淀江町は、古代出雲大社を思わせるような建物の絵画土器と、法隆寺にも匹敵する絵画伽藍の址(上淀廃寺)、そして本州 ではここしか出土していない石馬で有名である。この他にも多くの遺跡・古墳が点在しており、これらの遺跡・旧跡は、こ の地がただものではないことを強く示唆している。また近年、淀江町と大江町にまたがる伯耆富士(大山)山麓に、現在の 所日本では一番の規模である弥生遺跡「妻木晩田」が発見されたことで、ますますその重要性が高まっている。 環日本海を代表する古代王国がこの地にあった可能性は、いやまして高いのである。丹後半島の「鉄とガラスの王国」もそ の存在は否定しがたいし、出雲大社にまつわる大国主命と須佐之男命の物語などをみても、日本海側が北九州と並んで大和 朝廷成立以前に、強大な権力と先進の文化を持っていたことはもはや動かしがたい事実のようである。大和朝廷を成立させ た渡来人達は、この地から畿内へ進んでいった可能性も大いにあるのだ。