Sound: Revolution

−東京都品川区−
大森貝塚・遺跡庭園
1998.9.4




	月光仮面ではないけれど、誰もがみいんな♭♪知っているそんな遺跡がこの大森貝塚だ。
	団塊の世代なら、いやもっと後の世代でも、大森貝塚・モース博士という言葉と、静岡の登呂遺跡という言葉は、最初に
	覚える縄文と弥生の遺跡としてあまりにも有名である。しかし東京や静岡に生まれ育った人を除き、遺跡を実際に見た人は
	そう多くはないだろう。私も、大森貝塚がまだこんな形で残っているとは思いもしなかった。何しろ40年程前に覚えた名
	前だからだ。しかも、モースがここを発見したのは120年前である。それが、今もきれいな遺跡公園として整備され、当
	時の貝塚がそのまま保存されている。いかに、この遺跡の発見が衝撃的なものだったかがしのばれる。



日本で初めて「進化論」を講義したのはモース博士である。「縄文」という言葉も、博士の「コードマーク」という語を訳したものだ。



下の、貝殻を模した屋根の下に貝塚の断面模型図が設置してある。ここが、発見当時の場所なのだろう。





下は庭園内に立てられている案内板。白い枠内をクリックすると拡大できる。




公園(庭園)自体はさほど広くない。10分もあればぐるりと一回りできる。



	モースは、横浜から東京へ向かう列車の中からこの大森貝塚を発見した。付近の住民や、列車からこの貝塚を見た人はモー
	スの他にもいた事だろう。しかし当時の日本人には、それを学問としてどう理解すればいいのかもわからなかったに違いな
	い。この遺跡庭園を降っていくと、今も東海道線の線路脇に当時の貝塚碑が建っている。





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