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栃木県立博物館
2006.10.4 栃木県宇都宮市




	このHPでの、デジカメ以外の写真資料は、全て栃木県立博物館発行のガイドブックおよびパンフレットから転載した。
	記して感謝の意を表したい。































































	今回訪れて観音石仏のすばらしさに驚いたが、遺跡はそれが刻まれている石の、壁面直下に営まれていたのであった。
	大きな岩陰にひっそりと、まるでみんなで寄り添って隠れるようにして遺跡は在ったのである。四国は愛媛県の、
	「上黒岩岩陰遺跡」を尋ねたときにも思ったが、岩陰というのはおそらく、野獣や敵から身を隠すのに格好の住処だ
	ったのだろう。背後は切り立つような岸壁で、まず背後から攻撃される事は無い。前は小さいが開けた平野で、すぐ
	近くを川も流れている。発見された人骨は、縄文時代と言うことしか知らなかったが、資料によると、昭和40年の
	発見当時には約7千年前の縄文時代早期の人骨と考えられていたものが、平成10年の再調査で、1万1千年前の草
	創期のものである可能性が高いという。草創期と言えば殆ど旧石器時代と言ってもいい。この人骨は縄文時代として
	は我が国最古のモノになる。「上黒岩岩陰遺跡」からも1万2千年前の石器や生活痕が発見されているが、人骨は早
	期のモノであった。勿論旧石器時代の人骨は発見されているので、ここの人骨は縄文時代としては、我が国最古とい
	うことである。

	上の写真で、ちょうど建物が立っている辺り一帯が遺跡である。この岩璧の真下に1万年以上に渡って縄文人が住ん
	でいたのだ。



1万1千年前の人骨。大谷寺の宝物殿に展示してある。




	<大谷寺洞穴>  宇都宮市大谷町 縄文草創期〜晩期・弥生  人骨・土器・石器・獣骨 

	この磨崖仏の周辺一帯は、昭和40年に発掘された。正式名称は「大谷寺洞穴(または岩蔭)遺跡」。昭和40年
	3月から9月まで、特別史跡・重要文化財大谷磨崖仏防災工事に伴い、主として3月4月にかけて、窟前の土を除
	去する際に併行して行われたもので、発掘調査は宇都宮大学名誉教授辰巳四郎、栃木県教育委員会副主幹大和久震
	平、作新学院教諭塙静夫の各氏と、宇都宮大学生10余名の協力で行われた。

	まず表土の層を排除(この部分の一部より、昭和25年の試掘の際に、古銭、掛仏、経石等が出土している。)し、
	多数の五輪の供養塔が出土した。続いて自然堆積の黒土層からは、多くの土器の破片が出土した。それまで関東地
	方における縄文土器は、「井草式」(約9千年前)とよばれるものが最古と考えられていたが、それよりも古い、
	あたらしい形式のものが3種も発見され、それぞれ大谷T式、U式、V式と命名された。そのほか、約7千年前の
	縄文早期末、茅山式土器の頃の人骨が発見され、20才前後の男性、身長154.6cm と判明した。この人骨も
	含めて、当時の早期縄文人人骨は我が国で4体しか発見されていなかったので、学術的にも非常に貴重な資料とな
	った。この人骨が、33年を経た再調査で、更に4千年も古い縄文時代草創期と判明し、日本で一番古い縄文人骨
	と言うことになった。
	この調査の結果、縄文草創期から、早期、前期、中期、後期、晩期、そして弥生時代に至る土器片が発見され、石
	器、獣骨(猪、鹿)、貝殻(カワニナ、イシガイ、ハイガイ、アカニシ等多数)も出土した。そのほか歴史時代の
	遺物も多数出土し、1万年以上に渡って人々が居住した遺跡であることが確定し、「大谷寺洞窟遺跡」と命名され
	たのである。磨崖仏下からは縄文最古の人骨は、手足を折り曲げて横臥(横向きの姿勢)で埋葬された屈葬人骨で、
	遺跡側の大谷寺宝物館に収蔵されている。土器片、石器、獣骨など、遺物の一部も展示されていたが、写真撮影は
	禁止だったのでここにはお見せできない。(ここへ来る前に訪問してきた。)
















































































































































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