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卑弥呼の生活




	魏志倭人伝はその記事の中で卑弥呼について次のように書き記している。
	7,80年の間大乱が続いた邪馬台国では、一女子を王として樹立した。名前は卑弥呼という。
	鬼道に通じていて、能(よ)く衆を惑(まど)わす。既に歳は取っているが夫は居らず、弟が居て政治を助けている。
	女王となってからは、その姿を見た者は少ない。千人の召使いがいて身の廻りを世話しているが、ただ一人の男だけ
	が飲食の世話、言葉の取り次ぎをしている。
	居住する宮殿は桜観(物見櫓)が立ち、城柵を厳重に張り巡らして、常時兵隊が守衛に立っている。さらに、狗奴国
	との戦いについて記し、卑弥呼、以て死す。大きな塚を作る。塚の直径は歩いて百歩以上で、殉死する者百人以上。
	男王が立ったが国中再び乱れ戦となった。使者は千人以上に及んだ。そこで卑弥呼の宗女(一族)で、十三歳の壱與
	(台与?)を王として再び国中が平定した。卑弥呼についての記事は以上である。
	たったこれだけの記録を巡って、人々の想像力は太古の世界を闊歩している。しかし、もしこの倭人の条が魏志に無
	かったら、今日我々は邪馬台国も卑弥呼も知らないままなのだ。記録というのは、いかに尊いかがわかる。


	さて、「弟が居て政治を助けている。」「唯一人の男だけが飲食の世話をし、その言葉を取り次いでいる。」という
	記事に出現する唯一人の男とは一体いかなる人物なのであろうか?「弟」はおそらく本当の弟であろう。
	卑弥呼が天照大神だとすれば、弟は素戔嗚尊(スサノオノミコト)という事になるが、血縁の男女が政治に携わる例は我が
	国の古代にはよく見られる形態である。おそらく実際の弟で、姉のご神託を実務上の政策に移していた人物だろうと
	考えられる。では「唯一人の男」とは誰か?
	弟と同一人物だという意見や、魏の使者が知らなかった夫である、という意見もある。私は愛人だと考える。卑弥呼
	お気に入りのツバメで、閨房官から官房長官に出世した卑弥呼のLOVERというのが一番自然である。歳既に長大とい
	っても婆さんではシャーマンの役は務まらないと思うし、政務で忙しい弟が食事の世話までは出来まい。又、巫女という
	のは一応体面上からも、処女とは言わぬまでも独身でないと王にはできまい。この男が卑弥呼のお告げを弟に伝え、
	弟がそれを政策に移していたのであろう。これは、日本神話における「アマテラス」と「スサノオ」そして「タカミ
	ムスビ(高木の神)」の関係に良く似ている。

	鬼道とは一体何であろうか?古代中国のという語は死霊や悪霊の事であり、鬼道とはそれらの霊と交信しその意志
	や意見を聞き取ったりする術の事と思われる。つまり現代の日本で言えば、恐山のイタコが行っている先祖や物故した知
	人との交信術のようなものであったろう。卑弥呼はこれに長けていた。神に仕え神意を民衆に伝える卑弥呼と、その
	言葉を信じる倭人達の姿は、魏使の目に妖しい幻術のようなものとして映ったのかもしれない。
	能(よ)く衆を惑わすと言う表現はそのような姿を現したものであろう。
	古代におけるシャーマニズムの発生と発展は、世界中の民族に見られる。通常は社会の発展とともに消滅して行くの
	であるが、一部の地域では後世までその習慣が残っている所もある。





			さて、卑弥呼の宮殿はいかなる建物で、どんな構
			造を持った住居にすんでいたのだろうか?
			倭人伝によれば宮室・城柵・桜観を設け、
			廻りを兵士が護っている。とあるが、
			今の宮殿のイメージとは程遠いに違いない。
			なにしろ大多数の一般人は竪穴式の住居だったの
			だから、卑弥呼だけゴージャスな宮殿に居たとは
			とても考えられない。せいぜい、木でできた今の
			小屋並だったのではないか。
			ただ侍女達が居たようだから建物は沢山あったか
			もしれない。
			召使い千人というのは若干オーバーな
			気もするが、そこそこは居たのだろう。
			女王となってからはあまり姿を見た者がいないと
			あるので、普段は奥まった建物の中で暮らしてい
			たものと思われる。

先述のLOVERだけがその住居に出入りしてい たのだろう。

	上の写真は、あなたが今までこのホームページの中でご覧になった写真を何種類か合成して作成した、卑弥呼の里の
	イメージである。外から攻め入られないように山に監視所や柵を巡らし、集落の中には物見台を設け、環壕の中に竪
	穴式住居と高床式住居が収まっていたと考えられる。卑弥呼は、集落の一番奥まった所に兵や侍女達に囲まれて暮ら
	していたのだろう。集落の中には、共同の便所や墓やゴミ箱があったはずだ。勿論武器庫もある。平和なときは、稲
	作に狩猟に採集に励み、集落全員で収穫にあたる。他国との戦いには男達が駆り出され、女子供は勝利の凱旋をひた
	すら待つ。

	この写真を見ていると、そんなわれらが先祖たちの暮らしぶりが彷彿としてくるではないか。




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