青沼先生 in 京都 2007.2.10



京都国立博物館





	京都国立博物館で開かれている「京都御所障壁画」展を見に、先生が○柳さんと、東京の先生のファン宮原さんを伴って京都へお出で
	になった。早速WIFEと会いに行って、若王子の「叶 匠壽庵」で昼食を食べ、大津市郊外「寿長生(すない)の郷」を訪問した。寿長
	生の郷は「叶 匠壽庵」本社並びに工場で、広大な敷地に梅林や花園、土産物館などが立ち並んだ一大庭園だった。







	期 間  : 2007年1月6日(土)〜2月18日(日)  
	開館時間  : 午前9時30分〜午後6時(入館は午後5時30分まで)夜間開館:毎週金曜日は午後8時まで開館
	休館日   : 毎週月曜日(1月8日、2月12日は開館、1月9日、2月13日は休館)  
	会 場   : 京都国立博物館 東山七条(京都市東山七条)KYOTO NATIONAL MUSEUM  
	主 催   : 京都国立博物館、宮内庁京都事務所、京都新聞社  
	共 催   : NHK京都放送局、日本経済新聞社  
	後 援   : 文化庁、京都府、京都市、京都府教育委員会、京都市教育委員会、KBS京都、京都商工会議所、京都市観光協会  
	協 力   : 大日本印刷株式会社、株式会社 伏見工芸、日本通運株式会社  
	入場料   : 一般1200(1000)円、大高生800(600)円、中小生は無料	
		   カッコ内は前売り料金、団体(20名以上)は前売りから各100円引き



左から、宮原さん、青沼先生、○柳さん。







賀茂祭群参図(駒井孝礼筆)=御三間中段の間
	京都は千年余りもの永きにわたって都であり続けた。これは国際的にも珍しいことでありその長い歴史の所産として、芸術の分野にも
	格の高い熟成がもたらされ日本の文化の発展に大いに貢献してきた。その中心となったのが、京都御所を頂点とする宮廷文化だった。
	現在の京都御所の御殿は、1855年(安政2年)に造営され、内部の障壁画は、当時のわが国絵画界を担っていた精鋭の絵師達が総動員
	されて描かれた。それは、いわば19世紀の京都画壇のタイムカプセルともいえる貴重なもので、当時の画壇の全容を如実に物語ってい
	る。本展では、御殿建物や障壁画の保存管理の観点から、広く公開されることのなかった京都御所の珠玉の障壁画が初めて一挙公開さ
	れる。



桐竹鳳凰図(狩野永岳筆)=御常御殿上段の間
	現在の京都御所には約20棟の御殿がある。御常御殿は紫宸殿(ししんでん)と並ぶ大きな御殿で、部屋数も最も多い。天皇の日常的な
	住まいの空間であるとともに新年の祝賀や拝謁(はいえつ)の行われた公的な空間もある。南西の御三間(おみま)は、七夕や盂蘭盆
	会(うらぼんえ)の内々の行事の場であり、御学問所は新年に書物を講義する御読(おどく)始めや月ごとの歌会などが開かれた。



四季花鳥図(鶴沢探真筆)=御常御殿二の間
	安政2年の御所再建の際、当時の京都の名うての絵師たちが結集され、各御殿の襖絵や杉戸絵などの障壁画の制作に取り組んだ。佐々
	木丞平・京都国立博物館長によると総勢97名の絵師たちが制作にあたり、およそ1年半の期間で完成させた。絵師たちは2つのグルー
	プに大別され、一つは土佐派(住吉派を含む)、京狩野派、鶴沢派など禁裏御用絵師としての性格の強い集団。いまひとつは円山派、
	四条派、岸派、原派など、応挙を祖とする円山派から発展した町絵師系の流派の絵師たち。その割合は御用絵師系が約3割、町絵師た
	ちが約7割を占め、当時の京都画壇の勢力を反映しているという。



芦ニ雁図(岸連山筆)=御学問所雁の間
	京都御所の御殿再建は、安政に先立つ寛政2(1790)年の造営同様に、平安時代の様式復興の流れを踏襲した。障壁画の主題やモチー
	フも従来の中国の故事などの漢画中心から、和の主題を描く大和絵が重用されるようになったことも、京都の優れた町絵師たちが多数
	制作に携わる機会をもたらした。



賀図(住吉弘貫筆)=御三間上段の間
	絵師の豊富な人材を擁した結果、建物の用途、部屋の使用目的、性格などに対応して、絵の主題や描き手も巧みに使い分けられ「公」
	と「私」、「ハレ」と「ケ」の場にふさわしい統一が図られている。



十八学士登瀛州(とうえいしゅう)図(狩野永岳筆)=御学問所上段の間
	
	例えば、御常御殿を見ると、最も格式の高い上段の間は京狩野派の狩野永岳の「桐竹鳳凰図」、公的な色合いのある中段、下段の間は
	鶴沢派の鶴沢探真ら御用絵師系の画家が担当し、実際の日常生活の空間である御小座敷は円山派の中島来章や四条派の塩川文麟が「花
	ニ鳴鴬(なくうぐいす)図」や「和耕作図を描いている。居間にあたる一の間、二の間、三の間には鶴沢探真の「四季花鳥図」、女官
	たちの部屋の申口の間には中島華陽の「常盤木(ときわぎ)ニ猿図」の襖絵といった具合に、公から私の空間の性格や画の主題によっ
	て、絵画制作の担当も御用絵師から町絵師、描画も彩色も金砂子や濃彩の世界から淡彩、墨画へと適材適所の全体的統一がみられると
	いう。 









若王子・哲学の道









「叶匠壽庵」。和菓子や。食事も出来る。哲学の道沿いにあり、何度かこの道は歩いたことがある。ここで食事をするのは2回目かな。



食事の後、「熊野若王子神社」にお参りしていく。









































叶 匠壽庵





寿長生「すない」とは、井戸のつるべ(桶)を引き上げる縄を意味する古代の豊国の言葉。






	「叶匠壽庵」 寿長生の郷(本社・工場)

	自然の谷川を利用し、山林の一部はそのままに残してある。そこに散歩道を巡らせ、四季折々に美しい姿を見せてくれる花々十万株
	が植られている。梅林、牡丹苑など郷全体が野趣と風雅の空気に包まれている。一期一会の大切さを野の花や咲き誇る梅や桜を愛で
	ながら歩くことができる。忘れかけていた日本の里山の美しさが再現されている。
	山林の散歩道にはひっそりと置かれた「野の花観音様」がある。富士山の自然石に彫られた三十六体の観音様は、茶花の名前がつい
	いる。一体一体の側に、名前と同じ茶花が四季折々に花を咲かせて、遊歩する人の心を慰めてくれる。

	敷 地			 : 約63,000坪
	三徳宛(本社、菓子工房)  : 6棟
	茶室			 : 清閑居
	山寿亭          : 5室
	散策道          : 総延長 約4km
	炭焼き小屋
	自生植物種        : 約800種
	農園           : 4.5ヘクタール
	野の花観音様       : 36体  





水盤(上)。江戸時代に作られ、鞍馬石の一枚岩で約2トンの重さがある。




	郷のシンボル、長屋門は郷を建設する時に創始者が景観のイメージを“江戸末期の商家”の雰囲気を大切にして造らせたそうである。
	長屋門を中心に土塀に縁どられた建物群の佇まいは日本建築様式のユニークな本社工場となっている。長屋門前の枝垂桜は櫻守・佐
	野藤右衛門氏によるもので、郷の願いを込めた多宝塔や水盤などが訪れた人々を優しく出迎える。











梅林を抜けると、数寄屋造りの「山寿亭」がある。季節折々の旬の食材で仕上げられた寿長生懐石が楽しめる。










	長屋門から入り、中庭を右に回廊を進むと清閑居内に月替りの趣向を凝らした展示ホールがある。食事・茶席の待ち時間の合間に、
	季節感たっぷりのディスプレイと、普段は見ることができない工芸品、コレクション等を身近に見れる。この日は季節柄、ひな人形
	の展示会が開催されていた。

























この後、東京と博多へ帰る先生達を京都駅へお送りした。また先生、○柳さんから博多のお土産を貰ってしまった。恐縮、深謝です。