり方が問われているのである。東京 国立博物館の安藤孝一企画課長も「埋蔵文化財のあり方が論議されている昨今、国立博物館における考古資料の収集保管、 展示のあり方について、広く国民に問う時期が来ているように思う。」と語っている。 (1998年1月11日朝日新聞社発行:週間朝日百科 日本の国宝46 東京国立博物館6考古)

	大阪府立弥生博物館は、そういう中にあって弥生時代に焦点を絞って建設されたユニークな博物館である。隣接する池上
	曽根遺跡は、2001年には大型高床式建物の復元物等を持った史跡公園として公開される予定になっており、環壕集落や
	竪穴住居も出現するはずである。副館長の吉房康幸氏によれば、将来この史跡公園とタイアップで、火起こし体験、鋳型に
	よる銅鏡製作、赤米種の田植えや収穫、竪穴式住居での生活体験や、考古学技師の指導での発掘体験などを開催したいとの
	事である。又、弥生の祭りを収穫の秋に行って、神殿の前で祈るシャーマン、その廻りで貫頭衣をまとった参加者が歌い
	踊るというような事をすれば、弥生の風物詩として定着するかもしれないと言う。「弥生文化博物館と池上曽根遺跡公園が
	互いに相乗効果を生む事で21世紀には弥生の杜として広く親しまれるようになればと思う。」
	(1997年10月4日大阪府立弥生博物館発行:平成9年秋季特別展 卑弥呼誕生 邪馬台国は畿内にあった?)


	訪問した日、館内のアンケートに答えておいたら2週間ほどして吉房氏より以下のような返事を頂いた。ヘタな字でかなり
	乱暴に意見を書いたような気がするが、氏は丁寧な回答をお返しになった。これまで、美術展や各種展覧会や地方の催しな
	どでアンケートに答えても、宣伝のカタログはいざしらず質問の回答を貰う事など皆無だったので、これには驚いた。
	副館長がこういう人ならこの博物館は大丈夫だろうと思ったものだ。氏の許可を得て原文のままここに掲載する。

	
	拝啓  秋冷の候となりました。
このたびはご来館下さいましてまことにありがとうございます。 アンケートにお答えしたいと存じます。 御説のようにフラッシュでいたむ事は全くありません。ですから海外では殆どノンフラッシュでOKです。 ノンフラッシュなのは他のお客さんに迷惑がかかるからです。当館も開館当初は撮影禁止でした。 その後1年たって、出品者の了解を取り写真解禁にしました。ただ特別展は写真撮影をフリーにするというと 絶対貸してくれません。OKのところもありますが、だめなところが多いので特別展はやむを得ず撮影禁止に しています。ただ卑弥呼の衣装の復元のところは当館で作った展示品ですから撮影OKにしました。 この博物館を作る前、オランダに3年間駐在してヨーロッパの美術館・博物館をくまなく巡りました。 そうした経験から撮影OKにしてきたのです。日本にはまだまだ古い観念、感覚の方が多く、未だに多くの館 では撮影禁止です。 そんな事で特別展の際は撮影をご遠慮いただいております。     敬具。 大阪府立弥生文化博物館 副館長 吉房康幸

<吉房氏並びに南海電気鉄道の掲載許可済み>




この博物館はジオラマが多い。弥生をイメージするのにジオラマは最適である。




滋賀県野洲町で発掘された、日本最大、かつ、最後の銅鐸のレプリカ。製作過程の説明もある。


一番右の写真は復元された弥生犬。デジカメの設定ミスで白黒になったが、展示物は黄土色の素晴らしい毛並みを持っている。




舟の様子を描いた壺のレプリカ。


素晴らしいジオラマだ。弥生の人々の暮らしぶりが彷彿としてくる。




方格規矩四神鏡と内行花紋鏡。




	邪馬台国に興味のある人には是非とも訪れて欲しい博物館である。一度訪問して実見される事をお勧めする。但し、ここに
	展示してある出土物の殆どはレプリカである。実物はそれぞれの博物館にあるので、ここへは持ってこれないのだ。ここは
	「弥生時代」を体得してもらう博物館なので、弥生時代の遺物を見せる必要があるが、殆どは既に西日本を中心とした全国
	の博物館に展示してあるので、しかたなくここでは複製を見る。しかし最近の複製技術は精巧で、見た目は実物とほとんど
	変わらない。だが、池上曾根遺跡からの出土物は本物で、BC52年伐採の樹木などはさすがに迫力がある。






★ 大阪府立弥生文化博物館・案内 ★

【開館時間】午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】毎週月曜日 
【入場料】個人:一般600円 高大生400円 小中生65才以上は無料 
団体:一般480円 高大生320円(団体は20名以上)
【交通】JR阪和線天王寺駅から25分信太山駅下車徒歩7分、または
 南海本線松ノ浜駅下車徒歩20分



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