遺跡の上には現在巨大な上下水道処理施設が建っている。広大なエリアである。そのエリアの片隅にこの1号墳が移築され 復元されている。この遺跡で最大の円墳である1号墳には、墳頂部分の中央に箱式石棺があり中から女性の遺骨が出土した。 枕に高坏3個、頭部に竪櫛、右手横には絹紐を巻いた太刀が置かれていて、女性と太刀の組み合わせが注目された。 又、古墳群内にはさまざまな埋葬形態があり、数十個の五輪塔石や和鏡、ガラス小玉、銅銭が出土している。その他、弥生 時代前期の菅玉製作工程を示す一式や朝鮮系の無紋土器、多量の壺・瓶片や石器類も出土しており、長瀬高浜遺跡がこの地 方で稲作を行った最も古い遺跡の一つであると考えられている。 さらに近年の「妻木晩田」をはじめとする、大規模な弥生遺跡が日本海沿岸に点在する事の意味が再び注目を浴びている。 即ち、九州から全国へ伝わった稲作の、北陸・東北地方への中継地点としての意味合い、或いは朝鮮・大陸より直接に稲作 が山口・山陰に伝播した可能性などである。
長瀬高浜遺跡で見っかった埴輪群は、家型埴輪が4と部分4以上の形8点以上、甲冑形埴輪3点、鞆(とも)型埴輪1点、 衣笠(きぬがさ:蓋)形埴輪10点、朝顔形埴輪105点以上、円筒埴輪10点以上が認められました。 それぞれがほとんど完全な形に復元され、とても美しいものです。中でも甲冑形埴輪は衝(しょう)角付兜・形鎧・短甲・ 草摺(くさずり)に一連のセットを形どったもので、このセットがそろったものは全国でも珍しいものです。 又甲兜と盾という武具がほぼ実物大で3つづつみつかったことは興味深いことです。家型埴輪も入母屋式建物、寄棟式建物、 切妻式建物が完全に復元され、「火炎状」の屋根飾りを持つ建物も認められています。それぞれ大きさも構造も違う埴輪群 ですが、「大王の屋敷」を良く表しています。その他、弓を射る時左手首に付ける防具の鞆を形どった蓋形埴輪なども一見 無秩序で自由奔放な作り方ですが特徴が良く表現されています。 円筒埴輪は本来、古墳の周辺や頂上に立て並べるもので、出土埴輪総数の大部分を占めるものですが、長瀬高浜遺跡埴輪群 では大変少なく、朝顔形埴輪との比率が1:10と逆の現象を示しています。他の形象埴輪の基台として使用されていた可 能性があります。個々の埴輪だけでなく、これら一群の埴輪は、埴輪が表現しようとしている祭儀をよく表したもので貴重 な資料です。個々の埴輪の持つ美しさ、意義もさることながら、最も注目される点は本来古墳に立てられるべき埴輪が古墳 でない場所に集中して大量に出土したことです。 これにはいろいろな説がありますが、古墳に立てる前に一時的にこの地に置き納めたと考えるのが一番妥当なようです。 いずれにしても、今後全国から埴輪が出土するたびに比較研究される日本第一級の出土品です。これらの埴輪群は1986年6 月に一括して国の重要文化財に指定されました。 羽合町歴史民俗資料館発行のパンフレット「古代のロマン」より。