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泉南市の文化財を訪ねて 2002.5.12(日) 大阪府泉南市

		平成14年度の「大阪府の文化財を見学する会」第1回の例会は、泉南市である((財)大阪府文化財研究センター主催。)

		泉南(せんなん)市は関西国際空港を望む大阪南部にあり、かっての「近畿圏」の南端に位置している。太古から人々が生活しその痕
		跡は至る所に残っているが、ここで一番有名な文化財と言えば、「海会寺(かいえじ)跡」と「男里(おのさと)遺跡」である。いず
		れも国指定の史蹟であるが、前者は法隆寺式伽藍配置の最も古い形式を持つ古寺院跡として、後者は大阪府南部の大規模弥生時代遺跡
		として著名だ。
		海会寺跡は今、史跡公園として整備され公園前には泉南市の埋蔵文化財センターが建っているが、男里遺跡は住宅と田畑の下である。

 


		山田家住宅(やまだけじゅうたく)

		山田家は熊野街道近くの新家中村集落内にあり、代々庄屋を勤めた豪農である。本瓦葺、2階建ての主家は文久3年(1863)の再建
		だが、2階には前身主家のものと思われる古材を残しており、間取りも主体部が「喰い違い3間取り系」の古式な形式を残す点に特徴
		がある。



		主家下手の西側に玄関棟、東側に台所棟がつき、上層農家の中心部を構成している。台所の屋根の上に「煙だし」が飛び出ていて、こ
		れは泉南地方に多いという特色でもある。米蔵や土蔵など屋敷構成にかかせない付属施設も保存状態が良好で、表門、長屋門、および
		土塀など、屋敷の外構もよく整っている。当住宅は、平成14年に新たに国の登録有形文化財に指定された。



 




		新家古墳群(しんげこふんぐん)

		昭和45年宅地造成工事の直前に古墳が4基発見された。さらに昭和50年の宅地造成時に新たに2基が見つかった。樫井川の左岸、
		和泉山脈より派生した丘陵上に6基の古墳が並列していたことがわかった。これらの古墳は出土した須恵器の形式から、5世紀後半
		から6世紀中頃の間に築造されたと考えられる。特に、古墳の最終段階に築造されたと考えられる6号墳の石室内からは、須恵器の
		ほか、水晶や碧玉などの玉類が出土している。また6号墳は、当古墳群の中で唯一横穴式石室を持っている。石室内の出土物に年代
		間の差が認められるため、追葬が行われたと考えられる。泉南市内では、このような小さなまとまりを持った古墳群として、フキア
		ゲ山古墳群、兎田(うさいだ)古墳群や高田山古墳群がある。いずれも古墳時代後期の段階に築かれた群衆墳である。

 


		これらの古墳群は、小円墳主体で構成され、数基まとまって存在するだけの小さな古墳群である。泉南市内には全長100mを越え
		るような大型の古墳は見つかっていない。当地は、ちょうど岬町の淡輪古墳群と堺市の百舌鳥古墳群の間に位置するため、紀伊(和
		歌山)の勢力と大王家の勢力との緩衡地帯となったと考えられる。さらに当地には古墳時代の集落も少なく、開発も進まなかったた
		め、経済的な基盤も弱く、大型古墳の被葬者になるような強い首長層が育たなかったようだ。そういう理由で、古墳の造営が他地域
		より遅れ、かつ貧弱なものとなったと思われる。

 




		厩戸王子跡(うまやどのおうじあと)

		熊野九十九王子の一つ。大阪府指定史跡。建仁元年(1201)の「後鳥羽院熊の御幸記」10月7日の記事に「先参厩戸王子」と見える。
		「四辻殿御記」によると承元4年(1210)、修明門院の熊野詣の際にも当王子に参詣している。「和泉名所図会」では「王子記曰」と
		して馬留王子にあたるとし、今は筆王子と称するとしている。明治以降も厩戸王子神社あるいは筆王子神社とよばれ、小祠が祭られて
		いたらしいが、明治40年(1907)に一岡神社に合祀された。現在は、王子跡を示す石碑と案内の看板が三叉路の真ん中に立っている。










		海営宮池遺跡(かいごいけいせき)

		昭和47年に木葉形尖頭期器が採集されている。極めて良好なサヌカイト製で、ほぼ完形に近い。これほど完形な木葉形尖頭期器は
		大阪では、枚方市樟葉、交野市の3例しか出土例がない。およそ今から1万年以上前の縄文時代初期の石器で泉南市最古の人工遺物
		である。また海営宮池は行基が造った灌漑の池として伝承されている。
 




		長慶寺(ちょうけいじ)

		真言宗御室派、金泉山と号し、本尊は如意輪観音である。もともと海会寺の一院である観音堂として存在したが、天正5年(1577)
		織田信長の根来寺襲撃の時、その兵火にかかり焼失した際に当地に移し、再興したのがこの寺だと言われている。延宝8年(1680)
		京都仁和寺より別格寺院とされ現寺号に改称された。岸和田藩主岡部氏の菩提寺でもある。元和7年(1621)に当時の漢学者林羅山
		も訪れている。
		なお、海会寺が神亀元年(724)、聖武天皇の勅命により行基によって創建されたと伝えられているのは、考古学的な年代の見解とは
		異なるが、海営宮池造成の伝承とともに和泉地方の行基伝説の一端を知る上で興味深い面がある。
 

 

 





 

 







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