2002年6月9日、大阪府立弥生文化博物館(泉大津市)に、「青いガラスの燦き(きらめき)―丹後王国が見えてきた―」展を 見に行った。6月末、丹後半島に「鉄とガラスの道」を訪ねて遺跡探訪の旅に行く予定なので、事前にそれらの遺跡から出土した出 土品を見ておこうというわけだ。博物館の金関(かなせき)館長以下スタッフによるミニ・シンポジウムもあって、なかなか楽しか った。私は、一月ほど前に、東江さん、服部さん、WIFEと一度見に来たので、今回が二度目だったが、何度見ても「青いガラスの燦 めき」に胸が躍った。2000年前の輝きが丹後の栄華を語っている。
大阪府立弥生文化博物館 平成14年春季特別展 「青いガラスの燦(きらめ)き ―丹後王国が見えてきた―」 4/13(土)〜6/16(日) 【開館時間】 10:00〜17:00(入館 16:30まで) 【休館日】 月曜日(祝休日の場合は翌日) 【入場料】一般600円 高大生400円 中学生以下・65歳以上(要証明)障害者手帳を持つ方は無料 <主な展示品> ■ガラス勾玉やガラス・碧玉製管玉で作られた頭飾りと耳飾り(峰山町 赤坂今井墳丘墓、弥生時代後期末〜終末期、最大の勾玉の 長さ:約4cm,復元品) ■玉類を連ねた頭飾りは、福岡県の立岩遺跡に次いで2例目の出土。耳飾りも、管玉を幾重にも垂れ下げ、先端に勾玉を付けたもの は、初出土。この豪華な装身具を身に付けたまま埋葬された人物は、卑弥呼と同時代の、丹後の王の近親者である。 鉛ガラスが使用されているため、かなり風化がすすんでいるため、当館が特別展にあわせて復元品を製作し、初公開する。 ■中国系の素環頭の鉄刀、鉄のヤリガンナ、鉄のやじり(大宮町 三坂神社墳墓群3号墓第10主体部 弥生時代後期初頭、素環頭 大刀の長さ 29cm、京都府指定文化財、大宮町教育委員会蔵) ■中国系の素環頭大刀や鉄製ヤリガンナ、鉄鏃など、多くの鉄製品、さらに体の左側には黒漆塗りの木製の儀仗が副葬されていた。 頭の右側には、水晶製算盤玉・ガラス小玉・水晶製算盤玉、その先端にガラスの勾玉を付けた華麗な垂れ飾りが見つかっている。 墓の主は、丘陵上に次々に造営された大墳墓群の最初の権力者で、この地域の大首長とみられる。 ■青いガラス製勾玉・管玉・小玉を連ねた首飾り(大宮町 左坂墳墓群、弥生時代中期末〜後期後葉、ガラス小玉は長さ約2〜4cm、 大宮町教育委員会蔵) ■おびただしい数のガラス玉が副葬されている。すべて美しい青色である。勾玉・管玉・小玉と様々で、これらを連ねて首飾り・腕 飾り・耳飾りとしていたようだ。勾玉には、鋳型に流し込んで製作したものや、板ガラスを切って形をつくったものがある。 ■まつりに用いた荘厳な銅鐸(野田川町 比丘尼城遺跡、弥生時代後期 高さ109cm、重要文化財) ■丹後地域には、現在4点の銅鐸が残されている。丹後中心部からみつかった。この巨大で荘厳な銅鐸は近畿式と呼ばれるもので、 最も発達した形である。丹後の中でも野田川町は広い平野をもち、銅鐸をもちいた農耕のまつりに用いられたものであろうか。 (大阪府立弥生文化博物館HP「青いガラスの燦き(きらめき)―丹後王国が見えてきた―」より転載:現在は閉鎖。)
上記地図に示された、各遺跡からの出土品がズラリと並んでいたが、当然「写真撮影禁止」なので、会場で撮した写真はない。 そのかわりに、販売されていた特別展図録からSCANした画像を、各遺跡のコーナーに掲示してある。この遺跡から何が出土したのか、 この遺跡は何故重要なのかを説明するには、どうしてもその出土品はかかせない。「ガラス」のコーナーにおける写真は全部この図 録からの転載である。記して謝意を表明したいと思う。
博物館館長金関恕氏の講演と博物館スタッフによる「丹後王国が見えてきた」シンポジウムもあった。