Music: Across the Universe
鷹山遺跡(先史・縄文時代) 2002.5.5(日)



	
	前夜泊まった菅平のペンションの前で。前日の雨とはうってかわってカラリと晴れたいい天気だ。旅に出たいつもの習慣で、
	朝6時頃に起き出して付近の散歩・BIRD Watchingに出る。高原の朝はほんとに爽やかで気持ちがいい。
	菅平は、おかしいくらいラグビーの連中で一杯だ。日本のあちこちから来た高校生・大学生・社会人達のラガーマンであふ
	れている。昨日はどこを走っても彼らの練習風景に出会った。







鷹山(たかやま)遺跡
★長野県小県(ちいさがた)郡長門(ながと)町★
	標高1500mの高原に、日本最古1万〜3500年前の縄文の黒曜石鉱山があった!
	長門町には発見されているだけで60程の遺跡があるが、中でも鷹山の辺り一帯は黒曜石の産地として知られ、縄文時代さ
	らには旧石器時代にまで遡って多くの人々が石器の材料を求めて訪れた。ここから持ち出された黒曜石は、遠く南関東まで
	運ばれたことが確認されている。




	
	●縄文最大・世界最古の黒曜石鉱山

	長野県の茅野市から白樺湖をぬけ、大門峠を越えると、日本有数の黒曜石の産地である鷹山にたどり着く。このあたりは標
	高1300mから1500mの高原で、霧ヶ峰、車山高原といった自然豊かなリゾート地を抱え、都会から多くの人が訪れる。とこ
	ろが、鷹山が観光地とは別のことで脚光を浴びる事になった。平成5年(1993)9月12日、読売新聞の一面のトップで
	<縄文最大の「黒曜石鉱山> <75基の採掘址>の見出しで世界最古かつ最大規模の鉱山遺跡の発見が報道されたからだ。
	発掘には、明治大学考古学教室と長門町教育委員会があたった。鷹山の地表面には今でも、まるで星くずのように黒曜石の
	かけらが散在している。この時の発見で一緒に採集された土器から、日本最古はもとより、世界でも最古の鉱山と言われて
	いる。狩猟・採集の縄文時代に、既に地下資源を流通させる大がかりな生産活動があり、何百キロも離れた場所へ運んでい
	く流通ルートもあったのだ。この「縄文鉱山」の発見は、それまでの縄文観を塗りかえるものとして注目され、平成13年
	には国指定の史跡となった。




	下は、鷹山遺跡の中に建つ明治大学の「黒曜石研究センター」。この辺り一帯から虫食山(むしくらやま)山頂に掛けての
	一帯が黒曜石の産地である。研究センターは建ったばかりの綺麗な建物で、長門町と明治大学の協定書(後記)では、ここ
	に隣接して長門町が博物館を建てることになっている。



センター後ろの林の中、道路を挟んでセンターの前にある高原野菜の畑からも、今でも黒曜石のかけらが出土する。

 






	このあたりでは、鷹山遺跡だけでなくアチコチで黒曜石の石器が出土する。八ケ岳周辺一帯がその地盤なのだろう。しかし、
	その生産・流通をシステム化していたことで鷹山遺跡は脚光を浴びたのだ。長門町を抜けて和田峠へ差し掛かった所にも黒
	曜石の遺跡があり、その隣には「黒曜石の岩盤を通って来た名水」の湧き出る場所があって、多くの人が車を止めて水を汲
	んでいた。



 

	●すべて縄文人が手でさわった石
	じっさいに鷹山の星糞(ほしくそ)峠から虫食山(むしくらやま)の頂上にかけての斜面を登った人によると、すり鉢城の
	窪みが無数にあってどれも黒曜石を掘った穴だという。広葉樹に覆われている森の足下には、星くずのように黒曜石のかけ
	らが散らばっているらしい。鉱山というからには組織的でおおがかりな生産が行われていたはずで、大量の労働力を動員す
	るための社会秩序が必要になる。大量の石器が製造されたとすれば、それを流通させる販路システムもなければならない。
	縄文時代は意外にシステマティックだったのだ。それにしても、星糞(ほしくそ)峠とはまた、ロマンチックなのかそうで
	ないのかわからないような名前ではある。





	
	現在長門町が管理している資料館は「原始・古代ロマン体験館」と言って、遺跡よりもだいぶ北の国道152号線沿いにあ
	る。車で20分ほど遺跡とは離れている。しかしこの遺跡が平成13年に国指定遺跡となったことで、遺跡現地に博物館を
	建てる計画が進行中だそうである。程なく、きれいな博物館が高原野菜畑の中に出現するのだろう。それまでは、きちんと
	した説明や解説書の類はなさそうで、パンフもないと聞いてがっかりした私を見て気の毒になったのか、体験館の窓口にい
	たおばさんは、「私の資料ですけどよかったら」と、二色刷のCOPY資料(下、ほか)をくれた。知的できれいなおばさんだ
	った。




 

 

 

 

 

 



	●黒曜石
	星糞峠で1万年前の黒曜石の鏃(やじり)が見つかった。さらに山の中腹からは、3500年前の土偶、通称「長門縄文人」が
	見つかった。つまり黒曜石の採掘は、低地から高地へと拡大していった事がわかる。八ケ岳から和田峠に至るこの一帯は日
	本でも有数の黒曜石の産地で、他に有名な黒曜石の産地としては北海道の白滝遺跡、神奈川県箱根、大分県姫島、佐賀県腰
	岳などがある。黒曜石は割れやすく、ガラス質の鉱物であるため割れ口が非常に鋭利で、ナイフの用途を持つ石器の原材料
	としては非常に優れていたのである。割れた面を見ると、面の重なり具合からどの順序で割られたかがわかる。星糞峠から
	麓一帯は、1万年前の「黒曜石石器工場」地帯だったのだ。

	以下は現在判明している日本における黒曜石の産地である。黒曜石は火山活動の結果産出するので、当然その産地は古代の
	火山周辺に限られる。鷹山遺跡周辺の黒曜石は、近畿地方にも運ばれている。





 







	●原始・古代ロマン体験館
	鷹山遺跡と、そこから出土した石器類を展示してある資料館は相当距離が離れている。遺跡現地には、明治大学の「黒曜石
	研究センター」という2階建てのりっぱな建物が建っているが、ここには一般人は立ち入れない。明治大学による調査は現
	在も行われており、毎年明治大学と長門町による合同の発掘調査が行われている。
	
	明治大学と長野県小県郡長門町間における黒耀石研究活動の推進に関する協定書

	1 明治大学と長門町は、鷹山黒耀石原産地遺跡群の発掘調査を共同で推進し、学術の交流を深めるとともに、研究成果の
	  公開に ついても相互に協力する。
	2 明治大学は、長門町から提供された土地に、学校法人明治大学が設置する黒耀石研究センターにおいて、鷹山黒耀石原
	  産地遺跡群の研究調査活動を行う。
	3 長門町は、明治大学黒耀石研究センターの隣接地に今後博物館を設置し、共同で研究調査した成果を公開する。
	4 本協定に定めるもののほか、必要な事項については、その都度、明治大学長と長門町長が誠意をもって協議決定するも
	  のとする。


	<星糞峠の発掘風景>
 







 

 

 

 

	
	この資料館は「体験館」というだけあって、希望すればいろんな古代GOODSを実際に復元・製作できるようになっている。
	この日も多くの子供達が土器づくりなどに精を出していた。



 









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