Music:  ツァラツウストラはかく語りき




日本原人・すべて嘘だった! 




	
	2000年11月5日、日曜日の夜、私は北海道にいた。帯広に近い「新得(しんとく)」という町のペンションで、夕食
	後風呂に入りTVを見てくつろいでいたら、いきなり、「旧石器時代の遺跡で石器ねつ造!」というニュースが飛び込んで
	きた。
	一昨日通って来た新十津川町の発掘現場で、事もあろうに発掘者が自分で埋めた石器を「発見した」として発表していた、
	と言うのである。しかも、それが「東北旧石器文化研究所」の藤村新一氏だった。考古学に興味がある人、又は旧石器・縄
	文時代或いは日本人の起源等について興味がある人なら誰でも知っている名前である。次から次ぎに旧石器遺跡を掘り当て、
	考古学世界では「発掘の神様」とか「ゴッド・ハンド」を持つ男とか言われている人物である。
	「まさか!」、私の第一声はほんとに「まさか!」であった。思わずベッドからずり落ちそうになった。しかし、画面は、
	毎日新聞の記者が設置したビデオカメラに移った藤村氏の姿を映し出していた。朝早く、誰もいない発掘現場で確かに何か
	を埋めている。そしてその後そこを足で踏み固めている。毎日新聞では、「ある情報に基づき」、藤村氏が石器を自分で埋
	めているのではないかとの疑念を確認するため、ビデオカメラを設置して監視していたとニュースは伝えていた。その後藤
	村氏の、終始うつむいたままの記者会見の模様が映った。
	何という事! なんだこれは! 私の狼狽を見てうつらうつらしていたWIFEも起き出して「すごい事になったね。」とのた
	まう。

	明けて翌6日、我々は北海道4泊5日の旅を終えて大阪へ戻る事になっていて、千歳空港に着くなり私は新聞を買いあさっ
	た。朝日、毎日、読売、日経、そして北海道新聞を買い込むと、サロンで隅から隅まで読んだ。やはり、事実だった。全て
	が「虚構」だった可能性がある。日本人の祖先が50万年前にいた。60万年前の石器がある「意志」の元に並べて置かれ
	ていた。
	旧石器人は高い「精神性」を保有していたらしい。教科書にも載っているこれらの「事実」がすべて嘘だった! 
	この事件は専門研究者の自戒も含めて、今後様々な角度から検証される事になるだろう。考古学会のみならず、日本の歴史
	研究においておそらく、「戦後最大の虚構」事件として記憶されるに違いない。
	事件の詳細は今後徐々に明らかにされていくと思うが、とりあえずここに第一報をお届けしたい。尚、「邪馬台国大研究」
	ホームページにおいても、「高森遺跡」や「藤村氏」について言及した箇所やHPがあるが、可及的速やかに削除する方向
	で作業したいと思う。





	事件発覚から3日過ぎて、各方面からの意見も出揃ったように見える。多くの関係者が語るように、今後の急務は藤村氏自
	身による「真実の吐露」に基づいた「真相究明」であろう。この事件で、アンリ・ルソーの言葉にある、「一度阿片を喫
	(す)った者はきっとまた喫うはずだ」という思いを胸に抱いた人は多いだろうと思う。「これだけですんでいる筈はない」。
	藤村氏は2ケ所しかねつ造していないと強調しているようだが、報道による今までの発掘状況からするととてもそうは思え
	ない。客観的に考えれば、遺跡を訪問して20分で石器を見つけだすなどという事がそうそうできる筈がない。今までもき
	っとやったはずだ、とみんなが疑っている。人の気持ち・考えというものは実に移り気なもので、もし今回の事件が発覚し
	ていなければ、藤村氏は相変わらず「石器の神様」として今日もどこかを掘っているはずである。それが「ねつ造」の発覚
	とともに、全ての業績に対して疑いの視線を向けられているのだ。


	果たして、藤村氏が工作したのはあくまで「2ケ所のみ」なのか、それとも。その先は想像するだに恐ろしい。彼の関わっ
	た発掘の一体どの部分が虚構でどの部分が真実なのか。古代史は今まさしく混沌の中にあるが、それは考古学会の非科学性
	がもたらしたものと言えなくもない。考古学者と言われる人達および学会は、全力を挙げて真相解明に邁進すべきである。
	それが今日この事件を引き起こした事に対する学会としての良心だろうと思われる。(2000.11.8)







	
	上記はほんの一部である。藤村氏が関わった発掘は200件近いとされている。驚くべき数だ。主なものの内容は、

	(1)総進不動坂遺跡(北海道新十津川町)2000年9月まで発掘。約20万年前の地層から前期旧石器時代の石器を
	   発見と発表されたが、これも同氏がねつ造と認めた。
	(3)瓢箪穴遺跡(岩手県岩泉町)。2000年5月まで調査された。7万〜8万年前のものとみられる石器の発見をは
	   じめ、10万年以上前の地層から石器9点を発見。洞くつ遺跡としては最古の石器とされている。
	(4)上高森遺跡(宮城県築館町)。 93年11月から2000年10月まで。40万年前の地層から石おのなどの石
	   器を発見。次いで50万年前と60万年前の地層から「埋納遺構」が見つかる。石器が並べて埋納されていたため
	   「原人の精神性」が注目された。10月には建物の柱跡とみられる穴も出土と発表された。この時の「石器発見」
	   はねつ造と藤村氏が認めている。
	(7)中島山遺跡(宮城県色麻町)。99年6月まで。約10万年前の地層から「やり先」に使われたとみられる石器を
	   発見。やり先としては最古級と評価された。
	(13)袖原3遺跡(山形県尾花沢市)と(7)中島山遺跡(宮城県色麻町)。97年12月まで。30キロ離れている
	   2つの遺跡から切断面が一致する2つの石器が出土し、結合遺跡として話題を呼んだ。
	(15)一斗内松葉山遺跡(福島県安達町)2000年3月まで発掘。60万〜70万年前とされる日本最古級の石器が
	   見つかったことで話題になった。
	(26)長尾根遺跡(埼玉県秩父市)。1999年6月から2000年8月に渡って発掘され、40万〜50万年前の地
	   層から石器を発見、さらに原人が掘ったとみられる土穴を発掘。翌月には土穴周辺から石器4点が出土。「墓」の
	   可能性が指摘された。同じく秩父市の小鹿坂遺跡。2000年2月まで調査され、原人の建物の柱跡とみられる穴
	   や石器が見つかる。柱穴跡は世界初とされた。


	この内「邪馬台国大研究」において私が取りあげた関連の記事は以下の2つである。いずれも「古代史年表」の中に取りあ
	げている。これらはすべて公表された資料に基づいて作成した。しかし今や「上高森遺跡」は完全に、「袖原3遺跡の結合
	石器」は限りなく黒に近い灰色の疑いが濃厚だ。世界でも数例しか報告がない結合石器については、ともに発掘した研究者
	が「ねつ造はありえない」と語っているが、極めて疑わしい。たとえ本物だったとしても、もう、この石器は疑いの眼(ま
	なこ)で見られるのは間違いないだろう。





「サンデー毎日」11月27日号 独占グラビア「神の手」がねつ造した瞬間



毎日新聞は、上記の写真、ビデオをもとに藤村氏に問いただした。詳細な写真をみる。




	藤村氏は私と同年である。

	昔のある雑誌の記事によれば、「息子が「おとうさんの発見した石器が教科書に載ってて友達に自慢したよ」というのを聞
	いて胸がじんとしました。」という藤村氏の談話が載っていたが、今回の件を彼は息子に一体どう説明するのだろうか。
	息子の話を聞いた時「でっち上げ」でも嬉しかったのか。それとも内心自責の念で息子の話を聞いていたのだろうか。ある
	いはこの時はまだ「ねつ造」には手を染めてはいなかったのか。彼自身は「もう考古学はやれないだろう」と語っているが、
	これから一体どうするのだろう。この事件が発覚する直前に会社も退職したと記事にあるし、家族はどうなるのだろうか。

	真面目で熱心な学徒であった一人の人間が道を踏み外すのは世間にはよくある話かもしれないが、私にとって、「歴史ねつ
	造」という事件を引き起こした人物ではあるが、考古学マニアという事と同年という事もあってとても他人事には思えない
	のである。彼の発掘結果を基にして書かれた論文や記事や刊行本は山ほどあるし、教科書も日本に原人がいた「事実」を多
	くの子供達に教えている。

	こうなった以上、全てを明らかにして旧石器時代研究を本来の、「ねつ造」前の姿に戻す事が、今後彼に課せられた贖罪だ
	ろうと思われる。




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