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大己貴神社 福岡県朝倉郡三輪町弥永







	筑紫の大己貴(おおなむち)神社は、遠景に古処山(こしょさん)を臨む鄙びた田園地帯の中にある。古処山の麓は、幕末
	の秋月の乱で有名な筑紫の小京都秋月である。
	訪れた98年1月は、古処山も大己貴神社も深い霧のなかにあった。安本美典説によれば、この神社は高天原の神々の集う
	場所であった事になろうか。



	境内はさ程広くなく、高い杉木立に囲まれた短い参道が本殿へ続いている。車道には大己貴神社と彫った石塔が建っている
	が、鳥居には大神(おおみわ)神社とある。




	ここが日本で一番古い神社というような説が出るのは、延喜式に記載があるのはもちろんだが、日本書紀に、神功皇后が九州
	へ来たとき、ここから5kmほど北の古処山の麓にいた「羽白熊鷲」(はじろくまわし)という暴れ者を退治したとき、この
	神社で征伐軍の人手を集め、武器を備えたという伝承があるからである。神功皇后譚は北九州の多くの場所で残っており、そ
	の事績にちなんだ地名譚は、必ずしもすべてが信用できるとは限らないが、しかしまた全てがでっち上げとも思えない。
	この甘木・朝倉地方のみならず、福岡県のほぼ全域に渡って神功皇后の逸話があると言うことは、おそらくその逸話に似た事
	績があって、それを地元の国司は大和朝廷へ報告し、日本書紀に編まれたのではないだろうか。そして、神功皇后かどうかは
	さだかでないが、その事績を行った古代人が確かにいたのだろうと思う。



上左写真の鉄塔のあたりに、内部に壁画を持った「仙道古墳」がある。




大己貴(おおなむち)神社を出ると三輪山の麓に出る。奈良の三輪山とよく似た形の山である。この付近でも弥生時代の古墳が多数発見されている。安本説の真否はともかく、この地方に古代大きな勢力が 根を張っていたのは間違いない。「古事記」に出現する語で、この甘木・朝倉地方に今も残る地名はわりと多い。又、奈良大和とよく似た地名もたくさんある。もし安本博士の言うように、この地方の集団が 大挙して東征し大和朝廷をうち立てたとすると、ここが、日本の発祥地と言えなくもない。



旧国鉄甘木駅(現在第3セクターで運営する、甘木鉄道甘木駅)の前には数年前から卑弥呼の碑が立っている。安本美典説が登場してから建てられたもののようだが、どうどうと日本発祥の地と 彫られているのにはいささか驚く。










2006.11.13 再び帰郷して





















上は、帰阪の前寄った鳥栖のアウトレット・モール。えらいもんが出来ていた。下は、関門大橋。





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