Music: 夕焼け小焼け
地域の再生・文化の継承シンポジウム 2012.11.19 大阪市北区堂島






	サンケイ新聞に上の案内が載っていたので、高校同窓会の役員有志に声を掛け聞きに行った。産経新聞と千里のみんぱくの主催で、
	3.11の被害に遭った東北地方の文化財の現状と、それを守っていこうとしている人々の活躍、それに被害を受けた文化財の修復に当
	たったみんぱくの話など、この手のシンポジウムにしては、久々におもしろかった。荒俣宏は何でもよく知っているので驚いた。
	さすがは「博物学者」である。また、まだ岩手県外には出たことが無いという「南部藩壽松院年行司支配大神楽」という神楽も見せ
	て貰って楽しい一日だった。
	実はこの会場になったホテルは、●TT時代の事務所のすぐ側で、ここの音響施設の導入時には私が営業担当として一部関わっていた
	ので、どんな会場になったか興味もあったし、今年の高校、大学の同窓会の会場に考えているので、会場を見るという興味もあった。
	なかなかいい会場で、足の便も良いし、早速両方とも仮予約をした。









開会の挨拶の後、追手門学院大学教授の橋本裕之氏が神楽の紹介をする。氏は岩手県の文化財保護審議会委員も務めている。





































3.11後、現地を廻ってきたという二人が、各地の文化財の受けた被害と現状について語る。





東北各地には、過去の洪水・津波などの被害について書かれた石碑が随所に残っているのだそうだ。



東北だけで無く、近畿圏にも津波の被害の記念碑があると荒俣氏。





中でも和歌山県「稲むら」の津波避難の話は今後の教訓になり得るという。


	稲むらの火  出典:ウィキペディア

	稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事
	をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作
	品を中井常蔵が翻訳・再話し、かつて国定国語教科書に掲載されていた。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。
	2011年(平成23年)度より、再び小学校教科書にて掲載される。


	
	「稲むら」(稲叢)とは積み重ねられた稲の束のこと。稲は刈り取りのあと天日で干してから脱穀するが、上のように稲架(はさ)に
	架けられた状態を「稲むら」と呼ぶ。ただし脱穀後の藁の山も「稲むら」と言うことがある。 

	<物語の概要>

	村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪
	われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。
	火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみ
	な津波から守られたのだ。
 
	
	広川町役場前の「稲むらの火広場」にある浜口梧陵の銅像


	<物語の成立と普及>

	・小泉八雲「A Living God」

	1896年(明治29年)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、英語によって "A Living God " を著した。西洋と日本との「神」の考え
	方の違いについて触れた文章であり、この中で人並はずれた偉業を行ったことによって「生き神様」として慕われている紀州有田の農村
	の長「浜口五兵衛」の物語を紹介した。
	小泉八雲は作中にも触れられている明治三陸地震津波の情報を聞き、この作品を記したと推測されている。ただし地震の揺れ方や津波の
	襲来回数など、史実と異なる部分も多い。また「地震から復興を遂げたのち、五兵衛が存命中にもかかわらず神社が建てられた」とする
	点は誤りである。
 
	・中井常蔵「稲むらの火」

	小泉八雲の作品を読んで感銘を受けた地元湯浅町出身の小学校教員中井常蔵(1907年(明治40年) - 1994年(平成6年))は、1934年
	(昭和9年)に文部省国定国語教科書の教材公募が行われると、 "A Living God " を児童向けに翻訳・再構成し、「燃ゆる稲むら」とし
	て応募した。この作品は入選して国語教材としてそのまま採用され、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで、国定教科書であ
	る尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」に「稲むらの火」と題されて掲載された。
	「稲むらの火」では、具体的な年代や場所などの記述が省かれ、普遍的な物語として構成されている。
 
	・海外への普及
	小泉八雲の著作によって、この物語は海外にも知られている。濱口儀兵衛(梧陵)の末子・濱口担が1903年(明治36年)にロンドンの
	The Japan Societyで講演した際に、"A Living God "を通じて「五兵衛」の偉業に感銘を受けていた婦人と出会った逸話がある。
	1993年頃アメリカ合衆国コロラド州の小学校では、「稲むらの火」を英訳した "The Burning of The rice Field "が副読本として使わ
	れていた。
 

	<史実との異同>

	「稲むらの火」は濱口儀兵衛(梧陵)の史実に基づいてはいるものの、実際とは異なる部分がある。これは小泉八雲の誤解にもとづくも
	のであるが、翻訳・再話をおこなった中井常蔵(地元出身であり、濱口儀兵衛らが創設した耐久中学校を卒業している)もあえて踏襲し
	た。史実と物語の違いは国定教科書採用時にも認識されていたが、五兵衛の犠牲的精神という主題と、小泉・中井による文章表現の美し
	さから、安政南海地震津波の記録としての正確性よりも教材としての感銘が優先された。
	農村の高台に住む年老いた村長とされている五兵衛に対して、史実の儀兵衛は指導的な商人であったがまだ30代で、その家は町中にあっ
	た。また、儀兵衛が燃やしたのは稲穂のついた稲の束ではなく、脱穀を終えた藁の山(これも「稲むら」と呼ぶことがある)であった
	(津波の発生日が12月24日〈新暦換算〉で、真冬であることに注意)。また、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が
	来襲してからであり、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであった。
 
	「稲むらの火」には描かれていないが、儀兵衛の偉業は災害に際して迅速な避難に貢献したことばかりではなく、被災後も将来再び同様
	の災害が起こることを慮り、私財を投じて防潮堤を築造した点にもある。これにより広川町の中心部では、昭和の東南海地震・南海地震
	による津波に際して被害を免れた。
 
	
	<防災の教材として>

	日本において、津波に関する物語のうち広く知られた作品である。発生が予測される東南海地震・南海地震などでの津波災害に対する防
	災意識を喚起する物語として注目されている。2003年(平成15年)3月に和歌山県で開催された「西太平洋地震・津波防災シンポジウム」
	に際して気象庁が「稲むらの火」に関するパンフレットを作成しており、インターネット上で公開されている。
	なお、物語の中で取り上げられている現象(異様に潮が退く・井戸の水位が極端に下がる)は、津波が発生する時に見られることがある
	特異現象の1つではあり、もしそのような現象を確認したらただちに避難すべきであるが、津波の前にそういった現象が必ず起きるとい
	うものではないことを徹底するよう、教材とする際は注意しなければならない。
 
	<逸話>

	1987年(昭和62年)9月、「稲むらの火」作者の中井常蔵は国土庁から防災功績者表彰を受けた。2005年1月、インド洋大津波をうけてジ
	ャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本で
	は小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉
	は戦後世代なのでこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである。
	{ほんとに彼らが日本を滅ぼす 佐々淳行著 P161〜162}。
 
	<参考文献>
	2006年2月21日付産経新聞「正論」欄『善行と美談を小学校教科書に』佐々淳行
 


















「稲むらの火祭り」での佐々木公平氏





このシンポジウムの模様が、一月後の産経新聞で特集されていた。要点はその記事を読んで貰ったほうがよい。以下をクリックされたし。










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