通い慣れた「飛鳥板蓋宮跡」が、説明会の受付になっていた。11時に待ち合わせをして歩いてきたので、見学客はあまり多くなか
った。むしろ、飛鳥の説明会にしては少ない方だろう。立っていた説明員に聞くと「朝は多かったですけどねぇ」と言っていた。
昼から出てきて正解、正解。

向こうの方に人だかりが見える。あそこで説明しているようだ。

職員のお姉さんが、「説明会のパンフレットですぅ、説明会はいま始まった所ですぅ。」と資料を配っていた。

テントの中には出土物の一部が展示してあった。





全然少ない見学者だ。飛鳥の現地説明会は、大抵2時間くらい並ぶんだが、「苑地」とかは地味なのかねぇ。

でもこういうのも飛鳥京を取り巻く施設だし、何より飛鳥全体のイメージを掴むには、石室を見るよりこっちの方が遙かに楽しいと思うがなぁ。

説明する橿原考古学研究所卜部さん。まずここで説明を聞いて、それから発掘現場へ向かうようだ。

「飛鳥京の北西に一大苑地があって、南池と北池に分かれています。間には堤防(渡堤)があります。北池からさらに北へ水路が
伸びていて、それは途中で西側へ直角に曲がっているのが確認されています。今回の調査は、北池の東岸、北岸の位置を確認する
のも目的の一つでした。」と卜部さんの説明。
2つの池に分かれているのも知らなかったし、こんなに広い範囲に苑地を作っていたというのも驚きだった。10年前の苑地説明会
の時でも、その豪勢な作りに驚かされたが、あの池だけではなくて北にも池があったとは。斉明天皇はこの飛鳥をどうするつもり
だったのだろうか。


10年前の説明会を聞きに来た時、勿論「北池」の存在などはわからなかったので、「南池」の水はすぐ側の飛鳥川から引いてきて
いるものだとばかり思っていた。ところが説明では、この二つの池の水は飛鳥川の水ではなくて、それぞれ二つの池の中から湧き
出ている「湧き水」だという。それを北池の水路を経て飛鳥川へ排水しているのだそうだ。驚いた。ここの地名が字「出水」にも
ビックリ。






板蓋宮を後にして、農道を渡って発掘現場へ行く。4,5分だ。飛鳥川の側、前回(10年前)の発掘現場のすぐ隣だった。


お、あそこだな。人だかりが見える。


おー、いるいる。ここだここだ。早くみたいねぇ。気がせく。



1400年前の石組み、砂利敷きだ! 飛鳥時代の人間があの石を並べたのだと思うと、自分がここに立っているのが不思議な
気がする。斉明天皇、中大兄や大海人皇子もここに立って、工事の進捗を眺めたりしたのだろうか。まさしく、「稜々たるかな
古今」だ。はるけくも、来つるものかな。



しかし飛鳥の説明会にしてはホントに少ないねぇ。ま、話を聞く方は聴衆が少ない方が頭に入っていいけどね。



北池の北岸と東岸。これで北池の全体が判明した。





北池から、水路が北(上写真右方向)へ伸びて、途中で直角に西へ曲がり、飛鳥川へ排水されていたと考えられている。



今でもひんぱんに水が湧き出ている。発掘にはじゃまなのでポンプで吸い出している。



そうやってやっと遺跡の全体像がわかる。発掘なんて気が長くないとやれないねぇ。我々はその成果を楽々と享受。ありがたや。

現地説明会も、毎回このくらいの人手だとずいぶん聞きやすいんだがなぁ。流れ作業のような説明会は何を聞いたか殆ど覚えてないもんね。


北池の全体像。中央の黒い部分が北池の底に当たるようで、あそこらから水が湧き出していたのだ。














南池の発掘現場をみる

この広い一帯が広大な池だった。池の底にはちゃんと砂利が敷いてあって、船も浮かべていたらしい。

説明員とだいぶ話をした。これらの造園作業を行った人々は、「石神遺跡」の宿舎に泊まっていたのではないかと言う。



大正五年(1916)にこの水田から二つの石造物が出土した。一つは平らな形で(長さ2.2m、幅1.7m)、あんぱんをつぶしたよう
な形の物と、もう一つは板を縦にたてたような、滑り台のような形の物(長さ3m、幅0.3m)。二つの石を組み合わせて、水など
の液体を流したらしいことはわかったが、当時は苑地の付属物とは全然判らず放置されて、今は京都市東山の野村別邸・碧雲荘に
ある。この「出水の酒船石」と名付けられた石造物は、まさしく苑地の池に水を流れ落とす仕掛けの一部だったのだ。これは湧き
水ではなさそうなので、飛鳥川から水を引いていたものと思われる。

上が、大正五年出土の石造物とその使われ方の想定図。下はこの石造物のレプリカで、国立文化財研究所飛鳥資料館の庭に置いてある。



ここが南池の発掘跡。すっかり埋め戻されているが、ここはもう奈良県が買い上げているそうだ。北池から水路部分も、可能な限
り買い上げて、将来「苑地公園」にする計画らしいが、果たしていつのことになるのか。質問したら学芸員も「さぁ、平成30何
年とかですかねぇ」と言っていた。つまり、いつになるやら判らないのだ。私が生きている間に、復元された苑地を見る事が出来
るだろうか。


板蓋宮跡にはまだ説明を聞いている人達がいた。散発的に集まって来ているようだ。

昔の例会で「飛鳥鍋」を食べた「めんどや」さんで、今日は「にゅうめん定食」の昼食。三輪そうめんの暖かい奴でうまかった。

帰りに「飛鳥民俗資料館」を覗いて、飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)でのお祭りを見て橿原神宮駅へ戻った。錦織さん、
お疲れ様でした。また行きましょう。「飛鳥民俗資料館」、飛鳥座神社の祭り、の模様は、「博物館めぐり」の「飛鳥民俗資料館」
に入れます。そちらもどうぞご覧下さい。
当日配布された「現地説明会資料」






錦織さん、これも是非行きましょう! 他の皆さんもいかがですか?
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