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途中ケ丘遺跡 2002.6.30 第65回歴史倶楽部例会


	■途中ヶ丘遺跡(峰山町)

	途中ヶ丘、扇谷の両遺跡からは弥生時代の代表的遺物である大量の土器、石器、鉄器、陶けん(土笛)が出土。途中ヶ丘遺
	跡は古代の住居跡を保存する形で公園として整備されている。下の写真、グラウンドの向こう側に復元された竪穴式住居な
	どが並んでいるが、向こうまで行ってみようという人はいなかった。遺跡は現在、【峰山途中ヶ丘公園】として、400m
	トラックをもつ多目的グラウンド、16ホールのグラウンドゴルフコース、水景色広場、会議室、ホール談話室完備、大型
	木造集合遊具、芝生広場などを備えた町民の憩いの場である。






	そのグラウンドの下には弥生時代の集落跡、環濠(下)があった。弥生時代前期から後期に至る集落跡で、掘立て柱建物群
	があり、玉造りの原料石や半加工品、ヤスリ、鉄斧などが見つかっている。奈具岡遺跡と並んで玉造りの工房跡と見られる
	が、規模は奈具岡より小さい。




	峰山町の途中ヶ丘遺跡からは弥生時代前期末の溝から陶けん(土笛)が出土した。高さ6cmほどの小さなヤシの実のよう
	な形で、4,5個の穴が開いている。類似の土笛は、他に松江、下関など、全部で20件ほどしか出土例がない。どこかの
	博物館にサンプルが置いてあったがなかなかうまく音色が出なかった。



 





 


	扇谷遺跡とここは、川を挟んで2kmほどの距離にある、弥生の全期間を通じて営まれた丹後の拠点集落跡で、前期の途中
	が丘ムラは、径約140mの環濠集落であった。扇谷ムラが栄えていた頃、中期前葉の途中が丘ムラは、他の時期に比べて
	土器も少なく衰退気味だったと思われる。しかし扇谷ムラが無くなった中期中葉に活性化し、数本の溝が掘られている。
	このムラと扇谷ムラの盛衰、興亡は関係があったようである。

	途中が丘の収穫具は、弥生時代の定型的な小型の磨製石包丁が少なく、島根県などの遺跡にも見られるような大型の石包丁
	が多い。日本海側における石器組成とでも言うべき特徴である。また中期後半から後期の鉄斧、柳葉式鉄鏃、長三角形式鉄
	鏃なども見つかっている。










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