Music: night




2006.11.12 福岡市早良区西新


		何かの用事で博多へ帰った折、母校の西南学院大学に博物館が出来たという記事があったのを思いだし行って
		みる事にした。この時はほんとに何の用事で帰ったのか思い出せない。前後に2,3回帰省したので、おそら
		くは洋画家の青沼先生との会食か、或いは父親の見舞いだったか。つい一月前のことなのにすっかり忘れてし
		まっている。寄る年並みの記憶ボケというのは怖いもんである。

















































		プロテスタントの大学らしく、1年から4年生まで、週一回「キリスト教学」という教科があった。当時はさ
		ほどキリスト教にも興味はなく、苦痛以外の何者でもない時間だったが、なかには面白い授業があって、そう
		いう時は一生懸命に聞いた。古沢教授という先生がいた。バッハやオラトリオ、カンタータなどという宗教音
		楽のすばらしさにふれたのもこの先生の授業のおかげである。授業でよくレコードを聞かせてくれて、レクイ
		エムとはどういうもので、こんな歴史を持っているのだという事を熱っぽく語って聞かせてくれた。この先生
		の授業には必ず出席して「優」を貰った。今どうされているだろうか。




































































































		西南学院は、西区の再開発地区の中を横断するように存在している。学生時代は、大学の裏はもうすぐ海岸で、
		夏休みには海水浴にいって足でバカ貝(青柳)を掘りだし、みんなで下宿へ持ち帰り食っていた。その当時は
		「ハマグリだ!ハマグリだ!」と喜んで食べていたのだが、後でバカ貝だと知った。当時は、上の写真の真ん
		中から上は全て海の中で、勿論タワーもドームも無く、冬の海岸では九州場所に来ていた若い相撲取りたちと
		並んでランニングをした。彼らはほんとにデカいタイヤを引きずって走っていたなぁ。









		時間があったので、九大の博物館にも行ってみようと思い立ち地下鉄に乗った。福岡市を西から東へ横断した
		わけだが、学生時代にはこれを1時間余りかけて歩いていたのだ。今なら20分ほどで着いてしまう。金がな
		いかわりに肉体は強靱だった。
		せっかく行ったのだが、九大の博物館は日曜で閉まっていた。しかしここは35年前と全く変わっていない。
		現在、工学部は前原へ移転している最中だし、ここらの建物も早晩取り壊されるのかもしれない。











		上左の建物が、下の記事に見える「九大工学部の門の脇の守衛さんの建物」である。「市歴史資料館」は八女
		市黒木の「グリーンピア黒木」へ移築されていったので、西南学院の建物は現在、福岡市で2番目に古いレン
		ガ造りの建物というわけである。「グリーンピア黒木」へ移築された建物では、今青沼先生が季節ごとに個展
		を開いていて私も2,3度行ったことがある。暖かくなったらまたお呼びがかかるかもしれない。






こんなクッキーも出来てた。(2008.4)




2011.6 大学再訪問

2011年6月、福岡で行われた「大学同窓会評議員会 支部連絡協議会」に参加しました。



上はどこだかわかりますか? ランキン・チャペルの入口はいまこうなってます。



博物館の先に立派な同窓会館が出来てます。先ほどの会合はこの中で行われました。



		その同窓会館前には、我が「ワンダーフォーゲル部」創立50周年記念の植樹桜がありました。私が入部した時
		10周年でしたがね。一昨年「九重山」で行われた一泊二日の「50周年記念大会」には、全国から150人の
		OB・OGが集まって、パーティー、九重登山を楽しみましたが、入学からもう40年も経ったのかと、感慨も
		ひとしおでした。



「大学同窓会評議員会 支部連絡協議会」の模様です。大学同窓会会長の中さんの顔が見えます(下右端)。





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