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ねつ造石器・一挙公開!
2002(平成14年)1月



	
	埼玉県の埋蔵文化財センターが、埼玉県の主要な旧石器遺跡から出土したとされた「ねつ造」石器を一般公開した。
	捏造事件自体は藤村新一による完全な単独犯で、彼が所属していた東北旧石器研究会やその他の学術機関には関係者はいな
	かった。
	しかし、彼にそれを許してきた環境というのはやはり存在したわけで、彼に期待した各地の文化財関係者、学術関係者、マ
	スコミ、後押しした文化庁などにも責任の一端がないとは言えない。マスコミがでっち上げ、又マスコミによってその犯罪
	が暴露されるという結果にはなったが、関係者は今回の事件を真摯に受け止め深く反省すべきであろう。
	その意味では、今回のこの展示は、挨拶にもあるように、関係者の自戒の意味を込めて行われたいわば「汚点の展示」会で
	あり、相当な勇気が必要だったのではないかと思われるし、今後の決意が感じられて、歴史愛好家、考古学ファンとしては
	好意をもって受け止めたい。二度と同種の犯罪が発生しないように祈りたい。
	
	【注:藤村新一の行った行為が、いかなる刑法上の罪に問われるのか、或いは問われないのか、現時点でははっきりしない。
	犯罪ではないという声も聞かれるようだが、私はこの行為は明らかに犯罪だろうと思う。100万年の歴史を一人で作ろう
	とした、見方によっては思白い奴だという意見もあるが、歴史をねつ造するなどというのは許される事ではない。彼自身が
	詐欺を働いたり、金銭を不法に取得した訳ではなく、また彼自身が教科書に記述して偽造したわけでもない。一体どういう
	罪になるのかははなはだ不明な部分があるが、その行為には犯罪性が潜んでいると思う。そういう意味であえて犯罪という
	言葉を使用した。2002.1.20】






 

 

 

 

 

 






	おびただしい数の石器である。埼玉県の7つの遺跡だけでもこんなに埋めたとしたら、関東から北海道にわたり200の遺
	跡に関わったとされる藤村新一は、一体どこからその石器を持ってきたのだろう。学芸員の話では、三内丸山遺跡やその他
	の縄文遺跡の発掘で集めたものを使ったのだろうと言っていたが、それにしても驚くべき数になる。縄文遺跡からにしても、
	これだけの数なら、それだけで十分学術的に価値があるのではなかろうか。私は、縄文時代とされるこれらの石器は、実は
	藤村が製作したのではないかとにらんでいる。幾つかは本物があるかもしれない。しかし殆どは縄文の地層あたりから出土
	した石を撃ち欠いて彼が製作したものではないかと思う。その可能性はないのだろうか? はじめは純粋に石器の製作過程
	の研究のために、自分で作ってみたのだろう。そしてその破片が山と溜まったいつの頃からか、彼はそれを自分で埋めだし
	た。もし、私の考えが正しいとすれば、彼のねつ造は相当過去まで遡る可能性がある。あな恐ろし。



 

 



 










	冒頭に掲示した報告書概要に見られるような調査が、遺跡発見時にどうして行われなかったのかが、今となっては不思議で
	ある。今あれだけの考察ができるなら、当時でも当然できていたはずだ。見学していた「遺跡マニア」とおぼしき老婆が、
	説明する学芸員に向かって「なんでわからんかったの?」と質問していたが、返答はしどろもどろだった。「発掘の神様」
	のご威光と、「秩父に原人がいた!」という興奮に酔っていたとしか思えない。

	バブルの時代に、「何かがおかしい」と誰もが感じていて、今日本は未曾有の不景気に突入している。第二次世界大戦も、
	「戦争はいかん!」と思っていた人々も相当数いたはずなのに、戦争反対を唱えて投獄された人は僅かである。天皇陛下万
	歳を唱えていた人たちが、戦後になって手のひらを返したように「平和、平和」と言い出した。

	今回の事件は、我々日本人の集団幻想性癖についても、深く反省を促している。





 


	以下は、文化庁が上高森遺跡問題に関して平成12年11月10日報道発表した文書内容。

	
 			                           平成12年11月10日

	東北旧石器文化研究所等が発掘調査又は踏査に関与した遺跡について(概報)

	1.文化庁では、平成12年11月7日付けで、47都道府県の教育委員会に対して、東北旧石器文化研究所
	  (石器文化談話会を含む)及び藤村新一・同研究所前副理事長が発掘調査又は踏査に関与して遺跡につい
	  ての調査を依頼し、同月9日、すべての都道府県教育委員会から報告を受けた。

	2.この調査の11月10日現在の集計状況は次のとおりである。

	 ○ 東北旧石器文化研究所等が発掘調査又は踏査に関与した遺跡のある都道府県の数 47都道府県中 
		9都道県(北海道、岩手県、宮城県、山形県、福島県、栃木県、群馬県、埼玉県、東京都)
	 ○ 東北旧石器文化研究所等が発掘調査又は踏査に関与した遺跡の数  186遺跡
		うち発掘調査に関与したもの  33遺跡(8都道県)
		うち踏査に関与したもの   153遺跡(8道県)
 
 	 (単位:ケ所)  発掘調査に関与   踏査に関与   合  計 
		北海道        1        3       4 
		岩手県        1        1       2 
		宮城県       17      134     151 
		山形県        2        7       9 
		福島県        5        1       6 
		栃木県        0        1       1 
		群馬県        2        3       5 
		埼玉県        4        3       7 
		東京都        1        0       1 
		合 計       33      153     186 
 
 
	*「発掘調査」とは、遺跡の性格・内容等を把握するために土地を発掘して行う調査。
	 「踏査」とは、現地を歩いて表面的に観察することにより、遺物の散布状況等を把握 する調査。

 
	東北旧石器文化研究所等が発掘調査に関与した遺跡 

	 1.北海道新十津川町・総進不動坂(そうしんふどうざか)遺跡 
	 2.岩手県岩泉町・瓢箪穴(ひょうたんあな)遺跡 
	 3.宮城県岩出山町・座散乱木(ざざらぎ)遺跡 
	 4.宮城県古川市・馬場壇(ばばだん)遺跡 
	 5.宮城県小野田町・鹿原(かのはら)D遺跡 
	 6.宮城県色麻町・大原(おおはら)B遺跡 
	 7.宮城県色麻町・中島山(なかじまやま)遺跡 
	 8.宮城県仙台市・青葉山(あおばやま)B遺跡 
	 9.宮城県仙台市・青葉山(あおばやま)E遺跡 
	10.宮城県仙台市・住吉(すみよし)遺跡 
	11.宮城県仙台市・山田上ノ台(やまだうえのだい)遺跡 
	12.宮城県仙台市・富沢(とみざわ)遺跡 
	13.宮城県仙台市・北前(きたまえ)遺跡 
	14.宮城県村田町・小泉東山(こいずみひがしやま)遺跡 
	15.宮城県多賀城市・志引(しびき)遺跡 
	16.宮城県多賀城市・柏木(かしわぎ)遺跡 
	17.宮城県大和町・中峯(なかみね)C遺跡 
	18.宮城県築館町・高森(たかもり)遺跡 
	19.宮城県築館町・上高森(かみたかもり)遺跡 
	20.山形県尾花沢市・袖原(そではら)3遺跡 
	21.山形県新庄市・上ミ野(かみの)A遺跡 
	22.福島県安達町・一斗内松葉山(いっとうちまつばやま)遺跡 
	23.福島県福島町・竹ノ森(たけのもり)遺跡 
	24.福島県二本松市・原セ笠張(はらせかさはり)遺跡 
	25.福島県二本松市・箕輪宮坂(みのわみやさか)遺跡 
	26.福島県西郷村・大平(おおひら)遺跡 
	27.群馬県大間々町・桐原(きりはら)遺跡 
	28.群馬県沼田市・下川田入沢(しもかわたいりさわ)遺跡 
	29.埼玉県秩父市・長尾根(ながおね)遺跡 
	30.埼玉県秩父市・長尾根南(ながおねみなみ)遺跡 
	31.埼玉県秩父市・長尾根北(ながおねきた)遺跡 
	32.埼玉県秩父市・小鹿坂(おがさか)遺跡 
	33.東京都稲城市・多摩(たま)ニュータウン471-B遺跡 
 

	
	旧石器発見ねつ造問題で、考古学協会が石器の検討会 [朝日新聞 2001年4月15日]
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	旧石器発見のねつ造問題を検証するために日本考古学協会が設けた特別委員会準備会(委員長・戸沢充則明治大教授)が
	14、15の両日、宮城県多賀城市で、疑いの持たれている遺跡の石器の検討会を行った。ねつ造と判断する基準作りの
	ため、科学分析のサンプルとして、疑わしい特徴のある石器を選び出すのが目的。
	東北旧石器文化研究所の藤村新一・元副理事長がかかわった宮城、福島両県の4遺跡の石器600点ほどを検討、後世の
	傷や黒土が付着しているなど106点を選んだ。同協会の5月の総会で特別委の設置が決まれば、1年ほどで結論を出し
	たいとしている。(22:07) 








	
	上高森遺跡:旧石器発掘ねつ造発覚で登録を抹消 宮城県教委 [毎日新聞12月26日] ( 2001-12-26-11:39 )
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	宮城県教委は26日、旧石器発掘ねつ造発覚の端緒となった同県築館町の上高森遺跡を、「遺跡である根拠がなくなった」
	として県の遺跡登録から抹消した。同遺跡は、東北旧石器文化研究所の前副理事長が「70万年以上前の旧石器が出土した」
	とされたが、10月下旬から遺跡を再調査した県考古学会などによる検証発掘調査団が11月12日に「旧石器時代の遺跡
	である可能性は薄い」と県教委に報告した。前副理事長がねつ造を告白した全国42遺跡では、すでに埼玉県教委が7遺跡
	の登録を抹消している。
	前副理事長は、宮城県内では14遺跡でのねつ造を告白。うち八つが遺跡登録されている。県教委は、「日本考古学協会な
	どの検証作業で、ねつ造の疑いが強まった遺跡を優先して登録抹消する」としている。山形県尾花沢市の袖原3遺跡から見
	つかった石器との「世界最古の接合石器」が見つかったとされる宮城県色麻町の中島山遺跡でも、前副理事長がねつ造を認
	める告白をしていることから、県教委は年明けにも同遺跡を遺跡登録から抹消する方針を固めている。 【飯山太郎】











	続々検証・旧石器発掘ねつ造]予測越えた周到さ 毎日新聞2002年5月28日
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	「小鹿坂遺跡」の現地説明会で、日本最古とされた柱跡の説明を聞く見学者たち。
	検証の結果、柱跡の穴は自然現象の誤認とされた=00年2月27日、岡崎正昭写す

	◇いまだ続く後始末 
	遺跡名が書かれた標柱は撤去され、代わりに「私有地のため立ち入りを禁止します」という白い看板がぽつんと立っていた。
	標柱は、表面を塗り替えて別の遺跡に再利用されたという。93年以降8年間にわたる発掘調査で約70万年前の遺跡とさ
	れた宮城県築館町の上高森遺跡。26日、日本考古学協会の総会で「発見段階から前期旧石器時代の遺跡として全面的にね
	つ造され続けた」と報告された。その場所は今、一面の雑草に覆われている。地主が牛を飼っており、今は「牧草地」の扱
	いだ。 
	「本当に静かになった。発掘で騒ぎ、ねつ造で騒ぎ、えらい迷惑な話だった」。飼い犬を遊ばせていた近所の主婦(49)
	は言った。
	埼玉県秩父市の小鹿坂遺跡。日本最古、約50万年前の柱跡の発見が発表され、00年2月の説明会には約6900人が集
	まった。東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長はねつ造発覚直前にも、約50万年前の地層から石器18点を発掘し
	た。しかし、昨年12月に「すべてねつ造」とされ、遺跡台帳から抹消された。「遺跡」は今、周囲にロープが張られ、地
	面がむき出しになっている。地権者の塩谷順一さん(59)は「藤村さんが来て本当のことを話してくれれば、すっきりす
	るのに」と話した。 
	埼玉県は県内9遺跡の調査などに6260万円、検証作業に1128万円を支出した。藤村氏らに損害賠償を求めることも
	検討したが、「現状では難しい」として他の自治体の動きを見守っている。 

		    ◆   ◆ 

	教科書会社各社は中学、高校の歴史教科書から藤村氏がかかわった遺跡の記述を削除した。専門書の内容も書き換えが進ん
	でいる。藤村氏とともに座散乱木(ざざらぎ)遺跡(宮城県)の発掘にあたった岡村道雄・前文化庁主任文化財調査官(現
	・奈良文化財研究所協力調整官)が監修した「全国訪ねてみたい古代遺跡100」は今年初め、絶版になった。出版元の成
	美堂出版の担当者は「疑わしきは出さないことにした。同趣旨の本を作る気はもうない」と語る。 
	三省堂は今月、「日本考古学事典」を刊行した。座散乱木、上高森に触れた部分は編集段階で削除された。編集作業は90
	年に始まったが、近年の発掘ラッシュなどで出版が延び延びになっていた。「おかげで誤りのない自信ある内容で世に出せ
	る」と編集者は言う。 

		    ◆   ◆ 

	97年12月、約30キロ離れた山形県尾花沢市の袖原3遺跡と宮城県色麻町の中島山遺跡で別々に出土した石器の切断面
	が接合した。石器は約10万年前のものとされ、「石器の接合例としては世界最古」と発表された。「ほかにもう一つ、石
	器をはぎ取った形跡がある。私は、その石器が中島山と袖原3を結ぶ薬莱山(やくらいさん)周辺から見つかる可能性が高
	いと思う」。99年1月、藤村氏は地元ミニコミ紙に答えた。そして昨年、唐突に本格的な発掘も行われていない宮城県小
	野田町の薬莱山に石器を埋めたことを告白した。 
	「もう1点が薬莱山にあると予言したわけで、数年先の発掘を見通したねつ造だったのかもしれない」と東北旧石器文化研
	究所の鎌田俊昭理事長は言う。 

	藤村氏のねつ造は学界の予測を超えるほど周到で、長期間、広範囲に及んでいた。考古学界にとどまらず、「遺跡」の地元
	関係者、出版界も、いまだに後始末に追われている。【旧石器遺跡取材班】 (毎日新聞2002年5月28日東京朝刊から) 
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2003年5月 決着ついたか、ねつ造事件!

	74年からの遺跡捏造を確認 宮城県考古学会
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	東北旧石器文化研究所の藤村新一・元副理事長による旧石器遺跡捏造(ねつぞう)問題を調査してきた宮城県考古学会の特
	別委員会(委員長、辻秀人・東北学院大教授)は5月18日、多賀城市で開かれた学会総会で2年間の活動を最終報告した。
	辻委員長は、元副理事長が共同研究を始めた74年から捏造が発覚する00年まで、二十数年にわたって一貫して捏造をし
	ていたことが学問的に裏付けられたと総括した。 
	最終報告によると、特別委は、02年度に元副理事長が採集した石器、土器類の「藤村コレクション」を日本考古学協会な
	どと合同調査した。元副理事長が自室に保管していた石器類1675点のうち、県内の64遺跡で表面採取または地層断面
	から抜き取った記録がある石器類が231点あった。このうち、採取日の記録のある178点を観察したところ、74年9
	月から91年9月まで一貫して農耕具でついたような傷などの不自然な跡があった。3万年以上前の前期、中期旧石器時代
	とされた石器類にはすべて不自然な跡があった。 傷のない石器類も少数あったが、すべて3万年前より新しい後期旧石器
	時代だった。 
	また、国の史跡だった座散乱木遺跡(岩出山町)の地表に露出した石器を探す踏査の記録を分析したところ、元副理事長が
	初めて他の研究者と共同踏査した74年4月29日に、石器2個が断面採取されたことが分かった。捏造は、74年4月以
	前にも行われていた疑いが強いと指摘している。 (2003/05/21 15:23)  −asahi.com−



	藤村氏関与の前・中期旧石器「すべて捏造」 協会結論
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	旧石器発掘捏造(ねつぞう)問題で検証を続けていた日本考古学協会(甘粕健会長)は24日、東北旧石器文化研究所の藤
	村新一・元副理事長がかかわったとされる前期・中期旧石器遺跡について、「すべてで捏造が確認された」と完全否定する
	見解を発表した。これで同問題は最終決着。一時は北京原人に肩を並べて約70万年前までさかのぼるとされた日本の旧石
	器の起源は7万〜5万年前に逆戻りした。 
	同協会によると、元副理事長がかかわったとされる180以上の遺跡のうち178遺跡について調査。そのうち前・中期す
	べてを含む162遺跡で捏造が確認された。これ以外の後期旧石器遺跡については「同氏の調査とは別に確実な旧石器が出
	土している」などの理由で「遺跡であることは間違いない」とされた。 
	調査は特別委員会が2年にわたり、石器約4千点について2次的な傷の確認や検証発掘などを行った。同協会では来春をめ
	どに、この問題を教訓とした考古学者の倫理綱領を作成する予定だ。 
	旧石器発掘捏造問題は00年11月に、元副理事長が、宮城県上高森遺跡と北海道・総進不動坂遺跡で、石器を遺跡に埋め
	こむなどの捏造行為を行っていたことが発覚。その直後から中学・高校の歴史教科書は訂正が進められた。日本初の中期旧
	石器が出土したとされた宮城県の座散乱木(ざざらぎ)遺跡や、原人が旧石器を放射状に並べて埋めた珍しい遺跡としてヨ
	ーロッパの考古学者にも注目された上高森遺跡など、藤村氏がかかわった遺跡についての記述はすでにすべて削除されてい
	る。

	前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長の小林達雄・国学院大教授は「捏造をチェックできなかったのは、学界が怠
	慢であり、力不足であったということに尽きるが、これで学問的決着はついた。今後は、関連科学との連携を強め、国際共
	同研究を行うなどして、研究の再構築を進めていきたい」と話した。 (2003/05/24 23:38)  −asahi.com−



	上記のような結論が出たにもかかわらず、藤村氏が逮捕されたとか告発されたとか言うような記事は全く見受けられない。
	これは一体どうしたことだろうと思っていた。そのうち「季刊邪馬台国」に、元宮崎公立大学の教授だった奥野正男氏のね
	つ造問題に対する批判文が載りだした。氏は、この事件を産みだした背景について鋭い追求を続け、この問題を生み出した
	土壌は文化庁と考古学会全体にあると、追求の矛先を学会に向けていた。そして以下の新聞記事だ。氏の「強権(きょうけ
	ん)に確執(かくしつ)を醸(かも)す志」(大江健三郎)には、おおいに拍手を送りたいと思う。同時に、これ(告発)
	はそもそも考古学会の仕事ではないのか、という思いを禁じ得ない。

			

	
	旧石器発掘捏造問題で藤村氏を不起訴 仙台地検 2003.10.24
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	旧石器発掘捏造(ねつぞう)問題で、仙台地検は23日までに、偽計業務妨害の疑いで告発されていた東北旧石器文化研究
	所の藤村新一・元副理事長を、証拠不十分として不起訴処分にした。福岡県在住の考古学者が先月1日、藤村氏の捏造行為
	は国費による再調査や国史跡指定の解除などに発展し、埋蔵文化財行政に対して、甚大な業務妨害を与えたなどとして告発
	状を提出。仙台地検が調べを進めていた。 (10/24 00:13)  Asahi.com


	度し難い。学会の自浄作用もさることながら、行政・司法の「事なかれ主義」「見て見ぬふり」「逆説的な村八分」も、も
	うどうしようもない。藤村の行為はあきらかに犯罪ではないか。あれだけの事をしてなぜ誰からも糾弾されないのだ。各教
	科書を監修した教授達の責任はどうなっている? これでは、「象牙の塔」の中にいる連中は、相変わらずの「温床育ち」
	で「世間知らず」の「太平楽」と言われても仕方がない。自分たちの群れのなかだけで傷をなめ合っている。全く度し難い
	連中である。(2003.10/24)



	日本最古級の旧石器見つかる 製造くずも 長崎・平戸 2003.12.19 Asahi.com
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	前列が台形状剥片石器、中列左が尖頭状石器。9万年前プラスマイナス1万1千年とされる=19日午後、長崎県平戸市で

	長崎県平戸市山中町の入口遺跡で、約10万年前および約9万年前と考えられる二つの地層から、計27点の中期旧石器が
	見つかった、と平戸市教育委員会が19日、発表した。これまで日本列島で最も古いとされてきた岩手県宮守村の金取遺跡
	(約9万年前)と並ぶ日本最古級で、下層の石器はそれをさかのぼる可能性もある。関西以西で出土した石器では最古とな
	る。日本人の渡来ルートや大陸からの石器文化の波及を考えるうえでも重要な発見だ。 

	石器は平戸市教委が99年から02年にかけて実施した発掘調査で出土した。 

	3bと呼ばれる上層からは、錐(きり)のような用途に使われたと思われる尖頭(せんとう)状石器1点などのほか、長辺
	3センチ程度の台形状剥片(はくへん)石器4点、石器を製作する際に出るチップと呼ばれる石のくずなど24点が出土。
	下の4層からは、スクレイパー(掻器(そうき))1点と、ハンマーと考えられる石器2点の計3点が出土した。 
	市教委が奈良教育大の長友恒人教授に石器出土層の年代測定を依頼。鉱物が発する微弱な光の量を測定する光ルミネッセン
	ス法で測ったところ、上層が9万年前プラスマイナス1万1000年、下層が10万3000年前プラスマイナス2万3千
	年という数値が得られた。 (12/19 20:12) 


	
	「日本旧石器学会」発足へ 研究への信頼回復図る 2003.12.19 Asahi.com
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	旧石器遺跡捏造(ねつぞう)事件で失った信頼を取り戻そうと、「日本旧石器学会」が20日、発足する。全国の旧石器文
	化研究者でつくる学会組織は初めて。国際的、学際的な視点から旧石器文化の再構築をめざす。約200人で発足し、事務
	局は愛知学院大(愛知県日進市)に置く予定。 
	同日午後1時から横浜市中区桜木町の市健康福祉総合センターで設立総会がある。その後、「後期旧石器時代のはじまりを
	探る」と題して記念シンポジウムを2日にわたって開く。 
	準備を進めてきた愛知学院大の白石浩之教授は「旧石器時代研究の信頼回復と、周辺諸国の研究者や隣接する自然科学との
	情報交換を活発にしたい」と話している。 (12/19 21:35) 






	
	遺跡捏造報道、週刊文春敗訴確定 名誉教授側訴え認める asahi.com
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	週刊文春の聖嶽(ひじりだき)洞穴遺跡(大分県本匠村)の捏造(ねつぞう)疑惑報道で自殺した賀川光夫・別府大名誉教
	授の遺族が、故人の名誉を傷つけられたとして発行元の文芸春秋などに3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた
	訴訟で、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)は15日、文春側の上告を棄却する判決を言い渡した。総額920万円の支
	払いと謝罪広告の掲載を命じた二審・福岡高裁判決が確定した。 
	文春側は「謝罪広告の掲載を直接、その雑誌に命じることは思想・良心の自由に反する」などと主張したが、同小法廷はこ
	れまでの判例を踏襲して「陳謝の意を表明する程度の謝罪広告掲載を命じても違憲ではない」と述べた。「公正な論評だ」
	とする主張も退けた。 
	一、二審判決によると、週刊文春は01年1〜3月、賀川氏が聖嶽洞穴遺跡で石器を捏造したとの印象を与える記事を掲載。
	賀川氏は同年3月9日、「死をもって抗議する」との遺書を残して自殺した。文春はその後も、記事の正当性を強調する記
	事を掲載した。 

			   ◇ 

	判決後、遺族側は「報道の自由は絶対に必要だからこそ、報道する側の義務と責任も問われなければならない。そこを取り
	違えた文芸春秋の反論はおごりだ」との声明を出した。「父は戻ってこないが、今回の勝訴が、報道機関が自らの姿を見つ
	め直し、緻密(ちみつ)な取材に基づき事実を追求して視聴者・読者に公正に問いかけてゆくきっかけになれば、たたかっ
	てきたかいがあったと父にも報告できる」としている。 (2004/7/15 14:17) 







	
	前出、奥野正男氏はその後も藤村新一のねつ造問題を追及し続け、この事件を生んだ考古学会の体質と、事件後の学会の対
	処について糾弾を続け、福岡の梓書院から「神々の汚れた手」を出版した。私も読んだが、隠蔽主義、無責任体質の学会の
	内情を鋭く突いた秀作だと思った。この度その本が、毎日出版文化賞を受賞したそうである。さもありなん。この事実を考
	古学者・歴史学者達はもっと真摯に受け取って貰いたいものだ。(平成16年11月10日)



	毎日出版文化賞に阿部和重氏ら (時事通信) - 2004年11月3日6時4分更新

	第58回毎日出版文化賞(毎日新聞社主催)が2日、決まった。賞金各100万円。授賞式は25日、東京都千代田区の
	赤坂プリンスホテルで。部門別受賞作は次の通り。(敬称略)

	▽第一部門(文学、芸術)=阿部和重著「シンセミア(上・下)」(朝日新聞社)
	▽第2部門(人文、社会)=奥野正男著「神々の汚れた手」(梓書院)
	▽第3部門(自然科学)=ガブリエル・ウォーカー著、渡会圭子訳「スノーボール・アース」(早川書房)
	▽企画部門(全集、講座など)=「講談社文芸文庫」(講談社)。 










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