この博物館は「理学・地学」関係の博物館である。何十年にわたって採集されてきたコレクションが展示されているが、 「歴史・考古学」に期待して訪れた私には不満だった。後で北海道大学のHPを覗いたら、以下のような解説があった。 考古学関係の資料は別な建物に収蔵されているのだ。一部ここにもあるように書いてあるが、すくなくとも展示室には 見あたらなかったように思う。「展示」ではなく「収蔵」しているとあるので、おそらく一般公開はしていないのだろ う。わざわざ雪の中を訪ねたのに。 北海道大学に所蔵される貴重なコレクション − 400万点を超す学術標本の、ほんの一端をご紹介します − ●地質標本 Geological Collection ●魚類標本 Fish Collection ●菌類標本 Fungi Collection ●陸上植物標本 Land Plant Collection ●海藻標本 Marine Algal Collection ●モデルバーン Model Barn ●考古学資料 Archaeological Collection これまで北海道大学の考古学調査、あるいは北海道大学の教官が関わった考古学調査は多岐にわたっており、それらの 資料は北方生物圏フィールド科学センター博物館と医学部第二解剖学研究室、文学部北方文化論講座(旧北方文化研究施設)、 およびこれらと若干性格を異にするが北海道大学埋蔵文化財調査室がそれぞれ保管している。それらのうち、北方生物圏フ ィールド科学センター博物館では、名取武光氏らが調査した続縄文時代江別市坊主山遺跡のものを中心として、礼文島や千 島、モヨロ貝塚などのオホーツク文化の資料を所蔵し、一部展示している。また医学部第二解剖学研究室では、その全容は 必ずしも明らかではないが、戦前からの資料とあわせて児玉作左衛門氏らの調査によるオホーツク文化(モヨロ貝塚資料; 210個体-完全58、不完全152他)・アイヌ文化(八雲町他)のものを主要な内容とする。埋蔵文化財調査室が所蔵・展示する 資料は、構内の調査で得た主として続縄文文化・擦文文化のものである。文学部北方文化論講座では、その前身北方文化研 究施設が開設された1966年以来の調査資料を中心に所蔵している。その特徴は、組織的・計画的な調査によって達成された まとまりをもつ点にある。時代はオホーツク文化を中心とし、旧石器時代(北見市北陽、同本沢)・縄文時代(白老町虎杖 浜)などの資料も含む。うちオホーツク文化関連の資料は平成12年に総合博物館に移管した。 総合博物館では、紀元後5-12世紀にサハリン南部から北海道北部-東部、千島列島南部の沿岸地帯に展開した海洋民のオ ホーツク文化資料(標本箱で800個分余り)を主に収蔵している。これは、北海道大学文学部付属北方文化研究施設が継続 的に調査・研究をおこなってきた礼文島香深井遺跡、同元地遺跡、枝幸町目梨泊遺跡の資料を中心とする。香深井遺跡では、 数百年にわたる遺物包含層と竪穴住居などが良好に残っていたために、この文化の時間的変化をとらえ、道北を中心とした 編年の枠組みの提示が可能となった。また遺物投棄の方向と住居の位置の関係などをもとに、集落の規模と構成を推定する ことができた。さらに、食料残滓である動物骨などの分析によって漁労・狩猟の季節性をとらえ、これと、おなじく礼文島 元地遺跡あるいは稚内オンコロマナイ遺跡など竪穴住居を欠く遺跡のデータの比較から、香深井A遺跡など冬季中心の母村 遺跡と夏期中心のキャンプ遺跡を区別し、これらを組み合わせた領域をもつ地域集団、そして複数の地域集団からなる地方 集団の把握、すなわち社会組織の復原に成功した。このほか、クマを中心とした動物儀礼と信仰、大陸および日本列島内地 との交易などによる交流の解明もすすんだ。 これらの資料のうち、香深井遺跡については報告書を刊行しており、研究者 ・機関が利用できる状態で収蔵している。後二者は準備中である。 研究の成果は認めるが、その報告書や資料は広く一般に公開して、市民にその学問の成果を公開するのが、少なくとも国立 大学のつとめではないかと思う。一部の研究者や機関だけがそれを享受できるのでは、市民は一体何のために税金を納めて きたのかわからない。独立行政法人になったとは言え、国立大学や国立の博物館・美術館などの減資はいまだ税金である。 スポンサーにもっと敬意と便宜を図るべきであろう。