Music: Mr.Moonlight
鶯塚古墳
奈良市・若草山山頂 2004.4.17






	若草山は、一重、二重、三重と山が連なっているが、一般の観光客は一重目の山腹までしか登らない。一重目の頂上
	近くには柵が張り巡らされていて頂上には行けない。頂上から二重目、三重目と登ろうとすれば、二月堂の方角から
	柵に沿って登っていく。
	三重目の頂上が若草山山頂であり三角点はここにある。枕草子にも登場する「鶯塚古墳」もここにある。若草山の頂
	上に築かれた全長103mの前方後円墳で、後円部に「鶯陵」の石碑が立っている。南側を向いた、標高300m以
	上の山頂にある古墳としては、我が国でも最大級に属し、通説で仁徳皇后の墓といわれている。
 







	正月の「山焼き」で有名な「若草山」は、麓から上を見上げた時は一つの山にしか見えないが、実は笠を伏せた様な
	3段からなる山で、昔は若草山を「三笠山」と言っていた。入山料150円を払って頂上(標高308.6m)から、
	見下ろすと若草山が3段からなる山であることがよく分かる。芝生の保護のため入山は制限されており、入山期間は、
	3月21日〜6月15日と、9月10日〜11月25日の春季・秋季のみである。しかし、山頂・三角点・鶯塚古墳
	へは、春日山スカイラインの「若草山頂上」から徒歩で3分ほどで頂上へ登れる。





 




	若草山の二重目からの眺望。頂上からは北に山城の山々、南に二上山、葛城山、金剛山の山々が望まれて、西に、矢
	田山系越しに生駒山系が望める。更に眼下には、春日大社・東大寺・平城京跡なども見る事が出来る。周囲には大き
	な樹木が無く、低木と草に覆われているので、奈良盆地を一望できる展望が楽しめる。驚くことに、ここにも鹿は登
	ってきてるし、三重目の頂上にもいた。 










	【鶯 塚 古 墳】(うぐいすづかこふん)

	若草山三重目頂上にあり、南側を向いた前方後円墳。清少納言が「枕草子」第17段で、「みささぎは うぐひすの
	みささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。 」と書いている「うぐいすのみささぎ」がここだとされている。
	16代仁徳天皇の皇后、磐之姫命の墓は、宮内庁によって現在、佐紀路にある古墳が比定されているが、今の位置に
	比定されたのは明治になってからで、その佐紀路のヒシャゲ古墳は、それまで「平城(なら)天皇陵」とされていた
	ようである。そして磐之媛墓=平城坂上墓(ならのさかのうえのはか)は、「大和若艸山之頂字鶯陵」と記録される、
	若草山の山頂にある前方後円墳のことだというのである。鶯陵(うぐひすのみささぎ)は、標高300m以上の山頂
	にあり、全国的に見てもこんな山頂にある古墳はなかなか無い。私が見たなかでは、長野県の将軍塚古墳が山頂にあ
	ったが、あちらは後期の古墳だったと思うが、鶯塚古墳は前期古墳である。








	鶯塚古墳は、軸をほぼ南北に向けており、全長が103m、前方部の幅50m、後円部の直径61mの規模をもち、
	二段築造の墳丘には葺石や埴輪があり、前方部西南隅で石製の斧や内行花文鏡などが出土しているが、埋葬施設は
	明らかではない。周辺には陪塚と考えられる円墳、方墳などが3基ほど確認されている。これらは春日古墳群と呼
	ばれ、芝生の中に点在する小さな古墳群である。昭和22年、一部の発掘調査が行われ、小さな石室を持つ後期古
	墳群であることがわかった。鶯塚古墳の築造は、4世紀末と推定されていて、丘陵頂部に築造された典型的な前期
	古墳である。清少納言の「枕草子」に記されている「うぐいすの陵(みささぎ)」から、古墳の名も「鶯陵」と名
	付けられ、昭和11年9月国の史跡指定を受けた。





 


	「鶯塚」と呼ばれる遺跡は全国各地にあるが、おそらく一番有名なのはこの「鶯塚古墳」ではなかろうか。東大寺
	の僧康訓が享保十八年に建てた「清少納言が『枕草子』にうぐひすの陵と記しているのはこの古墳である」と書か
	れた碑が後円上部にあり、幾つかの書物にもこの塚のことがしるされている。また「鶯塚」と名付けられた由来の
	伝承なども残っているようだが、勿論古墳時代のこととて、その被葬者などはわからない。古墳時代中期に、おそ
	らくは自然の地形を利用して築造された古墳であるし、二段丘になったテラスには埴輪が残っていたので、典型的
	な古墳時代の前方後円墳である。調べた限りでは出土品等はなさそうなので、発掘はされていないのかもしれない。



古墳の段丘に沿ってぐるりと一周写してみた。





古墳を覆っていた葺石の残骸があちこちに散らばっている。埴輪も立ち並んで、築造直後の姿はさぞ壮麗だった事だろう。





「鶯陵」の碑が立っているところが後円部で、ここに立つと、この古墳が前方後円墳なのが一目瞭然である。





「鶯陵」古墳を見ながら、目に痛いような青葉になった桜の下で昼飯を食った。時折まだ咲いている花びらが風に舞った。







実際の若葉の美しさはこんなものでは無かった。ここにその美を再現できないのは残念だ。実に綺麗な「青葉茂れる」だった。







2004.5.4 雨



	今回の連休、30日を休んで私は7連休となった。家族で特に何処に行くという予定も無かったので、今回は歴史
	三昧に過ごそうと決めた。大阪歴史博物館でやっている「上海博物館展」に2回行き、東大阪市埋蔵文化財センタ
	ー、奈良国立博物館でやっている「法隆寺展」にも行った。歴史倶楽部の例会で再び「葛城の道」に行き、前から
	行きたかった神戸・灘の処女塚(おとめづか)古墳とその東西にある「東求塚古墳」「西求塚古墳」、同じく神戸
	の「桜ヶ丘遺跡」に行った。ここは弥生時代の銅鐸が大量に発見された場所である。一部は国宝に指定され「神戸
	市博物館」に展示されている。以前見逃した、赤穂城の本丸跡も何か見逃した事がモヤモヤしていたので、思い切
	って見に行った。ばったり赤穂駅で知人に出会ったのには驚いた。

 


	Wifeはwifeで連休は予定があると言っていたので勝手にやっているものと思っていたが、5日間出歩いた私におも
	しろくなさそうだった。自分が出掛ける時は私の事など気に掛けている様子はないのだが、自分が予定無く私が出
	掛けると、それまでの行動などは消え去って、置いていかれたという思いだけを増幅させているのだ。しかたがな
	いので、一日奈良に連れ出した。前回ここへ来た時、「春日山ドライブウェー」から簡単にこの古墳へ登ってくる
	連中を見て、「クソー、俺もそっちから一度来てやるぞ」と思ったのを思いだし、wifeと再び訪れた。生憎の雨だ
	ったが、返って新緑が雨に洗われて、新鮮で清涼な「山笑う」季節を味わうことが出来た。



 

「春日山山頂」の駐車場から100mで山頂へくる。歩き出すと霧が出だしてワクワクしてきた。





展望台から見る奈良市街。雨に煙る奈良の街も、なかなかだ。緑の中で味わい深い。




	前回来たときの下から2枚目の写真と、上の写真は同じアングルから写したもの。二十日足らずで山が笑っている。
	上の写真の右側から、下の写真左側へと繋がっている。奈良の街を一望できる大パノラマが展開している。





鶯塚古墳にももう一度登る。

 

雨の中でも鹿は食物を求めてさまよう。山麓へ降りて鹿せんべいを貰っている鹿達もここへ登ってくるのだろうか。



 

若草山の山頂は古墳の後円部の頂にある。「鶯陵」の石碑の側に三角点がある。

 

雨の中、文字通り洗われるような新緑の中を行く、我が家のプジョー306。赤と緑の色が鮮やか。




	春日山から降りてきて、「春日ホテル」で昼食を取った。日頃の迷惑料にちょっと奮発してwifeに懐石料理を御馳
	走した。レジで支払いをしていると、「□□円以上召し上がって頂いたお客様は、当ホテルの温泉がご利用になれ
	ますが。」と言われて驚いた。「今ならご宿泊のお客様はいらっしゃいませんし、タオルや洗髪料などみんな揃っ
	てますよ。」というので、遠慮無く入ることにした。私もwifeも貸し切りだった。「雨に打たれての露天風呂もな
	かなかいいものですよ。」と言う仲居さんの言葉通り、しばし至福の時を過ごさせてもらった。打たせ湯もサウナ
	も、勿論大浴場もあって、しかもそれを一人で占有できるとあって、少し高めかなと思った料理代もこれで帳消し
	になった。



 



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