溶けかかった雪に囲まれた近代的なビルディングである。図書室やその他の市民ギャラリ−などと同居している。携帯のカ メラにその外観を納めていたのだが、操作ミスかデジカメの誤動作かでメモリーの画像が全部消えてしまった。他にも雪の 北海道大学構内など、綺麗な画像もたくさん撮っていたのに残念である。雪の北海道にくることなどもうないかもしれない と断腸の思いだ。
北海道の歴史編年 【続縄文時代】 本州では大陸から稲作、金属器が伝わり弥生時代が始まるが、北海道では縄文時代と同じ狩猟、漁労、植物採取が続いてい た。この時代を縄文時代からの続きという意味で続縄文時代と呼んでいる。およそ2,000年前から1,300年前まで続いたとさ れている。石器と鉄器の併用の時代である。 【擦文文化】 この時代は本州の奈良・平安時代とほぼ同じ頃にあたり、住居の形、構造などに影響を受けている。土器は表面を木のヘラ で擦(こす)った跡があることから擦文土器といい、この時代を「擦文時代」という。石器は殆ど使用されず、鉄器が本州 方面から入っていた。また畑作(アワ、ヒエ、ソバ等)も行われるようになった。8世紀から13世紀にかけてである。 【オホーツク文化】 この文化は7世紀から13世紀にかけて北海道北部・東部のオホーツク海沿岸、千島列島、樺太に発展した文化である。 人々の生活は、アザラシ、オットセイなどの海獣狩猟、漁労を中心としており、ブタや犬も飼っていた。住居や墓は独特な ものであり、遺物の中にもシベリアなど大陸方面からもたらされた青銅製品、鉄器などがあり、同時に本州製の鉄器も持っ ている。この文化の起源、社会生活、民族については不明な点が多く、謎の民族とされている。 【アイヌ文化】 アイヌとは「人」を意味する言葉である。考古学上のアイヌは擦文文化の後14〜15世紀頃に成立したと考えられている。彼 らは動植物が豊富に獲れる川・湖の周辺に集落(コタン)を作り、畑作を中心とする小規模な農耕を行っていた。また、壕 を堀り柵を巡らした砦(チャシ)も築かれた。チャシは祭り場、談合の場、見張り台としても利用されたと考えられている。 アイヌ文化は時代を経るごとに本州からの和人の支配を受けて大きく変容していった。