Music: エーデルワイス





平日の昼間に、大阪から福岡へ飛ぶのは殆どがボンバル機である。私は大型ジェツトよりこの方が好きだ。



今回の帰省は、大学同窓会の評議会と、関西における郷里の親睦団体の市長面談の為である。







神戸市上空。六甲アイランドやポートアイランドが見えている。今話題の理研もあそこにある。







博多湾の島々。能古の島や・・・。



福岡市街が見えてきた。中央に私の大学がある。明日はあそこで同窓会評議会だ。
私は同窓会関西支部長だが、副会長も仰せつかっている。その右側に福岡ドームが見えている。



博多駅対面の全日空ANAホテルに宿をとった。











博多駅からJR原田(はるだ)駅へ行こうとして、駅構内に卑弥呼の博多人形を発見した。七支刀は愛嬌だが。








JR原田駅到着。駅前の案内板を見る。







五郎山古墳の壁画イメージ。6世紀後半の円墳で、直径約32m。装飾古墳。











駅前から案内板を頼りに歩いてゆくと、10分程で古墳の標識に出会う。





正面が五郎山古墳、左側の建物が古墳館である。





満開のツツジの中を古墳へ上ってゆく。2,3分である。




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	五郎山古墳 国指定史跡。

	所 在 地	〒818-0024 福岡県筑紫野市原田3丁目9番(字五郎山)
	発 見 年	昭和22年(1947)3月に、盗掘孔が陥没して石室の一部が発見され、同年11月に、福岡県教育委員会が発掘調査を行った。
	指定年月日	発見直後の昭和24年(1949)7月13日付
	外   形	最高所より少し南に降った丘陵上に位置している。現状では、径約32m、高さ約5.5mと、当地方では最大級の堂々た
			る円墳で、2段築成。
	石   室	前・後の2室をもつ全長11m以上の横穴式で、南西に開口する。通路部分(羨道(ぜんどう))は狭くて低いが、一番奥
			の遺体を安置する後室(玄室(げんしつ))は長さ約4.5m、巾3m強、高さ約4mと、意外に広い空間となっている。
	副 葬 品	盗掘を受けており、金環(耳輪)・管(くだ)玉・勾(まが)玉、刀子(とうす)、須恵器他が採取されているにすぎない。
	墓 主 体	被葬者不詳。筑前・筑後・肥前の三国境というこの地域に君臨した豪族と推定される。
	年   代	古墳時代後期(6世紀後半)とみられる。 



古墳の廻りをぐるっと回って見る。


	福岡県筑紫野市、昔は筑紫郡だったと思うが僕らは原田(はるだ)と呼んでいた。ここは我が秋月藩の藩祖(黒田の前の秋月氏)が元々
	いた所である。大蔵氏の一派であるこの地の豪族原田氏が、平家に与してこの地を追われていたが、鎌倉幕府に九州における叛乱の謀議
	を知らせて秋月の地を拝領したのがかっての秋月藩の始まりである。原田種雄(たねかつ)は原田から秋月へ移ってきて秋月種雄と改名
	したのだ。その原田にこんな装飾古墳があるなどまったく知らなかった。



	五郎山古墳が発見されたのは、50数年前の戦後間もない頃である。昭和22年(1947年)3月、盗掘坑が陥没したことにより石室の一部
	が発見され、同年11月に福岡県教育委員会によって発掘調査が行われた。墳丘径約32m、高さ5.5mの筑紫野市最大級の古墳である。
	石室は前・後の二室を持った全長11.2mの横穴式で、南西に開口している。奥の玄室は、長さ約4.5m、幅約3m、高さ約4mで
	比較的大きな古墳である。石室の構造や須恵器などの出土遺物から6世紀後半の築造とみられている。



	五郎山古墳は筑後川水系に属する丘陵上に築かれており、佐賀県境に近い福岡県筑紫野市南部の見晴らしのよい丘陵上にある。この辺り
	は遠賀川と筑後川の支流が入り込む複雑な分水嶺の接点上の地域であり、近くには、式内社筑紫神社もあり、被葬者は筑紫君と関わりの
	ある豪族だったのかもしれない。



	盗掘によって副葬品は殆ど残っていなかったが、金環、管玉、勾玉、刀子、須恵器塔等々が採集されている。この古墳の最大の特徴は、
	石室内部の壁面に黒・赤・緑の三色の顔料によって彩色された具象画が描かれていることである。その壁画は武器(弓・靫・鞆、人物、
	、動物、船、旗、家、太陽などの多くの図柄で構成されていた。被葬者の生前の様子、そして黄泉の世界を表現したものと考えられてい
	る。このような古墳壁画は北部九州では他に類例が少なく、非常に貴重な装飾古墳であると言える。現在国指定の史跡に指定され「五郎
	山古墳館」でその概要を知ることが出来る。



	五郎山古墳内部は、毎年2回(4月、10月)公開されているらしいが、普段の日でも5日前までに予約すれば石室を見学できるそうだ。
	しかし多くの古墳壁画と同じく、ガラス越しに観察室から眺めるだけで、今では色あせうっすらと遠くに見えるだけらしい。同じく10
	年以上前に見た、うきは市にある珍塚古墳の壁画などももう殆ど原型をとどめていない程だったので、壁画がやがて消え失せるというの
	は仕方が無いのだろうと思う。高松塚なども必死で保存方法を考えているが、それより原画の復元を残しておく方がマシかもしれない。
	麓の「五郎山古墳館」に石室実物大の模型があり、狭い羨道まで精巧に復元されていて、壁画も色鮮やかに復元されているので、古墳時
	代後期の築造当時を偲ぶことができる。



	壁画は、玄室奥壁や玄室の袖石などに黒、赤、緑の三色で描かれ、騎馬や盾、靱などの武具や同心円文、珠文、船などが壁面を飾り所狭
	しと描かれている。馬上から矢を射る人物や祈る女性、船、靱(ゆぎ=矢を入れる筒)などの武具、太陽と見られる同心円、猪らしい動
	物等々。九州の装飾古墳には幾何学文様が多いが、ここは多くが具象画である。

	辰巳和広氏(同志社大元教授)は、壁画は「王の狩猟儀礼」と「他界へと被葬者の霊魂を運ぶ船」を描いたと指摘し、支配の永続と繁栄
	を願ったと解釈している(2001年の『五郎山古墳展』解説冊子。)


頑丈で重そうな鉄の扉が設置されている。勿論開かなかった。









貯水の設備かなと思ったらこれも案内板だった。どうしてこういう形にしたのかは判らないがユニークだ。


































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 	五郎山古墳館
	
	古墳が築かれた丘陵の麓に古墳館がある。羨道や玄室など古墳の内部が模型で復元されている。模型は、古墳の中央部が左方に1.2
	メートル開き、見学者はそのすき間(通路)から壁画を見学できるよう工夫されている。

	五郎山古墳は、径約35mの装飾壁画を持つ円墳である。昭和22(1947)年に発見され、2年後に国の史跡に指定された。壁画は、人物、
	動物、船、家など多くの具象画で構成されていることが特徴だが、それが意味するところは、発見から半世紀を経過した現在でも、
	まだ多くの謎に包まれている。五郎山古墳館は、この壁画の意味を読み解いていくことを目的とした施設で、壁画を再現した実物大
	の石室模型は、羨道(せんどう)が開き、内部が見学しやすくなっている。



	
	五郎山古墳館は、2001年に福岡県筑紫野市に建てられた筑紫野市歴史博物館の分館である。館内には五郎山古墳の解説ビデオや出土
	遺物、壁画内容の解説コーナー等のほか、石室の実物大模型が設置され、この中に懐中電灯をもって入ることができる。また、この
	模型には羨道から前室の一方の壁が動く機構が備えられ、その場合は玄室まで立って入ることができ、身障者や高齢者に配慮した模
	型となっている。五郎山古墳は築造された当初の姿に墳丘を復元整備しており、本物の石室内部を観察室から見ることができる。

	■建設概要   
	所 在 地:福岡県筑紫野市原田三丁目9番地5 
	敷地面積:552u
	建築面積:256u 
	延床面積:248u 
	構  造:鉄筋コンクリート造(地上1階) 
	竣  工:平成13年3月 
	開  館:平成13年5月


	
	■館内案内図 
   
		

 	■利用案内 
	開館時間  午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) ※五郎山古墳の石室見学は事前(5日前まで)に古墳館へ予約。
	休 館 日  月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12月28日〜1月4日)
	入 館 料  無料
	TEL/FAX (092)927-3655

	■交通案内
	◎JR鹿児島本線「原田」駅下車徒歩8分 
	◎西鉄天神大牟田線「筑紫駅前」バス停より光が丘四丁目行き 「原田三丁目」下車徒歩5分 



壁画が描かれた古墳壁面の復元。



古墳や考古学に興味のありそうな兄ちゃんとその両親が館内を見学していた。



























この奥が古墳の石室内で、壁画とともに羨道・石室も復元してある。



資料館備え付けの懐中電灯を片手に、狭く低い羨道を通ってゆく。





狭い羨道を通って石室へいくといきなり広い空間が出現する。


五郎山古墳のレプリカ石室壁画
	私はいままでに相当数の壁画古墳を見てきたが、壁画の朱色が印象的で、こんなど派手な壁画はいままで見たことが無いかも知れない。
	上下二面で下の腰石には右側に弓や鞆などの道具、中央部には鳥・船、動物、鎧・兜を身につけ太刀を持った騎馬人物、左には祈るよう
	な人物、騎馬人物、切妻造りの家などが描かれている。
	上の石には同心円文、力士のポーズをとる人物、旗をなびかせ矢をつがえた騎馬人物などが描かれている。死者への鎮魂の意味が込めら
	れ、船は魂を運び、弓道具は魂を守り、人物や動物は死者の生前の姿を示すという。


	上の図形は現うきは市の珍敷塚(めずらしづか)古墳の船に似ているような気もするし、色や図形は、以前行った茨城県
	ひたちなか市の虎塚(とらづか)古墳にも似ている。











ほんとに虎塚古墳の壁画と良く似ている。







考古学好き(?)の兄ちゃんが「こんな感じかなぁ」とレプリカ古墳に横たわる。





石室から出て展示室の方へ行こうとすると、職員の方が「最後におもしろいものが見れますよ」というので足を止めた。



矢印の裂け目にご注目!! ここから石室が左右へ真っ二つに分かれ始めた。ギョギョツ。



レプリカ石室は電動で内部が割れ、壁が移動する仕組みになっており、車いす等、体の不自由な人も見学可能だ。





こんなに広々と通れるんなら、あんな狭い羨道を腹ばいで通らせなくても良かろうにと思ったが、通らなければ狭さは判らないのだ。







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改めて展示室をじっくりと見る。





















JR原田駅へご帰還。


	
	五郎山古墳からの副葬品、杯(つき)や■(わん)、横瓶(よこべ)などは、筑紫野市歴史博物館に保管されている。実は、
	帰りにここにも寄ろうとして二日市駅で降りたのだが、PCで見た概略地図の記憶だけではとうとう探し出せなかった。
	10人くらいに聞いたけれども、誰一人知らなかった。飛行機の時間が迫っていたので諦めて次回に譲ることにした。


行きはボンバルだったけど帰りは大型機だ。残念。









福岡空港を離陸。

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空港直下の光景。クリックで拡大します。

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大阪上空。やっぱボンバルでないと綺麗に移せない。高度がバイほど違うもんね。



モノレール駅から見た伊丹空港。博多は晴れてたが、大阪は雨が降っていた。



邪馬台国大研究/hakubutukanめぐり/五郎山古墳&古墳館