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第44代 元正天皇

奈保山西陵 2000.Oct.22 奈良市奈良坂山



 

元明・元正天皇陵を探して近所を彷徨っているときに見つけた神社。

 



近鉄奈良駅前からバスで15分ほど。ずいぶん北まで来るが、この辺りまで「平城京風致地区」の範囲にはいるのか。








		【第44代元正(げんしょう)天皇】
		異名: 氷高(ひたか)皇女、
		    日本根子高端浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)
		生没年: 天武天皇9年(680) 〜 天平20年(748)(68歳)
		在位: 霊亀元年(715) 〜 神亀元年(724)
		父:  草壁皇子(天武・持統天皇の子)
		母:  阿閉皇女(元明天皇)
		夫:  なし
		皇子女: なし
		皇宮: 平城京(へいじょうきょう:奈良市)  
		御陵: 奈保山西陵(なほやまにしのみささぎ:奈良市奈良坂町)

 


		元明女帝の子で、第42代文武天皇の姉。生涯独身だったと伝えられる。弟文武の遺児首皇子(聖武天皇)の成長まで中継ぎと
		して皇位についた。この天皇の治世は、平城京の造営整備も進み、律令制中央政権国家の基盤も次第に固まりつつあった時期で、
		藤原不比等主導の元、律令制の整備が図られた。

 


		霊亀3年、天皇は美濃国不破の行宮に赴き、多度山(たどさん)の温泉に浸かってその効能に感心して、その年11月に霊亀を
		養老と改元した。養老年間、藤原不比等に命じて律令を改定し、今日「養老律令」として知られている。
		養老4年(720)、舎人親王らによって「日本紀」が撰上されるが、同じ年の3月隼人が反乱し9月には蝦夷も叛き、律令制の貫徹
		も揺らぎ始めた頃、8月に不比等も逝去する。

 


		不比等後の政治の実権を握ったのが長屋王である。彼は養老6年に「墾田百万町歩開墾計画」を実施するが効果は上がらず、翌年、
		律令制国家の基盤である「公地公民」を自ら崩壊させる「三世一身法」(さんぜいっしんのほう)を実施してしまう。律令制崩壊
		の端緒となる養老8年(724)、元正女帝は甥の首皇子に譲位する。首皇子は即位して聖武天皇となった。
		天皇は、天平20年(748)、68歳で崩御し奈保山西陵(なほやまにしのみささぎ)に葬られた。








		御陵を裏側(道路側)からみたところ。ここにバス停(奈保山御陵。ドリームランドの次の次。)がある。こちら側から見ても御
		陵とはわからなかったので、あちこちずいぶん探して又ここへ戻ってきた。



 


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