中国で、古墳に壁画や装飾が現れるのは、後漢の時代からである。それが朝鮮半島北部の高句麗に伝わり、4〜5世紀には 最盛期を迎える。日本の古墳に装飾や彫刻が現れるのは5世紀からである。最初は九州中西部の有明海東岸に現れ、その 後瀬戸内海、近畿、関東、東北に広がるのが7世紀頃と考えられている。全国装飾古墳の約 60%が九州に現存し、その約 3分の2が熊本県にある。装飾古墳の分布の北限は、宮城県の川北横穴墓群等で、これより北では発見されていない。ま た関東・東北で装飾を持つ墳墓は、殆どが横穴墓である。
熊本県では昭和54年以来文化庁が提唱した「風土記の丘構想」の一環として、菊池川流域の山鹿市・鹿央町・菊水町の三 地区を指定して、史跡の整備を進めてきた。その後「菊池川流域風土記の丘」は「肥後古代の森」と改称され、平成7年、 全国13番目の「風土記の丘」となった。これに先だって、平成4年4月、「肥後古代の森」の中核施設として「熊本県立 飾古墳館」が開設している。