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尖石(とがりいし)遺跡
2000.3.29(水) 長野県茅野市 八ヶ岳山麓の縄文遺跡



	仕事で始めて長野県に行った。旅行や山登りではずいぶん来たが仕事で来るのははじめてだ。それも伊那である。さっそく
	仕事が終わった後に寄る遺跡はないかと探したら、縄文時代の尖石遺跡があったので寄ってみることにした。
	尖石遺跡は、八ヶ岳西山麓標高約1,000mの台地上にあり、紀元前4,000年〜3、000の縄文後期の生活跡遺跡である。石器・土
	器が山ほど出土している。

 



 

 





尖石考古館 −只今改装中− 2000年7月オープン予定


	残念なことに考古館は改装中だった。今年7月に再オープンだそうである。その間遺物は「八ヶ岳総合博物館」に一部展示し
	てあるそうなので、帰りに寄ってみる事にした。ここに「尖石考古館コーナー」があって7月までの「仮の宿」だ。

 


	尖石遺跡が縄文時代における我が国初の集落跡である事を明らかにしたのは宮坂英弌(みやさかふさかず:1887〜1975)で
	ある。地元で学校の教師をしながら発掘を続け、ここに大集落があった事を突き止めた。彼の成果を元に、近くの与助尾根
	遺跡も発掘され、縄文時代にムラが存在していた事が始めて確認されたのである。「尖石考古館」の前には彼の銅像が建て
	られていて、見学者を迎えてくれる。(上右)


	尖石遺跡が栄えた理由として、八が岳山麓に広がる広大な森がもたらす豊かな果実や、獲物としての動物の多さが挙げられ
	る。また、近くに石器の材料となる黒曜石を産出する場所がある(鷹山、和田峠等)事も見逃せない。

 


	この草原(らしき所)全体が縄文遺跡である。この下に住居跡を含む生活の痕跡があった。一部その跡を建物で覆って公開
	している。住居跡とおぼしき遺跡が約 150軒ちかく発見されているがこれは一部で、全体は未発掘のため相当広い範囲にわ
	たって縄文人達は生活していたものと考えられている。本格的な発掘調査は昭和15〜18年にかけて行われているが、再度調
	査したらもっと何か面白いものが出てくるかもしれない。



 


	遺跡の南側斜面に尖石と呼ばれる三角錐の大きな安山岩が露出している。石斧などを研いだところが認められたところから
	この石は縄文人達の共有の砥石だったのではないかと考えられている。これは今でも「尖石様」と呼ばれており、遺跡の名
	もここから来ている。










	縄文時代の集落研究の上でも価値が高い遺跡と言うことで特別史跡に指定されている。
 


	考古館の裏手は林で、ここも縄文人達の生活の跡があった遺跡である。与助尾根遺跡。考古館の改装に合わせて、復元施設
	も改装されている。






	明治 25年(1892)に発見された尖石遺跡は、八ヶ岳西麓の台地上に展開する縄文時代中期から後期にかけての大集落跡であ
	る。昭和15年からの本格的な調査で、竪穴式住居や炉、土器・石器、装身具などが発見され、さらには中央広場と列石群、
	土溝群、埋没瓶等が確認されている。この発見によって縄文時代の集落の有り様が具体的に呈示されたと言える。尖石遺跡
	の北側には「与助尾根遺跡」(よすけおねいせき)があり、石で囲った炉の跡を持つ住居跡が確認されている。また縄文人
	の精神構造を示す、祭祀的な意味合いを持った列石や、炉の廻りの直立した石棒なども出土し、我が国有数の縄文時代遺跡
	群を形成している。その後の調査は実施されていないが、まだまだ多くの遺跡がこの地方一帯に残されている可能性がある。

 




	《尖石遺跡・尖石考古館》

	〒391-02 長野県茅野市豊平4734-132
	TEL 0266-76-2270
	JR茅野駅下車 バス20分「尖石考古館前」下車 またはタクシー10分
	中央自動車道諏訪ICより約20分







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