浮羽(うきは)郡は福岡県のやや南部、筑後川の南側に位置している。郡には、田主丸町(たぬしまるまち)、吉井町 (よしいまち)、浮羽町(うきはまち)があり、一般的には筑後地方と呼ばれている。耳納連山がまわりを取り囲み山 の向こう側は大分県の日田市、北側は甘木・朝倉地方、西は久留米市、南は熊本県という、筑後川流域の典型的な田園 都市である。 ここに装飾古墳群が密集している事は古くから知られていた。中でも有名な日岡(ひのおか)古墳は既に盗掘にあい副 葬品は殆ど残っていなかったが、同じ若宮八幡宮の境内にあった月岡(つきのおか)古墳からは多くの甲冑・馬具等を 含む古墳時代の遺物が出土しており、それらは現在「吉井町立歴史民俗資料館」でみる事が出来る。焼酎好きな人は知 ってると思うが「紅乙女」という胡麻焼酎がある。あの酒は田主丸町で出来ている。
下、鳥居の向こうに立っている建物から古墳の中に入れるようになっているらしかったが(後で聞いたら上から覗くよ うになっているらしい)、雨も降っていてどこに聞けばいいのかもわからず玄室の中を見るのは断念した。古墳の上に 鳥居や狛犬やが沢山立っていてちょっと見は神社である。
原(はる)古墳は横穴式石室を持つ円墳で、現在奥の壁が裏返された形で保存されているという。写真で見てもこの壁 画はかなり不鮮明である。解説では、「中央に人と馬を乗せ、人が櫂を操る大船が描かれ、船の左隅と上部に3つのゆ ぎ、弓を持つ人物などが描かれています。」とあるが、写真ではとてもそんな描写は理解できない。しかしもしそうだ とすると、有明海から筑後川を船で遡ってきたこの古墳の被葬者を表しているのではないだろうか。勿論大陸か半島か らの渡来人であろう。
珍敷塚(めずらしづか)古墳。古墳時代前期。昭和25年採土の際発見されたが今は、この古墳にはもう何にもない。古 墳の盛り土自体も土砂取りのためすっかり無くなってしまっている。わずかに壁画のかかれた奥の壁とその廻りの積み 石が二三残るだけで、この建物の中に密閉して保存してある。裏の管理人に頼めば鍵を開けて見せてもらえる。しかし 壁画はもう薄ぼんやりと線や色が見えるだけで、下にある現状模写図を読みとるのは難しい。 この壁画の特徴は、大きな同心円とその下のゴンドラ形の船、中央の弓矢に入った3個の大きなゆぎ、右端にヒキガエ ル、といった古代信仰思想が描かれている点である。解説によると「ここに葬られた人物が、太陽の輝く陽の世界から、 月の支配する陰の世界へ、鳥の導く船で現世から来世へ旅立とうとする姿が表されている」とある。中は勿論撮影禁止。
古墳を見た後、帰り道に「朝倉の三連水車」があると聞いたので寄って貰った。大きさにびっくりした。直径2m以上 はある。側を地元の人が二三人通ったが、水車より小さかった。こんなものが200年以上にわたって田圃に灌漑して いるとは驚きだ。しかも今持って現役なのである。「国指定史跡」で今持って現役なのはこれくらいじゃなかろうか。 用水路の下流には「二連水車」も二つあった。