Music:Round midnight

神戸市の古墳
処女塚古墳・東求女塚古墳・西求塚古墳

2004.5.3(月) 神戸市灘区・東灘区





	神戸市東灘区と灘区には、地元では有名な3つの古墳が残っている。「処女塚(おとめづか)古墳」(東灘区)は古墳
	時代前期に築かれたと思われる前方後方墳で、昭和60年(1985)に遺跡公園として整備された。同じく東灘区の「東
	求女塚(ひがしもとめづか)古墳」は、阪神電鉄の施設工事によって崩されてしまったが、処女塚古墳と同じ頃に築か
	れたと思われる前方後円墳である。灘区の「西求女塚(にしもとめづか)古墳」も早くから公園として整備されていた
	が、発掘調査で前方後方墳である事が判明しているし、慶長の大地震による地滑りや崩れた石室の跡などが確認された
	他、平成5年(1993)には三角縁神獣鏡が7面出土し話題になった。平成13年(2001)には古墳の前部の輪郭が「バ
	チ型」であり、3世紀頃の築造で最古級の古墳であると神戸市教育委員会が発表した。

	3つの古墳の位置関係は、処女塚を中心に東西それぞれ約2km以内の地点に東西の求女塚があり、それぞれが処女塚
	の方向を向いている。そのためか、これらの古墳にまつわる悲恋物語が、古く万葉の時代から伝説として残っている。

	2人の男性に慕われた女性が身を処しかねて自殺したため男性も後を追ったので、女性の墓を中に男性の墓を両側に造
	ってとむらったというものである。この女性の墓が処女塚古墳で、男性の墓がそれぞれ西求女塚古墳と東求女塚古墳だ。
	勿論この伝説は真実ではなく、後世の人が考えたロマンであるが、この伝説は奈良時代の万葉集に登場する歌人たちが
	歌に詠んでいることから、かなり古い伝説だったようで、 平安時代の「大和物語」では2人の若者が水鳥を弓矢で射て
	乙女を争う筋書きになり、 後の時代にも謡曲「求塚」になったり、森鴎外も戯曲「生田川」として取り上げている。






処女塚古墳 東灘区御影塚町2−10









	阪神電車石屋川駅を降りて南西へ5,6分歩くと処女塚(おとめづか)古墳につく。この古墳は整備に先立ち神戸市教育
	委貝会によって実施された発掘調査で兵庫県下では珍しい、全長65mもの前方後方墳であることがわかり、その年代も
	従来考えられていたよりも古い4世紀代のものであることが明らかになった。石屋川によって形成された扇状地上に造ら
	れた古墳で、砂堆状地上に立地している。現在の位置は、海岸線まで300m位あるが、築造当時は海岸のすぐ側だった
	のではないかと考えられている。
















	古墳時代前期築造の全長65−70mの前方後方墳で、石棺、土器、埴輪片、勾玉などが出土しているが、スタンプ文土
	器・箱式石棺・勾玉などから4世紀後半頃の築造かと推定される。大正11年3月8日に国史跡に指定され、現在は神戸
	市の管理下にある。昭和54年4月1日から整備上がスタートし、第1次調査が同年12月〜昭和55年3月に行われ、
	墳丘斜面での葺石の存在、前方部は二段構築であること、前方後円形の可能性が高いことなどが判明したが、その後の調
	査で前方後方墳である事が確定した。周辺遺跡は、幾つかあるようだが、近くでの集落遺跡は見つかっていない。









 

 










東求女塚古墳 東灘区住吉宮町1−9





	東求女塚古墳は阪神電車住吉駅東の、住吉川下流西岸、呉田(ごでん)にある。現在は住宅街の真ん中である。古墳
	は明治36・37年の阪神電車敷設の際に封土を削り取られ、後円部の一部だけが公園の中に取り残されていた。
	すぐ側に幼稚園が建っており、昭和57年の幼稚園改築の際に発掘調査を行ったところ、前方部の基底と周濠が残存
	しているのがわかり、さらなる調査の結果、幼稚園部分を前方部、公園となっている部分が後円部の、古墳時代中期
	築造の全長約80mの前方後円墳であることが確認された。太刀、車輪石、三角縁神獣鏡などが出土している。出土
	遺物は現在東京国立博物館に保管されていて、神戸市立博物館にもレプリカが展示されている。東灘区にはこの他に
	もJR住吉駅北側に坊ケ塚(前方後円)、ヘボソ塚(前方後円)があって、阪急岡本駅西側にも前方後円墳があったらし
	いが、現在では破壊されて消滅してしまっている。















 




西求塚古墳(灘区都通3−1)







	西求女塚古墳は、阪神電車西灘駅南東の、国道2号線と43号線(阪神大震災の時、横倒しになった高架道路)が
	合流した地点の、都賀川下流西岸、味泥(みどろ)にある。現在は公園になっていて墳丘が改変されているが、全
	長は100mに近く、神戸市内では垂水区の五色塚古墳に次いで2番目の大きさを持つ古墳である。六甲山麓では
	最大の大きさを測る。奈良県の箸墓古墳と同じく3世紀後半頃の築造と考えられる最古級の古墳で、墳丘は3段構
	造、四角い方墳が二つ繋がった形で、前方がバチ形をした前方後方墳である。かっては、古墳の上に三重の塔が建
	てられていたという。
	平成5年(1993)、三角縁神獣鏡7枚が出土し、慶長年間の伏見地震(1956)で墳丘が10mほど横滑りしていた
	ことが判明した。竪穴式石室から中国製の剣・刀・槍などが出土し、4世紀初め頃の神戸地方の有力豪族を葬った
	墓だと考えられる。







  



 






	神戸・西求女塚古墳 前方部バチ形で最古級裏付け  2001/05/18 神戸新聞
	--------------------------------------------------------------------------------
	神戸市灘区・西求女塚(にしもとめづか)古墳を調べていた神戸市教委は17日、古墳前方の輪郭が三味線のバチの
	ようにカーブを描く「バチ形」であることを確認したと発表した。奈良県の箸墓(はしはか)古墳など出現期(3世
	紀後半)の古墳に共通する特徴といい、市教委は「最古級の古墳であることが裏付けられた」としている。 

	
	西求女塚古墳は長さ約百メートルの前方後方墳。一九九三年、邪馬台国の「卑弥呼の鏡」ともいわれる三角縁神獣鏡
	(さんかくぶちしんじゅうきょう)七枚が出土し、有力な豪族の墓とされている。 
	今回の調査では、長さ約四十五メートルの前方部の一部を発掘。その結果、幅五十メートルとされる先端部から後方
	部につながるくびれ部分(幅二十六メートル)にかけて、カーブを描いていることが分かった。 
	バチ形の古墳が兵庫県内で確認されたのは四カ所目。しかし、西求女塚のように、銅鏡などの出土遺物▽三段構造の
	墳丘▽竪穴式石室―などすべての要素が確認されるのは珍しいといい、立命館大学の和田晴吾教授(考古学)は「出
	現期の古墳を調べるうえで第一級の資料」と話している。 

	また、今回の調査では慶長伏見地震(一五九六年)に伴う地滑りで墳丘が十メートル程度横滑りしていることも分か
	った。 市教委は二十日午後一時から現地説明会を開く。現地事務所TEL078・881・6580。 

	西求女塚古墳 処女塚(おとめづか)古墳を挟み、東求女塚古墳とほぼ等間隔で並ぶ。その位置関係から一人の乙女
	に恋する二人の青年の悲哀物語が生まれ、万葉集にも登場する。同市教委は一九八六年から調査を続けており、今後、
	国指定史跡の申請を行う予定。 
	--------------------------------------------------------------------------------
	Copyright(C) The Kobe Shimbun All Rights Reserved



下の新聞記事を見てこの古墳を訪れてみる気になった。









邪馬台国大研究・ホームページ  遺跡めぐり / himiko@capricorn.zaq.jp