Music: Octopuss' Garden 





平成10年5月10日(日)
大阪府高槻市現代劇場ホール


◆ 主催 ◆
高槻市
高槻市教育委員会
高槻ライオンズクラブ

◆ 協賛 ◆
財団法人 高槻市文化振興事業団

◆ 後援 ◆
朝日新聞社/産経新聞社/毎日新聞社
読売新聞大阪本社/NHK大阪放送局/高槻ケーブルネットワーク

当ページの内容は、全面的に高槻市立埋蔵文化財調査センター発行の資料「検証邪馬台国」に基づいています。





開催の挨拶をする江村利雄高槻市長
【開催のごあいさつ】 歴史シンポジウム『検証・邪馬台国−安満宮山古墳をめぐって−』の開催にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
安満宮山古墳につきましては、平成9年の夏に発掘調査を実施いたしましたところ、我が国最古の年号鏡である「青龍三年」法格規矩四神鏡をはじめといたします貴重な青銅鏡が5面も発見されました。 これらの鏡につきましては、古代史の最大の謎とされる邪馬台国の女王卑弥呼が西暦239年に魏へ朝貢した際に下賜された『銅鏡百枚』の一部ではないかと、大きな議論を呼び起こしました。 8月2・3日に実施いたしました現地説明会では、東は東京、西は沖縄と、全国から6500人もの人達が見学にこられ、8月31日の緊急報告会には1300名を越える応募があったと聞いております。 私自身、あらためて反響の大きさを知るとともに、大きな喜びを感じているところでございます。
高槻市におきましては、安満宮山古墳が「ふるさと高槻」の誇る貴重な歴史遺産であるとの認識から、これを大切に保存・公開して、市民の文化意識の向上に役立てるとともに、今後のまちづくりにも活用していきたいと考えております。
また平成10年は市制施行55周年の節目の年にあたり、その記念行事の一つといたしまして、本シンポジウムを開催するとともに、安満宮山古墳の現地につきましても、復元整備を行い、広く市民の皆様が古代・邪馬台国のロマンに ひたれるよう計画を進めておるところでございます。
最後に、ご多忙にもかかわりませず、このシンポジウム開催にあたりご尽力いただきました講師の先生方をはじめ、関係各位の皆様に心より厚く御礼申し上げます。




 


	
	【プログラム】
	
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	9:00 | 開場
	9:50 | 開会挨拶 高槻市長 江村利雄
	10:00| 第一部 基調講演(午前の部)
	     |    
	     |     1.安満宮山古墳と『銅鏡百枚』   高槻市立埋蔵文化財調査センター       森田克行
	     |     2.邪馬台国から倭政権へ      大阪大学文学部教授             都出比呂志
	     |     3.邪馬台国時代の社会       奈良大学文化財学科教授           酒井龍一
	     |     4.三国時代の鏡と三角縁神獣鏡   大阪大学大学院文学研究科助教授       福永伸哉
	     |     5.倭国・女王・卑弥呼       奈良大学学長                水野正好
	12:05| 昼食
	13:05| 第一部基調講演(午後の)
	     |     6.地域国家論から見た邪馬台国   京都橘女子大学学長             門脇禎二
	     |     7.三角縁神獣鏡から邪馬台国を解く 甲子園短期大学 高槻市文化財保護審議会委員 原口正三
	     |     8.邪馬台国と大和         徳島文理大学教授 香芝市二上山博物館館長  石野博信
	14:20| 休憩
	14:40| 第二部 シンポジウム「検証 邪馬台国」
	     |     ・コーディネーター 水野正好
	     |     ・パネリスト    門脇禎二    原口正三    都出比呂志    石野博信
	     |               酒井龍一    福永伸哉    森田克行
	16:40| 閉会あいさつ  高槻ライオンズクラブ会長 大杉成一
	     |




	
	【安満宮山古墳】
	
	高槻市教育委員会では平成9年に安満御所の町の市営公園墓地内において発掘調査を実施したところ、3世紀後半に
	築造されたとみられる最古級の古墳を発見しました。古墳は幅が20〜30mの極めて狭い急峻な尾根上につくられ、
	眼下には史跡安満遺跡が広がり、そのすぐ南側には山城盆地から大阪湾へといたる淀川をとらえることができます。
	古墳は南北約21m、東西約18mの不整な方形墳とみられ、墓杭は尾根筋に直交するかたちで設けられ、大きさは
	東西約7.5m、南北約3.5mです。掘方下端には割石や河原石を充填した幅0.15〜0.3mの排水溝をめぐ
	らせていました。
	墓杭の中央には上縁長5.5m、幅1.3m、深さ1.2mの木棺埋納杭があけられ、杭底に接して直径約0.8m、
	長さ約5mの木棺が設置されていました。棺底にはほぼ一面に朱が散布され、被葬者は東枕で埋葬されていました。
		木棺内から5面の中国鏡やガラス小玉1000点以上、鉄刀など貴重な遺物が出土しました。とくに5面の
	中国鏡については、魏の年号である「青龍三年(西暦235年)」銘のある方格規矩四神鏡が、邪馬台国の女王卑弥
	呼が景初三年(239年)に魏から下賜された『銅鏡百枚』のうちの一枚とみられるとともに、ほかの4面の鏡につ
	いても邪馬台国とのかかわりの中でもたらされたと考えられるものでした。




	
	【基調講演】(一部)

	
	【都出比呂志】 論点(1).小林行雄説の紹介(2).従来からの古墳築造の年代をもっと前に(早く)してもいい
	のではないか?(3).卑弥呼の墓は巨大な前方後円墳である可能性が高い。(4).3世紀後半から4世紀末までの
	前方後円墳体制第一段階では、大和と吉備の有力首長を中核とする首長連合が初期倭政権の政治センターを構成した。
	これを基礎に大和政権へ連続的に移行した。
	
	【コメント】 典型的な邪馬台国近畿説論者。今時小林行雄でもあるまいという気もする。概して、近畿説論者はよほ
	ど古墳を卑弥呼の墓に比定したいらしく、年代を古く古く持って行きたがる。九州/奈良に関係なく客観的にみても、
	これは近畿説論者の我田引水と写る。

	
	【酒井龍一】 論点(1).邪馬台国時代の社会についての考古学的研究は、現在進行しているとは言い難い。(2).
	文献資料から来る情報で、考古学者達の頭の中に弥生時代の固定観念が出来上がっている。(3).弥生の社会像は新
	たな考古資料の発見によって変動中であり、従って邪馬台国時代の社会像も当面固定化することはないだろう。(4).
	新しいデータの出現により弥生時代の年代観が大きく修正される可能性がでてきた。古墳の開始年代も、西暦300年
	頃から50年ほど早めて250年頃とする見解が急増中である。箸墓古墳と卑弥呼の死亡年代を結びつけたいのである。
	
	【コメント】 邪馬台国近畿説援護者か? 発言からは九州説論者を擁護しているようにも聞こえる。実名でズバズバ
	と研究者をコキおろしたり持ち上げたりしながらの話術はあいかわらずうまい。アチコチの講演会で会うが、すっかり
	講演慣れしており考古学界のPRマンという感じである。

	
	【水野正好】 論点(1).魏志に言う女王國とは邪馬台国の事ではない。倭国の女王が直接統治する国を女王國と呼
	んだのであり、邪馬台国もそのなかに含まれる。(2).山口県から福島・宮城にわたる広範な地域を女王國と呼んだ
	のであろう。これに九州も含めたもの全体を、魏の使者は倭国と呼んだ。従って,倭、女王國、邪馬台国はそれぞれ別々
	のものだ。(3).「銅鏡百枚」の記事に見合う鏡といえば、これはもう三角縁神獣鏡しかありえない。枚数が多い
	(百枚より)という反論があるが、おそらく倭の使者は下賜されたもの以外に市販の鏡を購入したり、特別に工房に注
	文して三角縁神獣鏡を作らせ持ち帰った、と考えられる。(4).邪馬台国の都そのものは大和盆地である。高槻の安
	満宮山古墳の青龍鏡は使節団が魏から持ち帰ったものの一枚であり、被葬者も淀川水系の要地を背景に活躍した人物で、
	皇族として捉える事も可能かもしれない。
	
	【コメント】 狂信的な邪馬台国近畿説論者。話術はうまく、とても研究者には見えない。論者中ただ一人演壇から離
	れ、アチコチの聴衆に相づちを求めながらの話はまるで漫談師のようでもあった。しかし、女王國についての見解は奇
	想天外でお話としておもしろかった。







	平成9年夏に発掘調査された安満宮山古墳は、高槻市安満御所の市営墓地公園内にある。この地は京都府亀岡市から続
	く山並みの大阪府側南斜面にあり、淀川を挟んで対岸の八幡市・枚方市をはじめ大阪平野が眺望できる。また、左手彼
	方には生駒の山が見え、その向こうには奈良盆地が広がっている。市営墓地公園の入り口を抜け、緩やかならだらだら
	続く車道を延々と登っていくと、開けた開放的な所に出る。そこに、整備された「安満宮山古墳」がある。上の写真の
	ように、発掘された当時、古墳の周囲は樹木で覆われていた。入口に出土した青龍三年銘の鏡のレプリカを埋め込んだ
	案内がある。整備された墓坑には強化ガラスが付けられ、銅鏡などのレプリカが出土時のままに置かれている。ここか
	らはすこぶる眺望がよい。千何百年も前にここに葬られた古代人も、おそらく生前この光景を見ていて、死んだらここ
	に葬れと言い残していったのだろう。




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