【北朝2代 光明(こうみょう)天皇】 異称: 豊仁(とよひと) 生没年: 元亨元年(1321) 〜 天授6年(1380)(60歳) 在位: 延元2年(1337) 〜 正平3年(1348) 父: 後伏見天皇 母: 藤原(西園寺)寧子 皇后: 三条氏某 皇妃: 懽子内親王、寿子内親王、藤原氏 皇子女: 周尊、皇女某 皇居: 平安京(へいあんきょう:京都府京都市) 御陵: 大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ:京都府京都市伏見区桃山町泰長老) 【北朝3代 崇光(すこう)天皇】 異称: 益仁(ますひと) 生没年: 建武元年(1334) 〜 応永5年(1398)(65歳) 在位: 正平4年(1349) 〜 正平6年(1351) 父: 光厳天皇 母: 三条秀子 皇后: 庭田資子 皇妃: 治部卿局、三条局 皇子女: 栄仁親王、興信親王、弘助親王、瑞室、阿栄蔵王、皇子某、皇女某 皇居: 平安京(へいあんきょう:京都府京都市) 御陵: 大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ:京都府京都市伏見区桃山町泰長老)
【光明(こうみょう)天皇】 「建武の中興」を実施した後醍醐天皇は天皇親政に走る余り武家達の反感を買い、離反した足利尊氏の立てた北朝の光明天皇に 「神器」を渡して吉野に隠遁する。程なく室町幕府が成立し「南北朝時代」の幕開けとなるが、実は後醍醐天皇が光明天皇に渡 した神器は偽物であったという。ここに南朝方の正統性主張の由縁がある。光明天皇の時代から南北両朝で別々の年号を使用す る。第93代後伏見天皇の第2皇子。 【崇光(すこう)天皇】 北朝初代光厳(こうごん)天皇の皇子。15才で践そ、3年間在位。北朝後ろ盾の足利尊氏・直義兄弟はしばしば対立を繰り返 し、この天皇はそれから逃れるためしばしば持明院に逃げ込んだ。南朝・北朝の戦いは戦火・和睦を試行し、南北朝の和睦時こ の帝は北朝の「神器」を南朝方の後村上天皇に渡してしまう。そのため以後2代、北朝に「神器」は無い事になる。
2001年11月末、読者の方から以下のmailをいただいた。 私は京阪電車が好きで、どうしても京阪を中心に考えてしまうので、誠に申し訳ない。平にご容赦。 訪問者名: 林 吉保 コメント: 大光明寺陵はJR奈良線桃山駅の裏手にあります。京阪の観月橋駅より歩かれるより、 JR桃山駅から徒歩の方が近いですよ。また京阪利用なら伏見桃山駅から歩いて10分 ぐらいで、坂も急ではないですよ。もちろん近鉄京都線の桃山御陵前も利用できます。 また蛇足ですが、後崇光院や崇道天皇等の方々の御陵も是非載せてください。