Music: 少年時代(井上陽水)
吹田市・瓦窯跡 遺跡
2011年10月13日 吹田市紫金山公園


	紫金山公園は、吹田市岸辺地区・五月が丘東地域にある丘陵である。ここに古代の瓦窯跡が点在している。「吉志部(きしべ)瓦窯跡遺
	跡」と総称されるが、主として平安京建設時の屋根瓦を製作していた窯跡である。少し離れたところに、聖武天皇の「後期」難波の宮を
	作る際の瓦窯跡であった「七尾窯跡」も存在する。
	古くからココに窯跡がある事は知られていたが、平安京の瓦を焼いていた事、そして後期難波宮の瓦窯元である事は、近年の発掘調査で
	判明した。とくに、後期難波宮の瓦窯元としては、まだ「七尾窯跡」しか判明していない。

	紫金山公園は「釈迦ケ池」の側にあり、名神高速はこの釈迦ケ池を跨いで走っている。私の自宅は、釈迦ケ池側に建つマンション群の中
	である。名神を挟んで紫金山とマンションガ対峙している格好だ。平成になる2年前に購入し、2年住んで東京へ転勤になった。小さか
	った子供達とよく紫金山に登った。これらの瓦窯跡群も巡ったがまだ本格的な調査はされておらず、紫金山もヤブ山だった。それがここ
	数年、「里山を愛する会」のようなものが出来て、また吹田市・関西大学・大阪大学等による発掘調査も進み、公園も遺跡も随分と整備
	されて綺麗になった。そこで、これなら「遺跡巡り」として紹介してもよかろうと思い立った、という訳である。



釈迦ケ池。左の道路が「名神高速」である。「釈迦ケ池」は「鴨取り権兵衛」の舞台になった池だそうである。




	高速の向こうに見える小高い山が「紫金山」で一帯が公園になっており、「史跡ゾーン」と「自然ゾーン」に分かれている。紫金山の西
	隣約500mの第二中学校付近では、1万年〜1万5000年前の石器が発見されており、吹田市立博物館に展示がある。瓦窯に関する
	展示も詳細で復元窯は迫力がある。釈迦が池には、季節になれば良く野鳥が飛来する。Bird Watcherの私としては嬉しい限りだが、最近
	とんとWachingに出なくなった。


		   紫金山の名前の由来は昔、コバノミツバツツジが山全体に咲きほこり紫色に染まったことからこの名前が
		  付いたといわれている。4月には、桜と重なってなかなか見事である。ここへ移ってきた頃は鬱蒼とした
		  森だったのだが、すっかり整備され気持ちの良い散策路である。







	紫金山公園はJR岸辺駅の北西約1kmにある。紫金山公園の中には「吉志部神社」があり、南側に鳥居がたっている。岸辺という名前
	は古代氏族の「吉志部氏」に由来するらしいが「吉志部氏」はもともと「吉志氏」の一族のようである。仁安二年(1167年)の『兵範記』
	に、「摂津国垂水東牧吉志部村云々」とあり、このあたりは古くから吉志部(きしべ)と呼ばれていた。










	吉志部瓦窯跡は国の指定遺跡である。紫金山公園の「吹田の里ゾーン」は公園と吉志部瓦窯跡で構成されていると云っていい。吉志部瓦
	窯跡は昭和43年から発掘調査が行われ、46年に国の指定遺跡に認定された。昭和47年にも吹田市史編さん室、関西大学考古学研究
	室等によって発掘調査が行われ、吉志部古墳の内容の一部が明らかになっている。
	吉志部瓦窯跡については北側の「吹田市立博物館」に色々な展示物がある。吉志部瓦窯跡の裏手の山を越えると直ぐ博物館だが、5,6
	分で行ける。吉志部瓦窯跡の説明板がある広場には、トイレもある。綺麗なトイレで、女性でも安心。

	それでは、下図のご覧になりたい部分の赤い丸をクリックして下さい。




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