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美々貝塚 北海道千歳市 2001.6.29 縄文時代

	千歳市指定史跡 美々(びび)貝塚 (昭和52年4月23日指定)
	所  在  地  〒066-0012 千歳市美々758番地 
	問合先・電話番号 千歳市埋蔵文化財センター TEL/FAX:0123-24-4210
	開館期間 5月から11月末日 (日曜、祝祭日に見学希望の方は事前に埋蔵文化財センターまで)
	開館時間 午前9時〜午後4時(展示施設はカギがかかっている。駐車場の右手にある計量所からカギを借りる。)



 


	札幌方面から行くと、国道36号線を苫小牧方面へ南下し新千歳空港を右手に見て、JR千歳線「美々駅」を目指す。美々
	駅の北側で、室蘭街道(36号線)の左側に「美々貝塚」の看板がたっている。ここを左折し踏切を超えると貝塚はすぐで
	ある。札幌から1時間20分ほどだ。JR千歳線で行く場合、美々駅で下車、徒歩5分。

	千歳市 美々(びび) 貝塚は、勇払(ゆうふつ) 原野を見おろす標高20mの舌状の台地にある縄文前期の貝塚である。この
	時期は、気候の温暖化によって海水が上昇したとされるが、美々貝塚はそれを証明できる遺跡として古くより知られている。
	近年、北側の台地からも同時期の貝塚や 盛土遺構 ( もりどいこう ) が発見され話題となった。 



 


	広いジャリを敷き詰めた駐車場があって、端の方に貝塚保存館への階段があり、そこに見学者への案内板が立っている。
	それによれば、「貝塚館は鍵がかかっているので、駐車場向いの千歳市ゴミ処理施設、環境センター計量所で鍵を借りて下
	さい」とある。しかし私が訪れたのは夕方5時近くで、見学時間は4時半までだった。しかたがないのでとりあえず行って
	みようと貝塚館を目指す。階段を上ると広場になっており、建物の前に詳しい案内板があって、その前にコンクリで丸太風
	にしつらえた椅子が作ってあり、小さな歴史公園になっている。






	「当時の地球は、現在よりも気候が温暖で、気温が平均2〜3度高く、地上の氷がとけて海水が増え続けていました。・・。
	温暖な気候は山々を豊かな狩りの場に、また増えた海水がたくさんの入り江をつくり、豊かな漁場にしました。そして海岸
	だった美々では、当時の人々がこの貝塚を残したのでした。この貝塚は5000年前の美々の様子をよく示す”タイムカプセル”
	と言えるでしょう。」


 


	施錠されていて貝塚館の内部には入れなかったが、ガラス越しに内部を見ることはできた。3m以上ある貝塚の断面が、そ
	のまま「はぎとり加工」されていて保存されており、その前に、出土した、石器・土器・骨類などがガラスケースに展示さ
	れている。イヌ・シカ・トド・ボラ・ウグイ・エイ・サケなどの骨に、縄文文様がくっきりと付いた土器片、石斧(せきふ)
	や石鏃(せきぞく)などの道具、それに石錘(せきすい)と呼ばれる漁労用のおもりなどが展示してある。
	2,3説明パネルもあったが、書いてある内容までは窓の外からは見えなかった。はぎとり断面には様々な貝殻に混じって、
	樽前山が噴火したときの火山灰らしき層も見える。




	この貝塚は、大正末年の鉄道線路工事の際に標高約20メートルの段丘陵上で発見されたもので、ヤマトシジミを中心に、
	アサリ、マガキなど14種類の貝類が出土している。一緒に出土した土器は、縄文前期の中野式土器と呼ばれるもので、約
	5〜6000年前のものである。住居などは発見されておらず、貝塚は大小4つのマウンドからなっている。いずれもヤマ
	トシジミを中心とするもので、もっとも厚い層は1.2mに達する。貝以外ではボラ、ウグイなどの魚が多く、陸の動物は
	ほとんどが鹿だった。土器や石器などがひじょうに少ないこともこの貝塚の大きな特徴である。海獣類が多くまた土器や石
	器類も多く含まれる噴火湾沿岸の貝塚とは大きく異なる。



	平たい河原石の両端を打ち欠いてひも掛けがつくられた「魚とり用の網のおもり」が出土しており、釣針が出てこないこと
	から、当時の漁労はこうしたおもりを利用した網漁であったことが想像される。北遺跡ではおびただしい数の石錘が出土し
	た。 




	その後の発掘調査で、大小4ヶ所の貝塚が確認され、尖底深鉢形土器(静内中野式)、石錘、銛頭、北海道式石冠、温暖水
	系種の貝類、海や陸の哺乳類、暖流系の魚類などが出土している。魚撈や海獣狩猟が活発に行われていたことがうかがえる。
	現在の海岸線は、ここから17km近く離れた苫小牧市にある。5〜6000年前はここまで海岸線が来ていたことになる。
	海岸線がきていた時の縄文の人々がシジミ等を調理し、貝殻を積み上げたものが貝塚として残ったもので、大きなものは直
	径15m、貝層の厚さ1.2mもある。縄文海進(じょうもんかいしん)最盛期に最も内陸に形成された貴重な遺跡である。

 


この貝塚館は、昭和51年から公開展示されている。




	<美々貝塚のシンボル>
	縄文前期の尖底深鉢形土器(静内中野式) 【写真提供:千歳市埋蔵文化財センター】
	この時代の特徴的な 尖底土器 (せんていどき)で、切り刻んだ草を粘土に混ぜて焼かれている。




この貝塚に埋まっていた貝類


	この貝塚の近くには、「畠状遺構(はたじょういこう)」と呼ばれる、畑のような外観を見せる遺構で実際に畑作が行われ
	ていた可能性が考えられる「美々北貝塚」(びびきたかいづか)も発見されている。千歳市教育委員会に問い合わせると、
	「あ、そこはもう埋め戻して何もありませんよ。」とそっけない返事だった。











	ここを出た後、帯広からやってきた娘と会って、今夜の宿「定山渓温泉」へと向かう。写真は定山渓の山並み。次の日行っ
	た函館市博物館に、今は空港の敷地になっている所にあった、美々8遺跡の発掘模様を写したパネル写真と説明があった。



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