Acknowledgement 謝辞


	青沼茜雲という名前を初めて知ったのは昨年(2002年)、私の故郷、福岡県甘木市秋月に帰省した時、秋月郷土館で開催されていた
	「青沼茜雲展」を見た時でした。美術館の入り口脇のコーナーにいくつかの作品が展示してありましたが、入る時にはさほど気にも
	せず、一通り郷土館内を見て回った後ぶらりと眺めて廻ったのです。エラい派手な色使いやなぁと思って眺めていましたが、ある1
	枚の絵の前で私の足は釘付けになりました。それは、ふるさと秋月の街への入り口に掛かる「眼鏡橋」を描いた絵でした。青みがか
	った色調のなかに眼鏡橋があり、満開の桜の木が浮かび上がっている、何とも幻想的な絵でした。

	子供の頃から、一体何度この橋を渡った事でしょう。勿論夜歩いた事もあり、月夜に浮かぶ眼鏡橋を見たことも、雨に煙る眼鏡橋を
	見たことも、花吹雪の眼鏡橋を見たこともあります。しかしこの絵の眼鏡橋は、私が今まで見たこともない光景でした。勿論、現実
	にこんな光景があったという訳では無いかもしれません。しかしこの絵の描き出す世界は、私が今まで知らなかった新しい「ふるさ
	と」をイメージさせてくれたのです。ちょうど私はその頃、「邪馬台国大研究」のホームページ(以下HP)の中にふるさと秋月を
	テーマにした自分史コーナーを作ろうと考えていました。そしてその中にこの絵を使いたいと強く思ったのです。

	


	展示コーナーにあった作者の資料を貰い、郷土館を後にして私は大阪へ戻ってきました。それからしばらくは、忙しさにかまけてこ
	の絵のことも、秋月のHPも忘れていましたが、今年(2003)の正月帰省して、HPの資料収集のため秋月の街を散策していた時、
	眼鏡橋に来てこの絵を思い出し、本気で「秋月HP」制作を決意しました。そして青沼先生のHPにアクセスし、眼鏡橋の絵を使い
	たい旨Mailを入れました。長いことMailの返事はなく、やはりぶしつけだったかとか、こんな失礼な申し入れには返事をされないの
	かな、とか考えていました。そしてまた、何もかも忘れ去って一月ぐらい経ったある夜、家で一杯やっていた私に電話がありました。
	青沼先生からでした。

	一体どうやって私の電話番号をお知りになったのかはわかりませんでしたが、先生のHPは先生の甥ごさんが管理されている事、海
	外へ行っていたのでMailを見るのが遅くなった事などを話され、私の「邪馬台国大研究」HPを褒めていただきました。ご自分は八
	女の「磐井の墓」のすぐ側にアトリエがあり、私の「岩戸山古墳」のHPも見て感心した、というような話をされ、絵の使用を快諾
	していただいたのです。
	懐かしい九州弁で古代史への思いを熱っぽく語られ、HPに使う資料を送ってやるとまで言ってくれました。程なく資料が届き、そ
	の中にあった絵の数々は、眼鏡橋の絵に劣らず素晴らしいものでした。特に古代史を扱った「磐井」の絵や「八女津姫」、そして太
	宰府を描いた一連のシリーズに、私はすっかり魅了されてしまいました。そして是非ともこれらの作品群を、私のHPを見てくれて
	いるみんなに紹介したいと思い、このHPを作ることを思い立ったのでした。しかし、先生の公式HPは既にありますので、プロフ
	ィールや作品紹介はそちらに譲り、私のHPでは特に古代史に焦点を絞った作品紹介にしたつもりです。先生からは更に新たな資料
	もご送付頂き恐縮してしまいますが、快くHP制作を了承して頂いた事に深く感謝します。

	作品の素晴らしさが、ご覧頂いている皆様に何とか伝わるようにと念じつつ。    平成15年5月1日 井上筑前